55年前の神保町、「ガロ編集室」周辺の熱気
ナマイキな中学生や高校生のイキイキとした姿
ナマイキな中学生や高校生のイキイキとした姿
1966年から1971年という、漫画雑誌『ガロ』がもっとも熱かった時代に、編集の中心にいた人の回想録です。あの時代に『ガロ』を読んでいた者には、書かれていることのすべてが懐かしい。
著者は、つげ義春の名作『ねじ式』の原作で「××クラゲ」とあるのを、「メメクラゲ」と誤植した「世紀の誤植」のガロ編集者として、つげファンのあいだでは有名です。権藤晋名義で数々の著書のある漫画評論家であり、『ガロ』から離れたあとは『夜行(やぎょう)』を発行して先鋭な漫画家や漫画評論家たちに発表の場を提供しつづけた出版人でもある。
本書も、本線は漫画家群像です。白土三平、水木しげるにはじまり、池上遼一、つげ義春、佐々木マキ、滝田ゆう、林静一、辰巳ヨシヒロなどの有名どころから、名前をあげられて「そうそう、そんな漫画家がいたなあ」と懐かしく思いだす人々まで、無数の漫画家がキラ星のように登場する。
本書も、本線は漫画家群像です。白土三平、水木しげるにはじまり、池上遼一、つげ義春、佐々木マキ、滝田ゆう、林静一、辰巳ヨシヒロなどの有名どころから、名前をあげられて「そうそう、そんな漫画家がいたなあ」と懐かしく思いだす人々まで、無数の漫画家がキラ星のように登場する。
「界隈」とあえて名付けたのは、著者が当時の神保町や時代の雰囲気を伝えたかったから。
浅草と新宿のオールナイト上映に、予告もなしに高倉健や千葉真一、谷隼人、大原麗子が舞台にあがり「チバちゃーん!」「ケンちゃーん!」と嬌声がとぶ信じられない光景があったという。
1965年頃、「日本読書新聞」の編集者として青林堂を訪ねたら、長井勝一に「近くの飲み屋に行きませんか」と誘われ、喫茶店の「ラドリオ」と「ミロンガ」に挟まれた路地を抜けたところにある小さな居酒屋や、靖国通りの神田日活とパチンコ屋「人生劇場」に挟まれた路地裏の居酒屋で飲んだ。貸本漫画家時代の佐藤まさあきを、神保町の喫茶店「白十字」で取材したこともある。
『ガロ』の読者は、中高生、大学生であり、多くの若者が直接編集室に遊びに来る。
一升瓶をかかえた女子高生が「これからつりた(くにこ)さんのところへ行こうと思うの。住所教えてくれない」とニコッとする。未成年が酒飲んじゃダメというと「大丈夫ョ、LSDだけはやらないから」と応じ、こんど女子高の勉強会に「日大の秋田明大さん呼びたいんだけど」と語る。
田舎からやってきて「東京で革命がはじまりそうだって聞いたので、みんなでやってきたらそんな雰囲気どこにもないじゃない?」とかまし、「デモなんかやってないで、親孝行しなさい」と諭すと「アッ、古いわネ。いまはね、お金持ちの愛人が一番ヨ」とうそぶく女子高生。
中学生のころから編集室に出入りし、中学校の卒論に「イヤミの研究」を書き、高校生のときには東大全共闘を襲って「僕らの英雄的な行動に対して(共産党)中央から表彰されたんですよ」と自慢する少年。
白土三平の赤目プロ(練馬区)に原稿とりに行ったら「夕方から赤目プロのみんなでベトナム反戦デモに参加するんだけど一緒にどう?」と誘われ、ゴムサンダル履きの6〜7人で豊島園から明治公園まででかける。
浅草と新宿のオールナイト上映に、予告もなしに高倉健や千葉真一、谷隼人、大原麗子が舞台にあがり「チバちゃーん!」「ケンちゃーん!」と嬌声がとぶ信じられない光景があったという。
1965年頃、「日本読書新聞」の編集者として青林堂を訪ねたら、長井勝一に「近くの飲み屋に行きませんか」と誘われ、喫茶店の「ラドリオ」と「ミロンガ」に挟まれた路地を抜けたところにある小さな居酒屋や、靖国通りの神田日活とパチンコ屋「人生劇場」に挟まれた路地裏の居酒屋で飲んだ。貸本漫画家時代の佐藤まさあきを、神保町の喫茶店「白十字」で取材したこともある。
『ガロ』の読者は、中高生、大学生であり、多くの若者が直接編集室に遊びに来る。
一升瓶をかかえた女子高生が「これからつりた(くにこ)さんのところへ行こうと思うの。住所教えてくれない」とニコッとする。未成年が酒飲んじゃダメというと「大丈夫ョ、LSDだけはやらないから」と応じ、こんど女子高の勉強会に「日大の秋田明大さん呼びたいんだけど」と語る。
田舎からやってきて「東京で革命がはじまりそうだって聞いたので、みんなでやってきたらそんな雰囲気どこにもないじゃない?」とかまし、「デモなんかやってないで、親孝行しなさい」と諭すと「アッ、古いわネ。いまはね、お金持ちの愛人が一番ヨ」とうそぶく女子高生。
中学生のころから編集室に出入りし、中学校の卒論に「イヤミの研究」を書き、高校生のときには東大全共闘を襲って「僕らの英雄的な行動に対して(共産党)中央から表彰されたんですよ」と自慢する少年。
白土三平の赤目プロ(練馬区)に原稿とりに行ったら「夕方から赤目プロのみんなでベトナム反戦デモに参加するんだけど一緒にどう?」と誘われ、ゴムサンダル履きの6〜7人で豊島園から明治公園まででかける。
気合の入った作家論や漫画論と、当時の神保町の雰囲気、時代の空気が絶妙にまじりあっている。酔いのまわってくるような一冊です。
巻末のつげ正助との対談におどろく
巻末に「つげ正助と語る『つげ義春』」という、つげ義春の長男との対談が収録されている。長男が、つげの日々の暮らしを支える役割を担っていることが、感じのいい自然体で語られている。
これには心底おどろきました。というのは、本ブログでもとりあげたことがありますが、『つげ義春 夢と旅の世界』(2014年)のロングインタビューでつげは「息子が引きこもりでその世話と家事に追われている」と語っているのです。なんともいたましい言葉で、妻・藤原マキが亡くなったあとのつげの孤立に、胸ふたがれる思いがしたものでした。
ところが、この対談(2020年12月2日収録)には、そんなことは一言もふれられていない。つげ研究家として有名な高野が、つげの発言を読んでいないはずはないのに、完全にスルー。というより、正助が、父の作品に書かれていることをみんな事実だと思う読者がいることへの困惑を語っており、暗に、あのインタビューで話していることもウソですよというメッセージかとも思える。
つげは2020年2月、フランス・アングレーム国際漫画祭で特別栄誉賞を受賞、式にも出席した。この様子は朝日新聞など各紙でかなり大きく報じられた。Web検索すると、このときのフランス旅行を全面的にサポートしたのも、息子らしい。
いやはや、そうでしたか。良かった。つげ作品は今も売れており、印税収入があるという。晩年のつげの暮らしが、息子に支えられた穏やかなものらしいことを知り、ほっとしました。
これには心底おどろきました。というのは、本ブログでもとりあげたことがありますが、『つげ義春 夢と旅の世界』(2014年)のロングインタビューでつげは「息子が引きこもりでその世話と家事に追われている」と語っているのです。なんともいたましい言葉で、妻・藤原マキが亡くなったあとのつげの孤立に、胸ふたがれる思いがしたものでした。
ところが、この対談(2020年12月2日収録)には、そんなことは一言もふれられていない。つげ研究家として有名な高野が、つげの発言を読んでいないはずはないのに、完全にスルー。というより、正助が、父の作品に書かれていることをみんな事実だと思う読者がいることへの困惑を語っており、暗に、あのインタビューで話していることもウソですよというメッセージかとも思える。
つげは2020年2月、フランス・アングレーム国際漫画祭で特別栄誉賞を受賞、式にも出席した。この様子は朝日新聞など各紙でかなり大きく報じられた。Web検索すると、このときのフランス旅行を全面的にサポートしたのも、息子らしい。
いやはや、そうでしたか。良かった。つげ作品は今も売れており、印税収入があるという。晩年のつげの暮らしが、息子に支えられた穏やかなものらしいことを知り、ほっとしました。
55年前の神保町、「ガロ編集室」界隈の熱気に、乾杯。
高野慎三『神保町「ガロ編集室」界隈』ちくま文庫、2021年、900円+税。
関連:2015年01月17日、『つげ義春 夢と旅の世界』https://boketen.seesaa.net/article/412484518.html
デイリー新潮、つげ義春の息子が語るhttps://www.dailyshincho.jp/article/2020/03281000/
関連:2015年01月17日、『つげ義春 夢と旅の世界』https://boketen.seesaa.net/article/412484518.html
デイリー新潮、つげ義春の息子が語るhttps://www.dailyshincho.jp/article/2020/03281000/


