2018年03月17日

沖縄の友人より(49)美しい辺野古の海と大浦湾が、無惨に破壊されている

これが辺野古新基地の計画図。

この「辺野古埋立計画図面」は陸の米海兵隊キャンプ・シュワブから海側の辺野古崎の埋め立て予定地を写したものです。
辺野古アの突き出た岬の左側が大浦湾、右側が辺野古の海。左側に点線で描かれた二本の線が辺野古断層と楚久断層。活断層の疑いが濃厚な断層であり、辺野古弾薬庫は丁度この二つの断層に挟まれて造られている。二つの断層が交わっている付近では60mに及ぶ落ち込みが確認されている。この部分はまたきわめて軟弱な地盤であることも明らかになっている。防衛局の調査によっても、40mの厚みで強度0の軟弱地盤が存在するという。
海の色から一目で分かるように、大浦湾は水深が深く、辺野古の海は浅い。辺野古側は干潮になると所によって水深はひざ下くらいになる。護岸工事はもともと大浦湾側から着手することになっていたが、水深、軟弱地盤、活断層など次々に問題が出てきて、政府防衛局は手っ取り早く取り掛かることのできる辺野古側の護岸造成を急いできた。辺野古の海岸線とK1、K2、K3、K4、N5の護岸がつながると浅瀬に巨大なプールが出来上がる。Kとは傾斜護岸の略、Nとは中仕切り護岸の略だ。この5つの護岸の総延長1666.9mのうちすでに半分ほどができたといわれる。5月下旬から6月初めにかけて完成し、6月にも海水の排出と土砂の投入が行なわれる可能性が高い。
辺野古新基地計画図.jpg
<より鮮明な画像はこちらで>辺野古埋め立て計画図.pdf
辺野古新基地建設を止める闘いの正念場です。現地では、機動隊の暴力に屈せず、資材搬入阻止の闘いがねばり強く続けられています。
@2018.3.7 キャンプ・シュワブゲート前座り込み。毅然として違法工事の中止と辺野古埋立NO!を訴える座り込み参加者。A3.7 東京の「直接行動」という名の学生グループ6人があいさつ。安保法制に反対する国会行動にも参加した。B3.7 歩道から通行の車両にアピール。「未来に残そう青い海』。C3.7 機動隊員4人がかりでゴボー抜きされるが、堂々たる態度・表情が座り込みの正当性を確信している。D3.7 ゴボー抜きのあと囲い込まれたオリの中から、資材搬入に断固として抗議。
A2018.3.7 4人がかりでゴボー抜きされる.jpgCH2018.3.7 オリの中か.jpgD
E3.7 搬入される大きな土管。大中小の砕石、砂、鉄板、角材などのほか、ユニック車、生コン車などが進入。F3.7 大きな砕石が今にも荷台から落ちそう。過積載のダンプが多い。G3.7 ゲート前に工事車両が着きはじめると、基地の中から警察機動隊が登場し座り込み排除にかかる。H3.7 大型工事車両の通行により生じた国道329号線の亀裂。世富慶方面からキャンプ・シュワブまであちこちにある。
I2018.3.7 大きな土管.jpgEB2018.3.7 積載のダンプ.jpgFE2018.3.7 警察機動隊が登場.jpgGJ2018.3亀裂.jpgH

3.4鳩山訪米報告会に100人
3月4日那覇市内で、東アジア共同体研究所主催の「東アジアの安定へ 元総理訪米リポート」と題する鳩山由紀夫さんによる訪米報告会が開かれ、約100人が参加した。鳩山さんはスライドを使いながら2月初旬の訪米行動を詳しく報告。多くの米議員や議員スタッフとの意見交換を通じて、<1>辺野古は唯一ではないことを理解してもらう<2>北朝鮮に対して絶対に戦争はいけない。戦争が起これば真っ先に沖縄が戦場になる、というふたつのことを重点的に訴えた、と説明した。
そのあと、サプライズで登壇した山城博治さんは「鳩山さんをもう一度総理にしたい。南西諸島全部が米軍・自衛隊のミサイル基地、攻撃基地になるという恐ろしい事態だ。アジアで戦争しない枠組みをつくるという東アジア共同体は素晴らしい」と話した。
I3.4 鳩山由紀夫さんの「東アジアの安定へ 元総理訪米リポート」講演会。パワーポイントを使って訪米活動を説明する鳩山さん。
@2018.3.4 鳩山由紀夫.jpgI
3.4土曜行動に300人。山形から参加の22人が100万円のカンパを持参
2.28排除に抗して闘いぬく

J2018.3.3 辺野古ゲート前第1土曜日集中行動に300人。そろいのオレンジ色の帽子姿で山形県から参加の22人は100万円のカンパを持参した。稲嶺進さんと笑顔で交流。KL2.28 ゲート前座り込み。一回目と二回目の資材搬入の合間に、劇団『はな駒』の一行が獅子舞と団結餅つきを披露。M2.28 歩道上のオリに囲い込まれた中で、座り込んで整然と抗議。N2.28 警察機動隊の排除は乱暴。どんなにゴボー抜きをされてもひるまずまた座り込む。O2.28 機動隊が、若い女性の手をねじり、衣服を引っ張っている。これは犯罪ではないか。

韓国の平和団体『ピョンファパラム』9人が沖縄平和ツアー
韓国の平和団体『ピョンファパラム(平和の風)』が毎年行なっている2月の沖縄平和ツアーを今年も中学生6人を含む9人の参加で実施した。ピョンファパラムは郡山(クンサン)に本部を置きチェジュ、ピョンテクなど全国各地で反基地闘争を担う長い歴史を持つ平和団体。今回の沖縄平和ツアーは沖縄の戦争と基地の現場を回る5泊6日の日程だった。轟の壕、韓国人慰霊の塔、平和の礎、辺野古ゲート前と浜のテント、伊江島反戦平和資料館、伊江島の戦跡と米軍基地、読谷村チビチリガマ、恨の碑、シムクガマ、佐喜真美術館、首里城、県立博物館などをじっくりと回り、現場の人びとと交流した。
P2.22 読谷村航空機掩体跡。ピョンファパラム沖縄平和ツアー一行。Q2.22 恨之碑を訪れる。
安倍政権の暴政に対峙する沖縄のみなさんの闘いに、敬意と連帯を表します。
posted by 呆け天 at 11:03| Comment(0) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月15日

遠藤展子『藤沢周平 遺された手帳』

『又蔵の火』は、失踪した長兄・久治へのメッセージだった

藤沢周平は、娘・展子に4冊の手帳を遺した。1冊目は、展子が生まれた昭和38年(1963年)に始まり、昭和42年まで。妻悦子のガンによる死、乳飲み子を抱えた父子家庭の奮闘の記録です。
娘・展子がいなければ、あと追い自殺のおそれがあった。それほど深く、悦子の死に、藤沢はうちのめされた。藤沢のエッセイ『半生の記』(1996年)には、SIC(ガンの特効薬として当時話題になった)をめぐる葛藤のあとに「死に至る一部始終を見とどける間には、人には語れないようなこともあった。そういう胸もつぶれるような光景と時間を共有した人間に、この先どのようなのぞみも再生もあるとは思えなかった」(P105)とあります。
手帳にはきっと「人には語れないようなこと」が記されていると推量されますが、展子はあえてそうした場面は引用していません。『半生の記』に書かれている範囲内の、あっさりした引用にとどめています。
保育園の連絡帳に、子守唄にレイ・チャールズの「愛さずにはいられない」を歌ったら展子も一緒に歌ったと記した。
「時間が心の傷を癒してくれると人は言う。
でも君と別れ別れになってから 
時間は俺の前に立ちはだかったままだ」
最近になってきちんと訳詩を読んだという展子は、幼い自分を抱っこしてこの歌をうたう父の心に想いを馳せます。胸に沁みる場面です。

少し間をおいて、昭和45年(1970年)〜51年の「金山町雑記」3冊。
昭和44年に、「倒れる寸前に木にしがみついた」ように高沢和子と再婚した。和子が頭金を出して東久留米の一戸建てに引っ越した昭和45年、まだ業界紙記者との二足のわらじではあるが藤沢は旺盛な執筆を続けた。昭和46年『溟(くら)い海』がオール讀物新人賞を受賞、そして昭和48年『暗殺の年輪』で直木賞受賞。
再婚と引っ越しを機に、これまでとは違った明るさ力強さ希望が、手帳の端々にうかがわれます。

小説を書く夫を誇りに思い、夫が小説家になる姿を夢見ていた亡き妻・悦子。
「趣味は藤沢周平」と言い切り、夫を全面的にサポートし続けた再婚の妻・和子。
藤沢周平の小説世界では、女性の心性の、美しさ勁(つよ)さがきわだっています。ふたりの妻とのかかわりが、色濃く反映している。4冊の手帳は、そのことを深く納得させてくれます。

著者は『又蔵の火』が、藤沢周平の七つ上の長兄・小菅久治と自分のことを史実に託して書いたものであり「兄貴を恨んではいないから、早く帰って来い」というメッセージだったと記しています。
『又蔵の火』は、鶴岡の総隠寺で実際に起きた事件を素材にした、悽愴な復讐劇です。一族の面汚しとして死んだ放蕩者の兄のため、理不尽ともいえる仇討ちを甥に挑む又蔵。これを読んで展子は「父は実際の話を借りて、父と父の兄の話を書いたのだとすぐに思いました」という。
長兄・久治は、戦争から帰ってくると、実家の農業を拡大しようと借金して副業をはじめた。それがうまくいかず、借金を残して行方不明になった彼は、家族・親戚に疎まれていた。
その兄にあてた「恨んでない、帰って来い」というメッセージとして書かれた作品だというのです。この読み解きは、これまで藤沢文学を論じたさまざまな著作にはなかったものです。身内でなければ書けない、気付かない視点です。
藤沢の直木賞受賞のニュースを見た兄が連絡をしてきたことで、兄弟の絆は回復した。その後、兄は田舎に帰り、おだやかな晩年を過ごすことができた。
藤沢はいくつかのエッセイに、忘れがたい長兄との場面を描いています。兄が戦地から復員してきた時のこと、庭の辛夷を切ろうとしている背中、結核療養施設に藤沢を送り届けすぐに帰っていく姿、若い頃ほれぼれするほど美声だったこと。
「父は伯父にどのようなことがあっても、やはり農家の長男である伯父を尊敬していたのでした。」
なるほど。深く納得のいく読み解きでした。

専業作家となったとき、すでに自律神経失調症だった

1974年に専業作家として出発した当時から、藤沢は自律神経失調症だったというのは、本書で初めて知りました。藤沢は自身の自律神経失調症については、率直に、妻と一緒でないと外出もできないと書いている。しかし、読んでいるこちらはなんとなく藤沢の晩年のはなし(60代に入ってから)と、勝手に解釈していました。
当時まだ48歳、作家専業として出発したその頃にはじまり、69歳で亡くなるまで約20年。作家としての藤沢周平の全期間が、妻・和子のサポートなくしてありえなかったと、この本でくっきりと了解しました。
「趣味は藤沢周平」と言い切る人と出会ったことは、本当に幸運だった。

娘による父・藤沢周平の回想と鎮魂に、献杯。
藤沢周平 遺された手帳 -
遠藤展子『藤沢周平 遺された手帳』文藝春秋、2017年、1500円+税。
関連:2018年03月03日、練馬・石神井公園で藤沢周平展http://boketen.seesaa.net/article/457385553.html
posted by 呆け天 at 09:59| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

「なぜこんなことが起きたのか」←お前のせいだ!(推定3千万人の声)

国政をあずかる知性も品性もない人間が、政治をもてあそぶ事態に終止符を

森友問題がやっと封殺をまぬがれる突破口をみいだした。
財務省は、公文書書き換え=改竄を認め、安倍昭恵や政治家の関与で、国有財産がただ同然で払い下げられるという国家犯罪が行われたことが、明るみにだされた。
安倍はテレビの前で「なぜこんなことがおきたのか」と語った。おそらく、テレビを見ていた有権者の3分の1くらい(推定3千万人)が「お前のせいだ!」と叫んだでしょうね。口にしたか、心の中に止めたかは別として。
「私か妻が関与していたら辞職する」と言っていたが、安倍夫婦の関与があったからこそ、公文書の改竄という犯罪が引き起こされた。佐川宣寿理財局長が指示したから行われた犯罪であり、この改竄をさせて安倍をかばいつづけたご褒美として、佐川は国税庁長官にとりたてられた。
まるでやすものの時代劇のような茶番劇がどうどうとまかりとおる日本は、「報道の自由度ランキング72位」(2017年)に格付けされ、世界のジャーナリストから笑いものにされています。
朝日新聞、よく粘りました。少しは恥を濯いだといってもよいでしょう。

東京大空襲の日(3月10日)に、佐川が辞職した。
東日本大震災の翌日(3月12日)に「なぜこんなことが起きたのか」と、間抜け面の安倍が国民に謝罪した。
わたしには、大空襲の犠牲者、大震災の犠牲者の魂魄が、「いいかげんにしろ!」と今の日本の政治を叱咤しているのだと感じられます。
国政をあずかる知性も品性もない人間たちが、世襲の特権で政治をもてあそぶ現状を、なんとしても終わらせなければ、死者たちがうかばれません。
安倍は、昭恵の関与が明白となったのですから、しかもそれを隠蔽しようとして公文書改竄という犯罪までおこなわれていたことが白日のもとにさらされたのですから、すぐに辞職するしか政治家としてとるべき道はない。

森友国有地不法払い下げ事件に風穴があいたことに、乾杯。
佐川辞任.jpg 公文書改竄.jpg
左:3月10日朝日新聞夕刊。右:3月13日同朝刊
posted by 呆け天 at 10:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする