2018年03月23日

一冬越す友となってくれた花々に、感謝

21日の思いがけない雪がむしろ冬の終わりの合図か。
一気に桜が咲きそうな気配になってきました。
育った秋田には「一冬越す」という言葉があります。難儀な冬が終わればもう1年生き延びられるという実感のこもったことばで、亡くなった母もよく口にしていたし、いま老人と化した兄姉や同級生もつかう。
50年前の友川カズキに「おじっちゃ」という曲がありました。病気の祖父を案じて「いなほ2号」でかけつける友川(歌詞では本名の典司)が「もう一冬越せ!」と絶叫する、何十年たっても忘れがたい曲です。
毎日晴天、これを冬とよんでいいのかというほど生ぬるい冬を過ごしている身が、「一冬越す」などといえば嗤われてしまいます。それでも冬は冬、春は春。桜が咲いて冬が終われば、ほっとします。

寒さがきつくて、今年から早朝散歩を昼散歩に切り替えたので、コースは神代植物公園・深大寺一辺倒になってしまった。植物公園の1〜3月は、なんといっても梅。小さな梅林の中央に女王のように咲くこの木。何度みても飽きません。
ほかにサンシュや、名前をおぼえないいろんな花が「もうじき春ですぞ」とささやきかけてくれました。いつもありがとね。
サンシュ.jpg 冬の花6.jpg 冬の花7.jpg
一冬越す友となってくれた花々に、感謝の乾杯。
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2018年03月21日

ルーシー・バーミンガム他『雨ニモマケズ 外国人記者が伝えた東日本大震災』

原子力ムラの最悪の姿と、被災現場で生き抜いた人々の無私無欲・勇気

日本在住の、二人の外国人フリージャーナリストが、東日本大震災を体験し、外国メディアに発信した記事を一冊にまとめた。震災翌年(2012年)にアメリカで出版され話題になった本の翻訳です。
ルーシー・バーミンガムはアメリカ生まれ。1980年代から来日し、長年米国タイム誌の記者。日本在住は25年を超える。2014年から2期、外国特派員協会長を勤めた。デヴィッド・マクニールは はアイルランド出身。2000年から日本在住。エコノミスト誌、ザ・インディペンデント紙記者。上智大学講師。

ふたりは、「普通の人々」の目を通して大震災を描くという作戦をたて、6人の人たちへの継続的な取材をおこなっている。そのひとつひとつが感動的です。
ユーチューブで世界に救援を訴えた南相馬市・桜井勝延市長(福島)。間一髪で自分の船を外洋に出した漁師イチダ・ヨシオ(福島)。原発現場で注水作業に身を挺して携わった契約社員ワタナベ・カイ(福島)。陸前高田で夫を失ったウワベ・セツコ(岩手)。東松島で子どもたちに英語を教える地域講師として働いていたデヴィッド・チュムレオンラートの恐怖の津波体験(宮城)。東北大学に合格しているが、被災によって進学の危機にたたされた青年サイトウ・トオル(宮城)。
それぞれの人生に深くたちいった取材が、この大震災が東北の人々にもたらした厄災の深さ大きさを浮き彫りにする。みごとなドキュメンタリーになっています。

本書の魅力はもうひとつあり、日本のジャーナリズムが口ごもるようにしか言わないことを、明瞭なことばで語っている。
1、菅直人が介入しなければ、東京を含む3500万人が避難する事態になっていた。
東電社長・清水正孝はいっさい公の場にあらわれず、官邸に第1原発スタッフの撤退を認めるよう要請した。管は激怒し、東電に乗り込んでスタッフの撤退を認めず、注水作業の継続を命じた。これが分かれ目で、もし管がこれをしなかったら、3500万人が避難生活を強いられる事態=東京壊滅がもたらされていた。
今日ではこの事実はまるで逆に描かれている。専門家でもない菅直人があれこれと口出ししたことが現場を混乱させ、復旧作業を困難にさせたというお話しが、読売・産経などの右翼ジャーナリズム、東電幹部、自民党によってつくられ、国民の多くはむしろそっちの認識にかたむいている。清水など東電幹部は誰一人刑事罰も経済的な制裁もうけなかった。
2、「震災は過去の方法と決別させるだろう」という予想は完全に覆された。
第1原発事故からわずか1年の2012年5月に、あろうことか野田民主党政権は「原発再稼働」を決める。自民党・経団連・右翼ジャーナリズムはどのような被害が国民にもたらされようと、原発の維持をごり押しした。野田たち、愚かな民主党幹部はこれに圧倒された。これが同年12月の民主党の壊滅的敗北を決定づけた。原発の維持・再稼働を求める勢力は、日本の核武装のために原発を手放さない。
3、南相馬市桜井勝延市長の奮闘。
南相馬市の桜井勝延市長は11分のビデオを作ってユーチューブにアップし、世界に向かって救援をよびかけた。政府からも、東京電力からも十分な情報を得られず孤立しているわれわれを助けてくれ、というよびかけは世界の反応をひきおこし、援助や、ボランティア、ジャーナリストが南相馬にかけつけた。日本の政治家には珍しい行動力だった。そのとき、日本の大手メディアは南相馬からひきあげ、一人も現場にいなかった。

ふたりの発信は、世界の人々からの支援の呼び水になったことでしょう。心からお礼をいいたい。
日本のジャーナリズムは、二人のレポートに負けない報道のために、がんばってくれ。

印象に残った、NHKの二つの特集

3月11日の大震災に合わせて、多くの特集番組が放映されました。
NHKスペシャル「めざした¨復興″はいま 震災7年ー被災地からの問いかけ」(3月11日)が鋭かった。大越健介キャスターが宮城、岩手、福島の「復興の現状」に丁寧にせまり、エンディングで「政府は復興の総仕上げというが、ある意味むなしさを感じる」というメッセージを放ちました。いまなお、原発事故で避難を余儀なくされている人々が7万人を越えている。その根本問題から目をそらした「復興の総仕上げ」というかけごえのむなしさ。
もうひとつ、同じく3月11日放映のNHK・BS1スペシャル「福島タイムラプラス」の映像もすばらしかった。「タイムラプス」というのは、連続撮影した写真をつないで動画にする技法。福島県出身のカメラマン清水大輔が、福島の被災地を訪ねて「原発避難指示」を拒絶し富岡町(原発から11キロ)で暮らし続ける人や、相馬馬追いにかける人たちを丁寧に撮った。
ふたつの作品を見ていると、安倍のオトモダチの異様な会長が去ったNHKは、少しは正気に戻りつつあるのかという期待をいだかせます。

大震災の姿を世界に伝えた二人のジャーナリストに感謝をこめて、乾杯。
雨ニモマケズ: 外国人記者が伝えた東日本大震災 -
ルーシー・バーミンガム/デヴィッド・マクニール『雨ニモマケズ 外国人記者が伝えた東日本大震災』えにし書房、2016年、2000円+税。
関連:2015年07月25日、NHKスペシャル「メルトダウン」取材班『福島第一原発事故7つの謎』http://boketen.seesaa.net/article/422940747.html
posted by 呆け天 at 09:54| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月19日

白内障手術体験記(1)花粉症で目がかゆいなんていってる場合じゃない

「体の力を抜いて!」と叱咤されながら、目玉をグリグリされる

花粉症で目がかゆくなってしまい、無意識にこすったのか、左目のフチが赤くただれてきた。塗り薬でももらおうかとC眼科医院に行ったのが2月1日です。
「目のフチはなんでもないけど、あなたの左目は白内障ですよ。手術しないと改善しません」とあっさり女医さんに告げられる。
「えッ、老眼鏡かければ問題なく本や新聞は読めますが」
「それは、右目だけで読んでいるんです。左目はほとんど見えないくらいになっています。この画像みてください」
映しだされた大きな眼球の映像には、レンズ部分の白濁と、焦点を結ぶスクリーンにあたる部分のにごりというかよごれというかがくっきり。
「これはここ1〜2年で急速にこうなったんですか」
「いいえ、ずいぶんと時間をかけてこうなったんです。ただ、右目が見えてますから自分では気がつかなかったんでしょう。左目だけではなく、右目も手術が必要です。右目も白内障の初期症状がでていて、そのうち左と同じになります」
右目の画像も映しだされて、初期症状がはじまっていることの説明がされる。
わが身のことながら、こんなことになっているとは気づきませんでした。花粉症なんていってる場合じゃない。というか目がかゆくなったおかげで、白内障がみつかって良かった。
痛風、腰痛につづいて白内障か。体の部品がつぎつぎと劣化・老化している。ま、あまりにも当然のことですが。

受付で、手術前の検査や日程など打ち合わせる。
「ちなみに費用はいかほどですか」
「3割負担だと片目で4万5千円です。あ、呆け天さんは70歳以上ですから、1万2千円です。1ヵ月にひとつの病院に払う医療費の上限が1万4千円ですから、3月に左も右もやりましょう」
3割で4万5千円ということは、保険がなければ片目15万、両目で30万だ。それが、同じ月内でやれば両目1万4千円ですむ。この辺の仕組みは、帰ってから厚労省のHPをみると「高額療養費制度を利用される皆さまへ」と題して説明されています。日本が、国民皆健康保険制度をとっていることに感謝です。アメリカでは、オバマ大統領があれほどがんばっても導入できなかった。わたしと同じような境遇のアメリカの老人は、白内障手術ひとつだってどんなにか大変だろうな。

2月15日に、ほぼ半日かけて両目の検査。手術は左目3月17日、右目3月29日と決まる。
3月17日の手術にさきだち、13日から毎日数種類の点眼や軟膏、手術当日は手術前3時間に30分おきに5回、数種類の点眼を自分でする。なるほどなあ。むかし白内障手術は入院してやるものだった時代は、ベッドに横たわっている患者に看護婦さんが全部やってくれてたんだろう。それは費用もかさむ。いわば施術以外セルフサービスの日帰り手術だから、この費用でできるわけだ。

手術当日、まな板の鯉状態。左手の指先に心電図か血圧か体調を測る器具、右手には点滴。左目が閉じないようにテープで固定され、顏全体がカバーで覆われる。麻酔は注射ではなく点眼液、痛みもなにもない。
「はーい、体の力抜いて、痛みとかあったら言ってね。ちょっとじゃぶじゃぶっと液がかかるわね、ハイッ、右目閉じない!」
事前の説明で、施術時に右目を閉じると左目にも連動するから、がんばって右目を開いてる状態をキープしてとは言われてました。言われてましたけど、左目にじゃぶじゃぶっと液体がかかれば、それは反射的に右目も閉じますよね。そのうち、なんか器具をつかって左目がグリグリっといじられてる感じになる。痛くもなんともないが思わず緊張する。
「真ん中の三つの点を見ててね、ハイッ、体の力抜いて!緊張しないで!」
お代官さま、それは無理でごぜえます。たとえ見えてはいないとはいえ、自分の目ん玉がいじられてるのに緊張しないでいられるなんて、武術の達人だって無理。ましてこちとら素人の年寄りだ。要求が高すぎ。だけど口に出していうのは我慢しました。
おかしかったのが、グリグリするときに、シンセサイザー風の音が鳴る。「レミドレー」とか「ソラソファー」とかのメロディ。SF映画で、宇宙船との交信がシンセサイザー風の音の交換というのを見たことがあるが、ややあの感じ。これはなんだろう。まるで無音だと患者の緊張が高まるから、なんかやってるけど、こわがらないでという心理的なケアなんだろうか。

20分はかかったかと思われた手術でしたが、サポート役の女性職員に聞いたら12分で終わったそうです。ほんとかよッ。
厳重な眼帯をして帰り、早々に寝る。
明朝、9時に医師が眼帯をはずし「手術はうまくいきました。これが今の状態です」と術後の目を写して見せる。なんだか、別の物体になったような、教科書に出てくる目のようです。やれやれ、ありがとうございます。
外にでて景色を見ると、左目が右目と同じくらい見えるようになったことが実感できる。老眼鏡で本を読むと、今度は左目の方がくっきりと見える。むしろ右目のほうに、滲みを感じる。そうか、右目も劣化してるのに、お前にだけ負担をかけてここ数年を暮らしてきたのか。たいへんだったね。
次は右目か、やれやれ。
おっと、点眼の時間だ。術後の点眼が毎日数回、数種類、2週間以上もつづく。

手術をしてくれた先生、健康保険制度、回復した左目に、乾杯。

関連:厚労省「高額療養費制度を利用される皆さまへ」 http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12400000-Hokenkyoku/0000167493.pdf
白内障と白内障手術http://www.asahi-net.or.jp/~pd2k-nim/index.html
posted by 呆け天 at 08:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする