2017年11月18日

囲碁旅行、谷川岳ロープウェイで絶景を満喫

秋の温泉囲碁旅行で群馬県・水上温泉に参上した高齢碁キチ8人(11月16日〜18日)。
水上ホテル聚楽に投宿し、寝る間も惜しんでの囲碁三昧です。趣向を凝らした清潔な大浴場、リーズナブルな料金、大変結構なホテルです。夕食・朝食ともにバイキング形式というのが、好み多様なわがまま老人旅行にはピッタリでした。
二日目は気分一新して谷川岳ロープウェイで天神平(1319m)へ。さらにリフトに乗って、目もくらむような高さの天神峠(1502m)に登って、白雪を冠した谷川岳(1977m)の威容を拝しました。
すごい山です。昨日ふった新雪で神々しいまでに輝いている。
真冬にこういう山に登る人たちの気がしれないというところですが、8人中2人が登頂経験者です。
昔はJR土合駅から延々と歩いて登ったわけですが、最近ではこの天神峠までロープウェイとリフトで来て、天神尾根伝いに頂上まで約3.5kmを歩くのが人気の由。それは、冬でなければ登れそうな気がします。
快晴かつ無風に恵まれ、360度の大パノラマで遠く富士山まで見える。この時期には午前中2〜3時間晴れていても、午後にはガスる(霧がでる)のが普通で、午後までこんなに無風・快晴というのはめったにないほどの幸運だそうです。
温泉、囲碁、酒、谷川岳、極上の2泊3日の旅に、乾杯。
IMG_20171117_115940_.jpgIMG_20171117_115024_.jpgIMG_20171117_114508_.jpgIMG_20171117_114104_.jpgIMG_20171117_111335_.jpgIMG_20171117_111014_.jpgIMG_20171117_083303_.jpg
posted by 三鷹天狗 at 03:43| Comment(0) | 囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月15日

ブレイディみかこ『労働者階級の反乱 地べたから見た英国EU離脱』

イギリスのEU離脱について、労働者階級の内側からのレポート

イギリスのEU離脱(ブレグジット)は、白人労働者階級が離脱に票を投じたから起きた。
どうして彼らはその選択をしたのか。
その問いに対する、じつに納得のいく説明です。
著者は、英国南部のブライトンという労働者階級の街の公営住宅地で、20年以上も暮らしている。著者自身、保育士として働く移民であり、子どもを預けにくる移民の父母とのつきあいもある。イギリスの白人労働者階級そのものである配偶者や、その友人たちとのつきあいも深い。離脱にとまどい怒る移民たちの声も、離脱に票を投じた労働者たちの声も、生で、日常的に聞いている。
そのレポートですから、学者の論考やジャーナリストのレポートとは、迫力が違います。
加えて「よく理解できない事柄に出会ったときに人類がせねばならないことを、いまこそわたしもしなければならない、と思った。勉強である」という決意のもと、イギリス労働者階級の歴史についてたんねんに調べた。サッチャー改革とブレアの時代に、イギリスの労働者はそんなひどい目にあったのか、それって小泉改革以降の日本の労働者の境遇の先取りじゃないか、などいろんなことを思わされるレポートです。

まず、配偶者の友だちであり、著者とも親しい労働者たちへのインタビューがいい。
「誰も俺たちの言うことなんか聞いてやしないときに、俺たちがこの国を変えられるチャンスをもらった。使わずにどうする、と思ったね」
「この国の労働者の待遇をどんどん悪くしているのは、労働運動にも加わらず、雇用主とも闘わず、反抗もせずおとなしく低賃金で働く移民だよ」
「俺は英国人とか移民とかいうより、闘わない労働者が嫌いだ」
トランプを支持したり、EU離脱を支持した白人労働者層を「白人であること以外、誇るもの(アイデンティティ)のない人たち」という侮蔑的な言葉でいいあらわす風潮があります。しかし、ここに登場している労働者たちは違います。
離脱派も、残留派も、びっくりするような明晰さで「自分の立場」からの発言をしている。ふるえがくるほどいい言葉がビシバシでてきます。

つづいて、白人労働者階級を「ニュー・マイノリティ」(新しい少数者)と定義する社会学者ジャスティン・ジェストの論考を紹介し、「下層に釘付けされた白人労働者」たちの分析をしています。彼らが、俺たちがこんなにひどいめにあうのは安い賃金で働く移民のせいだと思うのも無理はない現実がある。
ジェスト教授の提言をうけて、これまでとは違うマニュフェストを掲げた労働党が、2017年6月の総選挙でメイ首相の思惑をくつがえす大躍進をしたのだという。

そして本書の白眉は第3部「英国労働者階級の100年」です。ここで著者は「英国労働者階級という、反逆的で、反権威的で、やけに誇り高い人々のマインドセット」を明らかにしています。
1910年が、イギリスに労働者階級が公然と姿を現わした年だった。工場でのストライキと、街頭で婦人参政権を訴えて暴れる女性たち。「召し使い」たちの不服従。
1926年のゼネラルストライキ。150万〜300万人が参加したストにリベラルと左派は反対した。右と左の闘いではなく、上と下との闘いであることを、労働者階級は自覚する。
1945年の労働党の圧勝を、イギリス史ではピープルの革命という。それになぞらえて、今回の離脱を「ピープルの革命」と表現するジャーナリストもいる。
1960年代には、ビートルズやザ・フーなど労働者階級出身の新たなカルチャーが発信された。労働者階級こそがクールな時代だった。労働組合の組織率はあがり、待遇改善の闘いは前進した。
1970年代のイギリスは、不平と不満の時代であり、誰も確かな方向性を打ち出せなかった。1979年に登場したイギリス初の女性首相・鉄の女サッチャーは、既得権益層(無能な世襲議員、官僚、労働組合)への徹底的な批判で、労働者階級の支持も得ていた。11年にわたるサッチャ―政権によって、イギリスの労働組合は無力化され、労働者階級という言葉は単に「貧乏人」と同義となった。
1997年に、長い低迷から抜けて政権をとった労働党・ブレアは、サッチャーから「一番できのいい息子」と評された。ブレアの時代に「都市の中心部を私有し、そこでの消費を楽しめる裕福な人々と、そこから排除された、地方の貧しい人々」に社会は分断された。EU離脱に票を投じたのは、この分断・固定された貧しい層=白人労働者階級だった。彼らは、国民投票というチャンスを得て、究極の「ちゃぶだい返し」をしたのだ。
2017年6月の選挙で躍進した労働党の党首は、左派・急進派として党内でながいあいだ不人気だったジェレミー・コービンだ。これを支えた若者たちの活動もめざましい。イギリスの労働者階級はふたたびその誇りを取り戻すことができるのだろうか。

なるほどなあ。
現在とは、過去の集積です。100年のイギリス労働者階級の歴史が、今回の離脱投票を生んだ。それは排外主義故の行為ではなく、自分たちの存在を国につきつける行為だった。

エマニュエル・トッドとあわせ読む

エマニュエル・トッド『問題は英国ではない、EUなのだ』(2016年、文春新書)では、ドイツが支配するEUの崩壊が避けられないこと、その引き金がブレクジットであることが、天馬空を行くような大所高所から論じられています。イギリスに触れるのは「イギリス人の第一の動機は物事の決定権をロンドンに取り戻すことにありました。つまり民主主義的な要求だったのです」というくらいです。
対して本書では、EUそれ自体やヨーロッパ全域の話しはほとんどでてきません。「地べたからの」という由縁です。きもちいいくらい対照的な二書ですが、あわせ読むことで、なにが、なぜ起きたかを、すこし理解できたような気がしました。

イギリス労働者階級100年の苦闘に、乾杯。
労働者階級の反乱 地べたから見た英国EU離脱 (光文社新書) -
ブレイディみかこ『労働者階級の反乱 地べたから見た英国EU離脱』光文社新書、2017年、820円+税。
posted by 三鷹天狗 at 12:17| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月13日

高山秀子『追憶の藤沢周平 留治さんとかたむちょ父ちゃん』

人生の師への、藤沢周平の真摯な敬意

本書の末尾に、見開きで載っている写真は迫力です。病臥する老人と藤沢周平が手を握り、じっと見つめ合っている。キャプションには「平成6年秋、最後のとき。互いに手を離そうとはしなかった」とある。作家・藤沢周平が小菅留治にもどり、人生の師・高山正雄にお別れを告げている。
この2年半後、1997年(平成9年)1月26日に藤沢周平は没し、高山正雄も翌年11月に亡くなった。

著者・高山秀子は、高山正雄の娘であり、長く「ニューズウィーク」東京支局で記者をつとめたジャーナリストです。
ほんらい、藤沢と父の関わりを書き残すべきは自分ではなく、藤沢と歳も近く直接の思い出も多い姉・敦子であるべきなのだが、「留治さんが有名になったがらて、しゃしゃり出るのはや(嫌)でがんす」と「かたむちょ」に拒絶する姉に代わり、家族に取材し、幼かった自分の思い出も動員して、いまは亡き父と藤沢の交流を書き記した一冊です。藤沢周平ファンにとっては、しみじみとありがたい。

藤沢周平の自伝『半生の記』(1997年、文春文庫)に、多感な青少年時代の藤沢に、教師以外で大きな影響を与えた二人の人物がでてきます。
一人は鶴岡印刷株式会社を経営する中村作右衛門。太平洋戦争のさなか、小学校高等科を卒業した小菅留治少年(後の藤沢周平)は、父の伝手で鶴岡印刷に就職し、夜は旧制鶴岡中学の夜間部に通学する。中村は、印刷会社以外にも手広く事業を行い、鶴岡商工会議所会頭を勤めるなど当時の鶴岡の名士でもあった。中学時代に県の柔道大会で7人抜きを演じた猛者で、50代の働き盛りだ。冬季は留治少年を居候させるなど徹底的に面倒をみた。将来は鶴岡印刷の幹部にしようという考えだったらしく、休日には留治少年に座禅をさせたり木剣を振るわせるなど、鶴岡の士道を叩きこもうとした。
もう一人が、本書の「かたむちょ父ちゃん」こと高山正雄。当時30代の若さでありながら藤沢の生まれ故郷・黄金村の助役だった高山は、酒を愛し学問を愛する熱血漢だった。出征で欠員のでた村役場に、たぶん将来の村を託する人材に育てようとの思惑もあってのことだろう、留治少年を引っ張る。
鶴岡印刷をわずか1年で退職して村役場にという話しに不満の中村は、ある吹雪の日「着ている外套の上から腰のところを縄でしばり」留治少年を連れて高山宅に赴く。鶴岡中学の先輩・後輩でもある中村と高山は、留治少年を別室に控えさせ、二人きりで少年の教育と行く末を論じる。
まるで、藤沢の小説の一場面のような印象深いエピソードです。15歳の少年の行く末を案じて、大人たちが熱くなって議論している。鶴岡という土地が人間を育むのだな、ということが強く伝わってきます。

高山と藤沢が同じ職場で働いた期間も、実は短い。留治少年は向学心にめざめ、山形師範への進学を決めて役場を2年で退職している。しかし、この2年間に高山から受けた酒と学問(「論語」など)の薫陶は、藤沢の生涯の土台となった。
教師となったが、結核にかかって退職を余儀なくされ、東京で業界紙記者として生きていくしかなかった藤沢は、結核という病ゆえに故郷を追われた者ともいえる。
なのに、故郷鶴岡への恨みや怒りは、藤沢の文章に一度としてでてこない。最初の妻・悦子をガンで亡くしたことと、故郷を去らざるを得なかったこと、その人生の理不尽を、小説という表現に昇華したところに、作家・藤沢周平の誕生があった。
「留治さんと父の手紙や電話のやりとりは、師範学校時代から彼が肺結核の治療のために上京したあとも、作家として名を成したあとも、亡くなるまで続いていた。」
高山は藤沢が作家として食べていけるかを案じており、安心させるために藤沢が便箋五枚にびっしりと執筆状況を報告している手紙の実物が掲載されている。直木賞を受賞する前の、藤沢自身も「食べていけるか」という確証をもちきれていない時期の手紙です。人生の師に対する敬意をはらいながらも、今は年老いた師を安心させようとする思いやりに満ちている。

高山は、55歳の若さで脳溢血のために半身不随となった。しかし、読書にいそしみ、刊行のたびに送られてくる藤沢の新刊を読むのがなによりも楽しみだった。つまり、藤沢の「海坂藩」ものの全小説は、まずは高山正雄が読むことを想定して書かれている。高山の規範、情感が受け入れられるものしか書かないというしばりがかかっている。だからこそ、あのような珠玉の作品が生み出された。
まさに、藤沢にとっての人生の師です。

10年ぶりの再読。鶴岡と藤沢の熱いきずなを思う。

本棚から久々に引っ張り出して10年ぶりの再読となった。故郷鶴岡と高山正雄の存在が、藤沢にとっていかに大きく、重要なものであったかをあらためて感じました。
正雄は、藤沢が見舞いにたちより、しばしの歓談のあと帰っていくと、必ず泣いたという。姉・敦子が、そんな父を詠んだ句が掲載されている。
 延齢草 老父(ちち)少年の泣顔す
 病む人のほうがおだやか白芙蓉
いい句です。

藤沢周平と故郷鶴岡、師・高山正雄の熱いきずなに、乾杯。
追憶の藤沢周平―留治さんとかたむちょ父ちゃん -   延齢草2.png 白芙蓉.jpg左:延齢草、右:白芙蓉
高山秀子『追憶の藤沢周平 留治さんとかたむちょ父ちゃん』集英社、2007年、1300円+税。
関連:2017年01月13日、「没後20周年記念 藤沢周平展」http://boketen.seesaa.net/article/445877050.html
posted by 三鷹天狗 at 10:33| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする