2017年10月06日

『小説新潮』10月号、上橋菜穂子×遠藤展子対談「橋の向こう側」

上橋さん、「タイトルが思いだせない」とお嘆きの短篇は「浦島」(『玄鳥』所収)です。

『小説新潮』10月号に「藤沢周平没後20年記念対談」として、上橋菜穂子×遠藤展子(のぶこ・藤沢周平長女)対談が載っている。
藤沢周平の数十年来のファンであり、数年前から『守り人』シリーズにはまったにわか上橋ファンでもある私にとっては、とても楽しい対談です。
上橋が初めて藤沢作品にひきつけられたのは、オーストラリアでアボリジニ研究のフィールドワークをしているとき、知人が置いていってくれた日本の文芸雑誌に載っていた短篇を読んでのことだという。
「下級武士が主人公で、詰所のようなところに囲炉裏がきってあって股火鉢状態でいろんな話をしている」場面が記憶にあるのだが、タイトルがいまだに思いだせなくてもどかしいという。遠藤展子も、そう聞いただけではピンとこないらしく「ああ、それは○○ですね」とうてば響くように応答する展開になっていない。対談担当の編集者も分からないらしく、文末に注記するということもしていない。

これこれ、そこなお女中ふたり。そこもとたちが話題にしている藤沢周平の書き物というのは「浦島」という短篇じゃ。
かつて勘定方に勤務していた御手洗孫六が、酒のうえの失態で普請組に左遷された。10数年のときを経て左遷を解かれる日が来るのだが、孫六はむしろ普請組の暮らしにすっかりなじんでいる。風雨にさらされて見廻りなどしたあと、詰所に戻れば土間の焚き火がなんともいえず暖かい。股を大きくあけて火にあたりながら、足軽たちのやや品下がるうわさ話やお色気話を聞くのが楽しみになっている。孫六が火にあたるときの満ち足りた気持ちが、くっきりと脳裏にきざまれる好短篇です。

藤沢作品には、さりげない一場面が、あざやかに映像として残るという特徴があります。上橋の脳裏に「詰所で股火鉢状態の下級武士」という映像が残った、その同じ場面がすり減りつつある呆け天の脳裏にも残っていた。読んだ瞬間に「あァ、あの作品ね」と分かりました。
さすがにタイトルまでは思いだせませんでしたが、本棚をさがしてみると、士道ものの短編集『玄鳥』(文春文庫、1994年)に入っている「浦島」でした。
タイトル「浦島」は、10数年ぶりに左遷を解かれた孫六が、勘定方に戻ってみたら浦島太郎状態でさっぱり仕事についていけないことをさしています。若い同役にまであなどられて、うっぷんがたまった孫六は、ながいことやめていた酒を解禁、居酒屋で自分を笑いものにしている連中にケンカを売る。それを上役に見とがめられて、ふたたび普請組に戻される。しかし、孫六はむしろ普請組に戻されてほっとしている。その、内心のうれしさが、股をひろげて焚き火にあたる孫六の姿にみごとにスケッチされています。

それにしても、上橋菜穂子が以前から藤沢周平のファンだったとは、うれしい限りです。その出会いがオーストラリアでのフィールドワーク中だったということを知って、高野秀行と同じだなと思いました。高野は、長い海外探検旅行、特にアジア最奥部に出かけるときの必携本が藤沢周平だと書いています。体がしょうゆや味噌汁を求めるように、脳が日本語を欲する。そのときに、藤沢の作品ほど「日本語の飢え」を癒してくれる作品はないだろうな、確かに。

青江又八郎と父をかさねる娘に、じんとくる

上橋と遠藤展子は同い年。会うのは初めてだがメールのやりとりをするほどの仲だそうで、しっくりとかみ合った対談が心地よい。
対談のなかで遠藤展子は、父の書いた作品の登場人物で、父が投影されていると感じるのは、青江又八郎(『用心棒日月抄』)だと語っています。
よんどころない成り行きで東北の小藩を脱藩し、おのれの才覚ひとつで生き抜く青江又八郎の悪戦苦闘、故郷への複雑な想い。
結核ゆえに、故郷山形での教職を奪われ、東京でしがない業界紙記者(姉たちは「アカ新聞」と心配している)として身過ぎ世過ぎをしている藤沢周平、その故郷山形への複雑な想い。
しかし、その苦しみは、淡いユーモアで彩られてもいる。青江と藤沢、二人の境涯、心の葛藤を、重ね合わせてみるまでに、あの幼かった娘は成熟した。それ自体が藤沢作品の世界ですね。じんときました。

オーストラリアでの、藤沢周平と上橋菜穂子の出会いに、乾杯。
藤沢周平を敬愛する作家と藤沢周平の娘の、愛にあふれた対談に、乾杯。
小説新潮 2017年 10 月号 [雑誌] -
『小説新潮』10月号、上橋菜穂子×遠藤展子対談「橋の向こう側」、930円。
関連:2017年01月27日『オール読物』藤沢周平特集、http://boketen.seesaa.net/article/446354280.html
posted by 三鷹天狗 at 08:26| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月04日

「池田学展 The Pen ―凝縮の宇宙― 」日本橋高島屋8Fホール(10月2日)

とんでもないものを見たー超絶の技巧、深いテーマ
評判のたかい池田学展を見学しました。とんでもないものを見た、という衝撃があります。
いちばん強烈だったのが『Gate』(2010年)という作品です。
池田学3.jpg絵葉書より
海面にコンクリートの穴が空いていて、その下には巨大な都市空間が広がっている。なんという美しさ、まがまがしさ。水門(Gate)を超えて海水がなだれこんだら…という恐怖。飛んでいる飛行機が、あの9・11テロを想起させて不気味です。作者自身が後にニューヨークを訪れた時に、「2010年に制作した〈Gate〉とグラウンドゼロがあまりによく似ていたので驚きました」と語っています。この絵が東日本大震災の前の年に描かれた。9・11と3・11が重なり合っている。空前絶後と言ってよい絵でしょう。透徹した芸術的な営みが、時空を超えてしまっている。

福島原発事故を正面から見つめた『Meltdown(メルトダウン)』。カナダの大自然と、メルトダウンを滅びゆく帝国ラピュタのように表現している。
東日本大震災の3年前に描かれた『予兆』。おそろしい大津波が、あらゆるものを飲みこんでいく。なぜ、この絵がこの人に降りてきたのか。なにか超越的なものの啓示か?
子ども時代のスケッチ、芸大受験二浪時代のデッサン、卒業制作、10年近くに及んだという朝日新聞法廷画家時代のスケッチ、『興亡史』と名付けられた奇妙な城など、約200点。
ただただ、圧倒されます。しかし、深刻な顔で鑑賞することを要求するような雰囲気ではありません。天才少年の遊び場に招待されたような感じ。アメリカ人なら「ワオッ」と肩をすくめる、日本人だと目を丸くする、イタリア人なら走り出す(知りませんが)。それぞれのお国柄の「びっくらこいたぜ」反応をよびおこすような展示です。

なんと、最新作の『誕生』は、撮影自由です。いいですねえ。
池田学6.jpg 池田学7.jpg
みなさん、顔を近づけ、拡大鏡をとりだし、なめるように見ている。事情通らしい人が「見て見て、あそこに描かれている女の子は娘さんらしいよ」といったことを連れの人にささやいている。
作者によれば、大震災からの復興や新しい生命の誕生を描いたのではない。たとえば美しい花はすべて人工物として描かれている。あえていえば大災害との共存というのがテーマだという。恵みも災いももたらす大自然、大宇宙と人間の共存。深く大きな問いかけです。
3×4メートルの巨大な作品です。これを、1ミリのペン先のペン画で仕上げた。1日に描けるのはだいたい10センチ四方くらい。それを、下絵なしでイメージのままに描きすすめ、3年がかりで仕上げたという。
常人じゃないね、とか、その間の生活費はどうやってまかなうんだ、とか、凡俗の徒の想念はおよそ芸術的ではない方向に走ります。
会場の一画にビデオコーナーが設けられ、約15分くらいのインタビューが流れています。なんだか、思いっきり普通感のただよう青年が、すこし頼りなげな雰囲気で質問にこたえています。1973年生まれだから、もう青年という歳でもないか。
影響をうけたアーティストはいないと語る池田に「宮崎駿のアニメ作品に似ているのでは」という遠慮のない質問が。
「アメリカでも、そういわれます。宮崎アニメは子供のころから見てきて、映像や世界観に共鳴してきました。だから当然、影響をうけているんでしょうね」とあっさり答える。つまり、宮崎アニメはめざすアーティストとして仰ぎ見るものではなく、自分を構成している一部、血肉になっているものだということでしょう。
なるほどなあ、という納得感があります。

いま北斎の誕生です。次は10倍くらいの会場で。

江戸時代の人が、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」を見た時に、とんでもないものを見た!と感じたはずです。超絶的な技巧や大胆きわまる構図は、素人には想像もつかないもので、150年後の私たちが見てもすごいとしかいいようがない。
葛飾北斎2.png
池田学の作品は、いま同時代を生きている私たちに「とんでもないものを見た」と感じさせるのはもちろんですが、150年後の人間がみても、すごい、よくぞこんな作品がと驚嘆させるでしょう。
アメリカの雑誌『Life』誌が1999年に発表した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に、日本からただ一人葛飾北斎が選ばれていますが、池田学の仕事は、まっすぐに北斎とつながっていると感じました。「いま北斎」の出現です。
いかにも残念だったのが、展示会場のスペースが狭すぎること。この10倍の広さのところで開催してほしかった。「国立新美術館」ならそれが可能です。次に東京展をやるときは、いくつかの作品は10倍くらいに拡大したパネルやスクリーンで見せるとか、宇宙的な広がりの中で見るような、斬新な展覧会にしてほしいものです。なにしろ、国のお宝級の絵画です。

超絶の技巧、想像を絶する構図、深いテーマ。いま北斎の出現に、乾杯。
「池田学展 The Pen ―凝縮の宇宙― 」日本橋高島屋8Fホール、9月27日〜10月9日。
posted by 三鷹天狗 at 08:35| Comment(0) | 美術・水彩画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月02日

無惨なり民進党の狂い舞い(呆け天)

老老居酒屋談義は、果てしもなく

それにしてもなあ。一夜にして解党して、小池百合子の前に整列して、選別してもらうとはなあ。
ネコがまたたびに酔って、狂ったように踊るさまにはまだなにがしかの愛嬌があるが、民進党の狂い舞いは、ただただ醜い。小池は「安保法制と改憲が踏み絵」と宣言している。つい先年、国会前のデモの熱気におされて、安保法制に反対し、立憲主義の理念を語った民進党の国会議員たちは、この踏み絵を踏むのか。人として、恥という感情はないのか。
これで希望の党なる「小池私党」がかなりの議席を占めたとしたら、日本会議所属の極右が頭目の政党が二つできて、与党・野党を名乗ることになる。世界中さがしたってそんな狂った政治の風景はない。

などとぼやきながら、所用でお会いした10歳年上の先輩(在野の歴史学者、中国・アジア史)と、居酒屋に流れて老老談義がはじまった。
先輩はわたしのボヤキは肯定しつつも、政治の世界には「ひょうたんからコマ」ということがあると説く。
「小池百合子には政治理念なんてないよ。日本新党からはじまった政治遍歴は、ただ出世欲・権勢欲に貫かれているだけ。そのときウケそうなことをいうのがポピュリストなんだから。都政で都議会自民党が窮地にたったように、国政で自民党が窮地にたつ可能性があるのは結構なこと。とりあえず安倍退陣となれば、政治がどう転んでいくかはわからない。ひょうたんからコマがでるということだってあるかも知れない」
「それはいくらなんでも楽観的すぎませんか。小池はまっさきに維新と候補者調整してる。つまり、自民党より右の結集軸を作る。そして自民党に高く売りつけるというのが、彼らの考えてることでしょ。」
「もし希望の党が小泉や細川と連携して脱原発をかかげたらおもしろいよ、小泉・細川は小池のむかしのボスだからね。」
「小池は核武装論者でしょ。脱原発なはずがない。むしろ、安倍のオカブを奪う目論見で自前の核武装論なんか言いだしやしないかと心配なくらいです。」
「いやいや、うけるためならなんだっていう可能性はある。」…

ソ連邦の崩壊が、日本では社会党の解体と直結した。いま見ているのは、その無惨な結末だ。
「日本では社会党の解体がこんな惨めなありさまをうんでいる。どうしてヨーロッパではソ連が崩壊しても、イギリス労働党、フランス社会党、ドイツ社会民主党といった政党が解体しなかったんですかね」
「彼らは第2インターナショナルであり、レーニンの第3インターナショナルやその延長にあるスターリン主義とは相いれなかったからね。ヨーロッパではソ連崩壊と一緒に崩壊したのは各国の共産党です。社会民主主義政党は、むしろ社会主義をめぐる議論で正しかったのは自分たちのほうだったと主張している。」
「フーム、日本では社会民主主義政党のはずの社会党が崩壊して、スターリン主義の党だった共産党が生き延びている。それはなぜですか。」
「日本の社会党を支えた背骨は向坂派協会だからね。彼らはソ連共産党の無批判的な追随者だもの。ソ連崩壊と一緒に崩壊したのは必然です。」
「共産党こそスターリン主義の権化のような党だったではないですか。彼らはなぜ生きのびることができたのですか。」
「ま、最初に社会党・向坂派協会とのソ連出先機関争いで負けて脱ソ連・親中国路線をとり、次に毛沢東の干渉をきらって自主独立の党を名乗ったのが、いまになってみると幸いしたということかもしれんね。」
「すると日本では、社会民主主義政党の役割りを共産党が担うわけですか。」
「どうだろうね。それはたぶん無理じゃないかな。レーニン主義・スターリン主義の誤りの核心は民主集中制で、共産党は今もそれだけは絶対に手放さない。その点では、中国共産党の党組織論とまったく同じさ。もし共産党が、民主集中制は間違いでした、分派も派閥もOK、これまで党内の異論を『反党分子』『スパイ』などと断罪してきた過去を謝罪します、なんていったら、面白いけどね。まずそれはありえない。」
「日本では、健全な保守と健全な社会民主主義が議論し合うといった政治は望むべくもない、ということなんですかね。」
「なにも欧米型の構図を健全と思わなくともいいだろ。欧米型の二大政党制そのものが金属疲労をおこしていることは、トランプの出現や、EC各国の右翼の台頭にはっきりあらわれている。政治には理想は求めない方がいい。戦争をやりたがっている安倍・麻生といった馬鹿どもよりは少しましな政府を、というあたりをめざすしかないんじゃないの。」…

安保法制反対や反原発など、安倍政治に対抗する国民的なレベルのうねりはあるはずなのに、どうしてそれがまとまった政治勢力になりえていないのか。
「安全保障、エネルギー政策、社会保障といった政策で一致して、あとはゆるやかに連携している。そんな小さな政党の連立政治のスタイルはありえないんですかね。」
「どんな政策にするの。」
「@憲法を改正して在日米軍に退去してもらう。自衛隊の役割りを憲法に明記し、同時に、外国軍隊の駐留はこれを認めないと明記する。
A脱原発。自然エネルギーへの転換。
Bベーシックインカム(基礎所得保障)の導入。国民すべてに年額150万円を支給し、現行社会保障(生活保護、年金等)は廃止する。
ふだんはローカルな課題で政治・政党活動をしているひとたちが、国政レベルではこの三つを共有して連合するというイメージです。」
「なんだかいきなり無茶をいうね。@は、いま憲法改悪阻止でまとまっている勢力に水をさすことになるんじゃないの。」
「いや、左派の側からの憲法改正論議が、いまこそ必要なんですよ。でなければ、沖縄の基地負担の軽減は永久にできない。いまの憲法の、国民主権、個人の尊重、基本的人権などの条項はぜんぶ生かして、自衛隊の明記、外国軍隊駐留の不可を書きこむ。現憲法を後生大事にあがめている思考停止こそ、いまの左派の退潮をうんだのではないですか。ま、これは、まんま矢部宏宏治(『日本はなぜ基地と原発を止められないのか』)の受け売りですけど。」
「たしかに、五日市憲法草案のような庶民レベルからの憲法論議は必要だね。」
「どこかで、そういう動きはありませんかね。迂遠なようでも、そこから始めないかぎり、自前の民主主義は育たないと思うんです。」…

酒は果てしなくすすみ、議論にも果てしがありません。
民進党の崩壊をむしろ奇貨として、リベラル派があちゃこちゃから名乗りをあげて、自分が生活しているその地域で当選する。そんな風景が見たいなあ。

憲法に「外国軍隊駐留不可」が書きこまれ、ベーシックインカム導入で「貧困」が解決される未来に、乾杯。

関連:2015年03月06日、矢部宏治『日本はなぜ…』http://boketen.seesaa.net/article/415124807.html
2016年03月23日、色川大吉編著『五日市憲法草案…』http://boketen.seesaa.net/article/435495692.html

追記:枝野幸男民進党代表代行が「立憲民主党」を立ち上げるという。安保法制反対、脱原発を主張していた議員たちはこの党に結集して、意地をみせてほしいものです。武蔵野市の市長選挙では、反自民野党連合がダブルスコアで勝った。松下玲子34166票、高野恒一郎17933票。反自民感情がかくも高まっているときに、民進党を最悪の形で解党させた連中の罪は重い。(10月2日夜)
posted by 三鷹天狗 at 09:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする