2018年06月17日

二人にノーベル賞やれ!と老人飲み会もりあがる

いつもの土曜日、いつものように碁会所から居酒屋へ移行した老人5人(60〜80代)が居酒屋談義です。囲碁話が一段落したところで、米朝会談が話題に。

「こういうのを、ひょうたんからコマというんじゃない」
「たなからぼたもち」
「ウソからでたマコト」
「ウソつき同士だったから、いい結果がでた」
「バカにしかできないことだったかもしれない」
「あいつら、そんなにバカでもないかもしれないぞ」
「キムジョンウンは英語しゃべってたな。バカじゃ英語はできない」
「たしかスイスに留学したことあるらしいから、そこで覚えたんじゃない」
「オレは、あの妹が糸を引いてるとみるね。賢そうだもの」
「名前なんてたっけ。いつも横か後ろにいるあの若い女だろ」
「キムヨジョン。平昌オリンピックの時よくテレビに映ってた」

「オレは、トランプとジョンウンにノーベル賞やれといいたいね」
「それは気が早いんじゃない、まだどう転ぶかわからないし」
「ノーベル賞なんて誰のハラもいたまないんだから、どんどんやればいんだよ」
「そうそ、明日にも戦争はじまるかというのが、一転して戦争の心配がなくなっただけでもノーベル賞もんだ」
「トランプはまだしも、ジョンウンはまずいだろ。世界を核兵器で脅してんだから」
「国じゃ国民を飢えさせて」
「日本人は拉致したままだし」
「だれもあいつにノーベル賞とはいいださないよ」
「だから、オレがあげるって言ってるの」…

酒とともに迷走していく居酒屋談義。戦火の悲惨さを体験している古老(80代後半)が二人も混じるだけに、「戦争だけはダメ」「どんな駆け引きも戦争よりはマシ」という一点は揺るがない。

武蔵境の居酒屋から、東アジアの平和を祈って、乾杯。
                                                           右の写真の右側がキムヨジョン。Webから拝借
posted by 呆け天 at 09:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月16日

吉村昭の弟の葬儀を司宰したのは、福島泰樹だった

このごろちょっとないくらいおどろいた

6月10日に吉村昭記念文学館で瀬尾まなほ講演会があり、「ゆいの森あらかわ」にでかけた。こうした講演会や企画展などがあったときの楽しみは、常設の展示コーナーと、吉村昭関係の書籍がまとまっている書架をみることです。
吉村の著作がそろっていることはもちろんですが、さまざまな雑誌でおこなわれた吉村昭特集や、吉村となんらかのかかわりがあった人の書いた著作などをみるのも楽しい。
福島泰樹『追憶の風景』がある。ふ〜ん、福島泰樹と吉村昭になにか接点があったのかしらと手にとった。福島が、108人の故人とのふれあいを追憶したエッセイ集です。目次に「死顔 吉村昭」とあるので、そのページを開く。

「役僧を頼まれて大宮の式場にいた。静岡から住職は来ない。車の渋滞に巻き込まれたらしい。私が通夜の代役を務めた。『涙が流れた。弟の病苦も、この読経によっていやされ、死の安らぎの中に弟が抱かれるのを感じた』。この一節にふれ、胸を熱くすると同時に、弔いを司宰する者の責務の重大さを思い知らされていた。」

これには、心底おどろきました。
妻・津村節子から「一卵性双生児のようだ」とからかわれるほど吉村昭と仲の良かった弟・隆は、壮絶な癌との闘病の末に1981年の夏に亡くなった。弟の苦痛、それを見舞う吉村の苦しみは『冷い夏、熱い夏』(作中では、弟の名は広志)で壮絶なまでに書き尽くされています。
その弟の葬儀を、絶叫歌人・福島泰樹が司宰したというのか。
しかもその後、根岸の居酒屋「鍵屋」で飲んだり、福島の絶叫コンサートに何度も足をはこぶなどの交流があったのだという。あの朗々たる声で読経をしてもらえば、「死の安らぎの中に弟が抱かれるのを感じた」というのも分かるような気がする。弟と一緒に苦しみ抜いた数ヶ月で、ほとんど倒れる寸前まで追いつめられていた吉村本人にとっても、いやされるひと時だったろうなあ。良かった。こんな出会いもあるんだなあ。

しかし、それにしても、これほど感動的な場面が、どの本に書かれていたかをまるで思い出せない。
不肖・呆け天は吉村昭のファンを任じており、出版された長編とエッセイはぜんぶ読んだつもりになっている(ただし、純文学系の短編はあまり読んでいない)。
自分が読んだ限りのなかに「涙が流れた。弟の病苦も、この読経によっていやされ、死の安らぎの中に弟が抱かれるのを感じた」という一節は記憶にない。しかし、この一節は、まぎれもなく吉村昭の文章そのものだということは分かります。
なぜこれほど印象的な一行を忘れてしまったのだろう。
まず、『冷い夏、熱い夏』(新潮社1984年、新潮文庫1990年)を再読してみる。小説は、亡くなった弟を、病院の霊安室で棺に入れ、葬儀社の車で病院を出るところで終わっている。近くの神社でお祭りがあり、信号待ちする葬儀社の車と、紅白の綱で山車をひく子どもたちのコントラスト。祭り好きだった弟という伏線があり、きわめてあざやかなエンディングだ。葬儀の場面は、まったくない。文庫化にあたって推敲することもありうるから、単行本、文庫本の両方をチェックしたが、ありません。
そうか、この一文は『冷い夏、熱い夏』ではないのか。エッセイのタイトルが「死顔 吉村昭」とあるから、吉村昭最後の作品集である『死顔』(新潮社2006年)にあるのかもしれない。
『死顔』には、5編の短編が収録されており、表題になった「死顔」は次兄の死がテーマになっている。弟が亡くなったことも触れられてはいるが、弟の葬儀といった話しはでてこない。父が亡くなった時と同じように、干潮時に次兄が亡くなったことが強く印象に残る、好短編です。

どういうことだろう。この2作でなければ、おびただしい数のエッセイの中に、それはあったのだろうか。
吉村は、エッセイで自分の家族や兄弟について触れたものも多く書いており、最愛の弟もいろいろ顔をだす。しかし、弟の死について触れたエッセイというのは記憶にない。『冷い夏、熱い夏』で、書き切ったということだろう。単行本には、加賀乙彦(作家・精神科医)との対談が付録でついている。ここで吉村は、この作品を書くことがどれほどつらかったか、「今だったら絶対に書けません」とまで語っている。
『戦艦武蔵』を書いたのは「18歳までに自分の目で見た戦争を、書かずには死ねない、そんな思いに駆られて書いた」「今度も同じでした。(略)死というものが自分の前にたちはだかった以上、これを書いておかなくては前へ進めないんじゃないか」と、痛切なことばで語っています。吉村にとってきわめて重い比重をもつ作品です(『時代の声、資料の声』所収)。

手元にある単行本と文庫のエッセイ20冊を全部チェックしたがみつからない。たぶん、1981年以降のエッセイはこれで全部のはずだが。かの一行だけでなく、福島泰樹の名がでてくる文章も見当たらない。いやはや当惑しました。こういうことがあるんだなあ。福島さん、せめてその一行の初出を書いておいて欲しかった。
どうやって吉村の一文にたどりつこうか。探索の楽しみがひとつ増えた、と思うことにする。

もしかして同じ会場にいたことがあるのかもしれない

わたしは秋田出身の歌手・友川かずきのファンです。友川をたかく評価する歌人として福島泰樹の名を知り、「短歌絶叫コンサート」を何度か観に行きました。福島のコンサートに、友川がゲストで出たこともあった。「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」(寺山修司)を絶叫する場面など、いまも記憶にあります。
コンサートに吉村も来ていたのであれば、もしかして同じ会場にいたなんてことがあったかも知れない。
福島はこのエッセイに「根岸鍵屋吉村昭と飲む酒はあかるい笑みがただ溢れてた」「生きるとは敗者の悲しみ背負うことなど言いてまた盃を揚ぐ」という二首を記しています。ともに酒好きの二人にぴったり。いいなあ。

吉村昭の弟・隆さんの葬儀に流れる福島泰樹の読経に、献杯。

関連:福島泰樹『追憶の風景』晶文社、2016年、2000円+税。
吉村昭『時代の声、資料の声』河出書房新社、2009年、1600円+税。
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posted by 呆け天 at 09:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月13日

ワルふたり それでも戦争よりはいい(呆け天)

6月12日、歴史上はじめての米朝首脳会談が開かれた。
ついこの間まで「チビ・デブ・ロケットマン」「老いぼれた狂人」とののしりあっていたトランプと金正恩。世界のきらわれもの、はなつまみもののふたりが、笑顔で握手し「歴史的会談」と自賛する。

ワルふたり それでも戦争よりはいい(呆け天)

川柳見習い中の呆け天の脳裏に、しぜんに浮かんだ一句です。
ろくでもない二人であっても、この会談がおこなわれたことで、いつ戦端が開いてもおかしくないような緊張を、すくなくとも半年か1年は先送りしたでしょう。それは無条件にいいことです。
ニュース解説などでは、「非核化」に向けた成果はなかったなど語られていますが、それは当然でしょう。リビアのカダフィ、イラクのフセインは、核兵器がないと分かったら、あっという間に吊るされた。これが強いメッセージとなって北朝鮮の核実験・弾道ミサイルは加速された。
金王朝の命綱が核兵器です。命綱なしでも吊るされないという状態ができるまでには、まだまだ長い時間がかかるのは当然です。戦争無しでそれをやりとげる、その1歩がこの会談だと信じたい。

2017年3月にアメリカCIAがまとめた「ワールドファクトブック」によれば、韓国の名目国内総生産(GDP)1兆9290億ドル(約217兆1860億円)に対し、北朝鮮は400億ドルにすぎず、経済的格差は48倍にものぼっているという(五味洋治『朝鮮戦争は、なぜ終わらないのか』P190)。
経済的に追いつめられながら、100万人の軍隊を維持し、核兵器・弾道ミサイル開発に狂奔する。この国を、暴発させずに、軟着陸させる第1歩が、朝鮮戦争終結です。韓国・北朝鮮・アメリカ・中国の、朝鮮戦争の当事者4カ国が、現在の休戦状態をおわらせ、はっきりと戦争の終結を宣言する。日本を含む関係諸国は、平和の維持や、南北朝鮮の段階的統一のための援助を惜しまない。
そうした方向に向かう、第1歩がこの会談だったとのちにふりかえられるようなら、トランプと金正恩への嫌悪の情など、どうでもいいことです。

米朝首脳会談が開催されたことに、乾杯。
米朝会談.jpg
2018年6月12日朝日新聞夕刊
posted by 呆け天 at 12:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする