2017年12月06日

下斗米伸夫『神と革命 ロシア革命の知られざる真実』

まったく知らなかった、もうひとつのロシア革命の姿

1917年にロシアのボルェビキはわずか5000人にすぎなかった。それが「全権力をソビエトへ」というスローガンで魔法のように権力奪取までつきすすんだのは、ロシアにおける革命の古層・永遠の反乱者=古儀式派(ロシア正教の異端派)の支持を得たからだ。「ソビエト」という呼称は、もともと古儀式派の「信徒集団」に由来する…。
なにか、陰謀論とかトンデモ本とかに分類されかねない主張に聞こえますが、強い説得力があります。ソ連が崩壊したことで、これまでタブーとされてきた宗教に関する資料・史実研究が可能となった。そこから浮かび上がってくる「知られざる真実」に迫る本です。

しかし、まあ、驚きの内容です。
通説として知っているロシア革命史の裏側に、透かし絵のようにあぶりだされてくるもう一枚の絵を見ている。そんな気分になります。
ものすごく乱暴に要約すると 次のようなことです。
1、ロシアには、350年以上も前にロシア正教会から「異端」の烙印をおされた古儀式派があった。
1666年にロシア正教は分裂した。「モスクワこそ第3のローマ」と考え、第2のローマたるコンスタンチノーブルがオスマン・トルコに奪われても別に奪回戦争などしなくていい、と主張したのが異端派だ。メシアニズム、大ロシア主義的なナショナリズムが根底にある。首謀者は火あぶりにされ、信徒は徹底的に弾圧された。
ロシア皇帝のいるペトログラードを背教者の都とみなし、モスクワこそ「聖なる都」と考えている。教会を持つことを禁じられ、主にボルガ河沿いに住む。数十の分派に分かれてはいるが、ロシア正教会に対する反逆の意志を常に保持している。かれらは、自分たちの信徒集団を「ソビエト」と呼んでいた。
2、1905年、地方都市イワノボに姿を現わした「ソビエト」は、古儀式派の労使協議機関だった
古儀式派は、勤勉、世俗的禁欲を旨とし、西欧プロテスタンティズムが資本主義を生んだように、ロシアにおける産業勃興の推進力となった。モスクワとボルガ沿岸の大工場は、労使ともに古儀式派だった。1905年ロシア第1革命のときに初めて歴史に登場した「ソビエト」は、実は古儀式派の労使の協議機関だった。だから、当時のレーニンはソビエトをまったく重視していない。
1917年ロシア革命時が古儀式派の最盛期でもあり、ロシア人口の3分の1を占めていたともいわれる(ソ連崩壊後の現在は約200万人)。
3、「全権力をソビエトへ」がモスクワで圧倒的な支持を得る。
レーニンは1917年4月テーゼで、ソビエトをパリコミューンの再来と位置づけ、「全権力をソビエトへ」と叫んだ。このスローガンがロシア革命の決定的な動因となった。それまで、ボルシェビキはソビエトをうっとうしく思っており、革命委員会とか、もっと効率的な党支配の貫徹する方法を好んでいた。もともと古儀式派の信徒集団の「ソビエト」は、食料の分配や暮らしにかかわるあれこれを民主的な話し合いで決めるものであったから、全員参加型の、非効率な決定機関だった。
「全権力をソビエトへ」は、2月に勃発したロシア民主主義革命が、労働者階級によってのみ完遂されることを告げる雷鳴となり、ボルシェビキによる権力奪取へとつながった。古儀式派のリーダーも信徒も、全力でこれを支持した。
4、「労働組合論争」「クロンシュタットの反乱」「教会弾圧」「食糧調達と農民鎮圧」…
以下、脆弱なスタートをきったプロレタリア独裁という名の共産党一党独裁と、労働者・農民・兵士との軋轢が、古儀式派との絡みで延々と叙述されていきます。著者自身が研究途上にいくつかの雑誌・学会誌に発表したものであるため、素人が要約するのは手にあまります。
これだけ面白いはなしですから、新書などの形ですっきりと整理したものが、近いうちに上梓されるのではないかと期待します。

佐藤優『自壊する帝国』には「分離派」として登場

それにしても、これまでロシアやソ連に関する本の中に「古儀式派」という言葉を聞いたことが一度もないのはなぜなんだろう。あれほど、キリスト教とマルクス主義の両教義に詳しい佐藤優の本のなかにだってでてこなかった…と思って、念のため『自壊する帝国』を調べてみたら、「分離派」という名称で、ばっちりとでていました。
モスクワ大学で知りあった反体制活動家サーシャに連れられて、ラトビア共和国の首都リガで、分離派のしかも壊滅したはずの無司祭派の修道院を訪ねる印象的な記述があります。
さらに、ソ連維持派の国家主義者「黒い大佐」ことビクトル・アルクニクスは、分離派を出自とする政治家だった。彼は、日本政府に逮捕された佐藤優を救出するため、ロシア上下院議員の署名を集めることを提案してくる。佐藤は弁護人を通じて固く辞退したという挿話もでてきます。いかにも「永遠の反乱者」古儀式派出自の政治家らしい申し出です。

『神と革命』の最後に、1922年のシューヤ紛争がとりあげられている。飢饉に対処するために教会のイコン等を収奪して売却すべきだという強硬派(レーニン、トロツキー、スターリン等)と、教会と和解して飢餓に対処すべきという古儀式派系穏健党員(カリーニン、ルイコフ等)が対立し、レーニンは抵抗する聖職者や信徒への発砲を許可した。
1990年、ペレストロイカのさなかに、この時のレーニンの指示文書が公開されたことで、レーニンとスターリンは別であるという伝説は崩れ落ち、「レーニンに帰れ」というゴルバチョフのペレストロイカは崩壊した。

まだまだ、これくらいではすまない「ロシア革命の暗部」が、長期にわたって、あらゆる角度からでくるでしょう。なにをなすべきか、なにをなすべきではないか。ロシア革命についてのあらゆる角度からのタブーなき検証が必要です。そうしてこそ、20世紀最大の転換点となった革命の、真実の意義が明らかにされる。

透かし絵のように浮かび上がる、もう一つのロシア革命の姿を描いた労作に、乾杯。
神と革命: ロシア革命の知られざる真実 (筑摩選書) -
下斗米伸夫『神と革命 ロシア革命の知られざる真実』筑摩書房、2017年、1800円+税。
関連:2017年11月09日、ロシア革命100年にあたって、呆け老人が思うことhttp://boketen.seesaa.net/article/454760200.html
posted by 三鷹天狗 at 09:07| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月04日

柳家小三治師匠の、頸椎手術成功と高座復活を祝す

噺(はなし)の中に出てくる登場人物は、この先どうなるのか何も知らない

朝日新聞「語るー人生の贈りもの」に、頸椎手術が成功した柳家小三治師匠(以下敬称略)が登場した。やれ嬉しや。全14回の、充実した内容で、堪能しました(10月30日〜11月17日)。
8月に体調を崩して高座をキャンセルしたというニュースが流れました。変形していた頸椎を手術、入院は3週間に及んだが、退院5日後の9月13日、岐阜県多治見市の落語会で高座に復帰したという。良かったよかった。

厳格な教育者だった父への反発、高校生の時ラジオの「しろうと寄席」で勝ち抜いたこと、大学受験に失敗して柳家小さんに入門を決意。このとき父が小さんに「これからは落語家も教養のある落語をやらなきゃいけない。師匠からも大学に行くように言ってください」と頼んだ。郡山剛蔵少年(19歳の小三治)は「冗談言っちゃいけねえ。教養のある落語なんておもしろくねえ」と師匠の前でタンカをきったという。本人はすっかり忘れていたが、真打昇進のときに、小さんがこのエピソードをうれしそうに語っていたという。
さすが、栴檀は双葉より芳しです。

二つ目のある日、小さんに「お前のはなしはおもしろくねえな」と一刀両断された。
静岡県沼津に行ったとき、芸者・笑子にいわれた「ちゃんと落語をやって」というきつい注文。
家元だの議員だのになったりしなければ、とんでもない落語家になっていたという、談志への評価。
「いずれ志ん朝さんが落語協会の会長になって、私が副会長として補佐しよう」と思っていたこと。
小さんが「これが現代の落語っていうもんだよ」とまで評価していた話芸の達人・小沢昭一との交流。
どのはなしも、味わい深くて興が尽きません。

最終回の第14回で、これぞ奥義ともいうべき「落語をおもしろくやるコツ」を披露している。
落語は、同じはなしを繰り返しやるから、落語家自身が、慣れて、飽きてくる。それが客にも伝わってつまらなくなってしまう。この難題について、小三治の師匠の師匠、四代目の小さんは「初めて聞く客に初めてしゃべるつもりでやれ」と教えた。
しかし、しょっちゅう来ている客もいるし、どうしてもムリがある。
ある日、はっと気づいた。
「客もよく知ってる。はなし手もよく知ってる。だけど噺(はなし)の中に出てくる登場人物は、この先どうなるか何も知らない。そう思ってやると、いつもやってる噺じゃなくなる。」
なるほどなあ。
この小三治の言葉は、初めて聞きました。落語の真髄をあらわした言葉ではないでしょうか。
「まあ、これが病気で、『大惨事』になり損なった、『小三治』のいまですかねえ」と、ながいながいインタビューが結ばれている(いうのもヤボですが「大惨事」=大三治と小三治をかけたシャレ)。
「噺にでてくる登場人物は、この先どうなるか何も知らない」という落語の奥義に、感嘆の拍手を。

小三治の現役高座をみた幸せ

呆け天は幸いなことに、三鷹で行われた小三治独演会を数回みています。長いマクラ、軽くてとぼけた味わいの噺にひたっていると、極上の温泉につかったようないい気分になります。同行の家人など、必ずぐっすりと寝入ります。
昇太や志の輔の、満員の客と切り結び、勝負しているような白熱した高座もすばらしいが、小三治や小遊三、鯉笑の、とぼけた、肩の力の抜けた「落語は、肩ひじ張って演るもんでも、訊くもんでもありません」という落語もいい。
80代の小三治の高座を、なんどもみたいものです。

頸椎手術をきりぬけ、高座に復活した柳家小三治師匠に、乾杯。
小三治2.jpg
朝日新聞「語るー人生の贈りもの」(10月30日〜11月17日)。
posted by 三鷹天狗 at 08:17| Comment(0) | 落語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月01日

沖縄の友人より(42)またしても、米兵の飲酒運転で会社員死亡

加害者の車(証拠物件)は持ち去り、禁酒措置は3日で解除

11月19日早朝、米海兵隊キャンプ・キンザー(牧港補給地区)の上等兵による飲酒運転・信号無視による交通事故。米兵は公務外に公用車の2トントラックを運転し、那覇市泊の交差点で会社員・平良さんを死なせた。平良さんは長年海外で仕事をしてきたが、6年前に沖縄に戻り、余生を過ごそうとしていたところだった。
加害者の車は地位協定をたてに米軍が持ち去った。警察に保管されているのは被害者の車だ。本末転倒がまかり通るのは米軍に治外法権があるからだ。事故のあと米軍は「綱紀粛正」として飲酒禁止令を下したが、3日後に解除した。県民を愚弄するにもほどがある。(ただし今回、公務外の事故だとして、地位協定上の身柄引き渡しの問題は発生していない)
「辺野古が唯一の解決策」と安倍政権は言い続けているが、唯一の解決策は米海兵隊の撤退だ。

@11.20 那覇地裁前城岳公園での集会に100人。「今こそ立ち上がろう」と山城博治さん。
A11.22 キャンプ・シュワブゲート前座り込み。「ヤマト生コン」のコンクリートミキサー車4台を先頭に工事車両が列をなす。BC沖縄の未来のために身を挺して座り込むオジー、オバー。警察機動隊のゴボー抜きは乱暴。打身、捻挫、打撲、内出血などのけがが絶えない。D工事用ゲートの前に立つ警備会社「アルソック」の従業員。不法に道路を占拠。
E11.22 キャンプ・シュワブゲート前座り込み 。12時からの2回目の排除に備えて、3列の座り込み。車と車の間にはさらに4列の座り込み。F工事車両に抗議のプラカード。「工事は今だけ。基地は万年」。Gキャンプ・シュワブゲート前座り込み。資材を下ろして基地から出てくる車両に、激しい抗議。
H11.25 キャンプ・シュワブゲート前土曜行動。アジア太平洋資料センターのツアー一行20人が一人ひとり挨拶。Iゲート前の歩道でプラカードアピール。「子供たちの未来に基地はいらない」。J右から、「沖縄等米軍基地問題議員懇談会」会長の近藤昭一衆院議員(立憲)、石橋道宏参院議員(民進)、糸数慶子参院議員(沖縄の風)。
約一か月ぶりの、沖縄の友人からのレポートです。9月20日のゲート前座り込みで、機動隊に乱暴に排除されたあと鼠経ヘルニアを発症し、手術と10日間の入院、その後の静養を余儀なくされた。
身を挺してたたかい続ける沖縄の友人とオジー・オバーたちに、敬意と連帯を表します。
posted by 三鷹天狗 at 08:34| Comment(0) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする