2017年10月04日

「池田学展 The Pen ―凝縮の宇宙― 」日本橋高島屋8Fホール(10月2日)

とんでもないものを見たー超絶の技巧、深いテーマ
評判のたかい池田学展を見学しました。とんでもないものを見た、という衝撃があります。
いちばん強烈だったのが『Gate』(2010年)という作品です。
池田学3.jpg絵葉書より
海面にコンクリートの穴が空いていて、その下には巨大な都市空間が広がっている。なんという美しさ、まがまがしさ。水門(Gate)を超えて海水がなだれこんだら…という恐怖。飛んでいる飛行機が、あの9・11テロを想起させて不気味です。作者自身が後にニューヨークを訪れた時に、「2010年に制作した〈Gate〉とグラウンドゼロがあまりによく似ていたので驚きました」と語っています。この絵が東日本大震災の前の年に描かれた。9・11と3・11が重なり合っている。空前絶後と言ってよい絵でしょう。透徹した芸術的な営みが、時空を超えてしまっている。

福島原発事故を正面から見つめた『Meltdown(メルトダウン)』。カナダの大自然と、メルトダウンを滅びゆく帝国ラピュタのように表現している。
東日本大震災の3年前に描かれた『予兆』。おそろしい大津波が、あらゆるものを飲みこんでいく。なぜ、この絵がこの人に降りてきたのか。なにか超越的なものの啓示か?
子ども時代のスケッチ、芸大受験二浪時代のデッサン、卒業制作、10年近くに及んだという朝日新聞法廷画家時代のスケッチ、『興亡史』と名付けられた奇妙な城など、約200点。
ただただ、圧倒されます。しかし、深刻な顔で鑑賞することを要求するような雰囲気ではありません。天才少年の遊び場に招待されたような感じ。アメリカ人なら「ワオッ」と肩をすくめる、日本人だと目を丸くする、イタリア人なら走り出す(知りませんが)。それぞれのお国柄の「びっくらこいたぜ」反応をよびおこすような展示です。

なんと、最新作の『誕生』は、撮影自由です。いいですねえ。
池田学6.jpg 池田学7.jpg
みなさん、顔を近づけ、拡大鏡をとりだし、なめるように見ている。事情通らしい人が「見て見て、あそこに描かれている女の子は娘さんらしいよ」といったことを連れの人にささやいている。
作者によれば、大震災からの復興や新しい生命の誕生を描いたのではない。たとえば美しい花はすべて人工物として描かれている。あえていえば大災害との共存というのがテーマだという。恵みも災いももたらす大自然、大宇宙と人間の共存。深く大きな問いかけです。
3×4メートルの巨大な作品です。これを、1ミリのペン先のペン画で仕上げた。1日に描けるのはだいたい10センチ四方くらい。それを、下絵なしでイメージのままに描きすすめ、3年がかりで仕上げたという。
常人じゃないね、とか、その間の生活費はどうやってまかなうんだ、とか、凡俗の徒の想念はおよそ芸術的ではない方向に走ります。
会場の一画にビデオコーナーが設けられ、約15分くらいのインタビューが流れています。なんだか、思いっきり普通感のただよう青年が、すこし頼りなげな雰囲気で質問にこたえています。1973年生まれだから、もう青年という歳でもないか。
影響をうけたアーティストはいないと語る池田に「宮崎駿のアニメ作品に似ているのでは」という遠慮のない質問が。
「アメリカでも、そういわれます。宮崎アニメは子供のころから見てきて、映像や世界観に共鳴してきました。だから当然、影響をうけているんでしょうね」とあっさり答える。つまり、宮崎アニメはめざすアーティストとして仰ぎ見るものではなく、自分を構成している一部、血肉になっているものだということでしょう。
なるほどなあ、という納得感があります。

いま北斎の誕生です。次は10倍くらいの会場で。

江戸時代の人が、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」を見た時に、とんでもないものを見た!と感じたはずです。超絶的な技巧や大胆きわまる構図は、素人には想像もつかないもので、150年後の私たちが見てもすごいとしかいいようがない。
葛飾北斎2.png
池田学の作品は、いま同時代を生きている私たちに「とんでもないものを見た」と感じさせるのはもちろんですが、150年後の人間がみても、すごい、よくぞこんな作品がと驚嘆させるでしょう。
アメリカの雑誌『Life』誌が1999年に発表した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に、日本からただ一人葛飾北斎が選ばれていますが、池田学の仕事は、まっすぐに北斎とつながっていると感じました。「いま北斎」の出現です。
いかにも残念だったのが、展示会場のスペースが狭すぎること。この10倍の広さのところで開催してほしかった。「国立新美術館」ならそれが可能です。次に東京展をやるときは、いくつかの作品は10倍くらいに拡大したパネルやスクリーンで見せるとか、宇宙的な広がりの中で見るような、斬新な展覧会にしてほしいものです。なにしろ、国のお宝級の絵画です。

超絶の技巧、想像を絶する構図、深いテーマ。いま北斎の出現に、乾杯。
「池田学展 The Pen ―凝縮の宇宙― 」日本橋高島屋8Fホール、9月27日〜10月9日。
posted by 三鷹天狗 at 08:35| Comment(0) | 美術・水彩画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

バッカだねえ、と吹きだすしかない絵と出会う

高校生国際美術展の千手観音・自画像の横山クン

8月10日に「サンシャワー 東南アジア美術展」を見に国立新美術館(乃木坂)に行ったら、他にもたくさんの美術展・公募展が開催されています。
日本・フランス現代美術世界展、高校生国際美術展、水墨画展など、無料で入れて楽しそうなものを全部見学しました。なにしろ会場が広いので、それぞれの美術展の作品点数がただごとではない。何時間あっても足りないほど、見ごたえ十分です。

高校生国際美術展で一点、見ただけでふきだしたのが、この作品です。
高校国際7.jpg 高校国際3.jpg
「十一面千手千眼観音菩薩the自画像」と題された横山祐文(済美高校2年)の油絵。なんと、自分が観音菩薩像になっている。
バッカだねえ、と吹きだし、他に客もいるので声を出して笑うわけにもいかず、苦労しました。ほんと、高校生っていうのはなにやってもゆるされる。
くわしく見ると千の手にはどうやら絵筆など油絵の道具が握られている。出品のための絵を描こうとするのだがうまくいかなくてあがいている自画像という意味でしょう。中にはハンマーを握っている手もあるから、くだらない絵ならたたきこわすぞ、ということでしょうか。
横山クン、絵描きになれるほどの技量があるとかないとか判定する能力は皆無のジイさんですが、キミの絵は300点ぐらいの作品の中でいちばん強烈に印象にのこりました。パチパチ。

もうひとつ感心したのが、「岩手県知事賞」のこの作品。
高校国際8.jpg 高校国際9.jpg 
前から見ると、点描風の人物画にみえるが、横からみるとなんとツマヨウジの林でできている。「好奇心」奈良竜二(岩手県立杜陵高校2年)。この手法が奈良のオリジナルなのか、先行してやっている美術家がいるのか私には分かりませんが、秀逸なアイデアです。

18回を数えるという高校生国際美術展には、アジア、ヨーロッパ、中近東など18の国の高校生の作品もあり、素朴な写実画のアジアの高校生の作品など、「いいぞ、がんばれ」と心の中で応援しました。ま、数が多いから当然でもありましょうが、日本の高校生たちの絵は、レベルが高い。あんたはもうプロ級ですというとんでもない高い技術を感じさせるものから、当世風アニメ絵、横山のように笑いをとりにくるものまで、バラエティに富んでいる。やはり、平和でゆたかな時代がけっこう長く続いた余慶でしょう。
「サンシャワー」もそうでしたが、高校生国際美術展も撮影自由です。いいことです。どうやら、美術展=撮影不可という、長く続いた愚かな縛りが、解ける方向に向かっているみたいで、慶賀のいたりです。

横山祐文の千手観音・自画像に、乾杯。
高校国際.jpg 高校国際2.jpg
関連:2017年08月16日、サンシャワー 東南アジアの現代美術展 http://boketen.seesaa.net/article/452705867.html
posted by 三鷹天狗 at 08:38| Comment(0) | 美術・水彩画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

サンシャワー 東南アジアの現代美術展(国立新美術館)

数百年におよぶ、欧米による植民地支配。その深い傷をアートに見る。

国立新美術館に行ってきました。すごい建物です。黒川紀章デザイン、創立10周年。所蔵品はもたず、広大な展示スペースで、美術や映像作品の公募展、企画展をみせる「場」です。
20170810新美.jpg 新美2.jpg
ここで、7月から約3か月間「サンシャワー 東南アジアの現代美術展」が行われており、8月9日に見学に行きました。
今年(2017年)は、ASEAN(東南アジア諸国連合)設立50周年にあたり、加盟10カ国(インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオス)のすべての国から出品されています。
血塗られた世界地図、処刑される政治犯など、なまなましい作品が多い。数百年に及んだ欧米による植民地支配、日本の侵略と第2次世界大戦、独立と内戦、軍事独裁といった、各国の流血や抑圧の歴史が色濃く反映された作品群です。
新美14.jpg 新美術虐殺.jpg 新美フィリピン.jpg 新美12.jpg
カンボジアのリー・ダラブー「伝令」は、ポルポト政権で伝令役として使われた子どもたちの写真で、なんともいえない迫力があります。自国民百数十万人を虐殺(100万から300万まで諸説あり)したポルポトの悪業は、子どもたちも駆使して行われた。虐殺の生き残り者の証言では、洗脳された子どもたちは、なんのためらいもなく銃殺・撲殺を行うので、もっとも恐ろしいとあります。あどけない顔の子どもたちの写真が並べられただけの一画に、濃密な死の匂いがたちこめているようです。
新美15.jpg 新美術カンボジア.jpg
「さまざまなアイデンティティ」という企画コーナーのビデオ映像作品「来年」(ミン・ウォン、シンガポール)は、イギリス植民者の恋人同士と、被支配マレーシア人の恋人同士が、同じ舞台装置で時空を超えて入りまじる、ほとんど分裂症気味のもの。ぶっとんでいます。深く内面化されてしまった植民者の美意識や価値観という強烈な批評が、自国と自分自身に向けられています。
マレーシアがポルトガルの植民地にされたのが約500年前、以後オランダ、イギリスに支配され、1942年には日本が占領。戦後の曲折を経て1957年に独立。1985年にはそのマレーシアからシンガポールが独立。その重層的な歴史は、とうてい日本の平和呆け老人には理解できるものではありません。
しかし、同時代を生きている者としての、作品への共感、共鳴は確かにあります。
未だアイデンティティ確立の途上にあるわれらASEANというメッセージが、強く伝わってきます。

常設作品とは別に「ビジュアル ドキュメンタリー プロジェクト2015」という、ドキュメンタリー映画の上映会があったので、これもじっくりと見ました。タイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマーの監督たちによる、15〜20分の短編映画です。どれもが、ものすごく興味深い。
ミャンマー内戦で足を失った兵士たちの義足を、敵味方問わずに提供する元兵士を描いた「私の足」。同じくミャンマーで、アウンサンスーチーをボディガードすることに人生を捧げた男を描く「我が政治人生」。マレーシアの貧民街で、貧困から脱出するために歌手になることを夢見る少女「儚さ」。意気軒高なベトナムインテリ老人が楽しい「ジウおじいちゃんへ捧ぐ」。そして、タイ・ミャンマー国境に住み、仏教徒に迫害・差別されながら生き抜くイスラム・ロヒンギャの若者を描く「2人のマイケル」。
どの作品も、それぞれの国で、矛盾の中を生き抜く個人の姿を淡々と追っていて引きこまれました。

サンシャワー(天気雨)というタイトル、秀逸です。

サンシャワー(天気雨)は、陽はさしているのに雨が降る不思議な気象のこと。東南アジアの自然の豊かさ・明るさと、さまざまな困難が降りそそいだ歴史。希望の見える経済成長や民主化のはじまりと、政治的な軋轢や格差・差別・貧困の現存。そうした両義性についての誌的なメタファーと説明されています。秀逸なタイトルです。
歩いて行ける森美術館でも同じ企画の展示が行われているのですが、新美術館だけで数時間が過ぎてしまい、単館見学にとどめました。

躍動する東南アジアの現代美術に、乾杯。
新美術館.jpg 新美13.jpg
                        インドネシア、FXハルソノ作品。指文字で「民主主義」
サンシャワー 東南アジアの現代美術展(国立新美術館)会期、2017年7月5日(水)〜10月23日(月)。入場料1000円。
posted by 三鷹天狗 at 09:34| Comment(0) | 美術・水彩画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする