2017年08月16日

サンシャワー 東南アジアの現代美術展(国立新美術館)

数百年におよぶ、欧米による植民地支配。その深い傷をアートに見る。

国立新美術館に行ってきました。すごい建物です。黒川紀章デザイン、創立10周年。所蔵品はもたず、広大な展示スペースで、美術や映像作品の公募展、企画展をみせる「場」です。
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ここで、7月から約3か月間「サンシャワー 東南アジアの現代美術展」が行われており、8月9日に見学に行きました。
今年(2017年)は、ASEAN(東南アジア諸国連合)設立50周年にあたり、加盟10カ国(インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオス)のすべての国から出品されています。
血塗られた世界地図、処刑される政治犯など、なまなましい作品が多い。数百年に及んだ欧米による植民地支配、日本の侵略と第2次世界大戦、独立と内戦、軍事独裁といった、各国の流血や抑圧の歴史が色濃く反映された作品群です。
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カンボジアのリー・ダラブー「伝令」は、ポルポト政権で伝令役として使われた子どもたちの写真で、なんともいえない迫力があります。自国民百数十万人を虐殺(100万から300万まで諸説あり)したポルポトの悪業は、子どもたちも駆使して行われた。虐殺の生き残り者の証言では、洗脳された子どもたちは、なんのためらいもなく銃殺・撲殺を行うので、もっとも恐ろしいとあります。あどけない顔の子どもたちの写真が並べられただけの一画に、濃密な死の匂いがたちこめているようです。
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「さまざまなアイデンティティ」という企画コーナーのビデオ映像作品「来年」(ミン・ウォン、シンガポール)は、イギリス植民者の恋人同士と、被支配マレーシア人の恋人同士が、同じ舞台装置で時空を超えて入りまじる、ほとんど分裂症気味のもの。ぶっとんでいます。深く内面化されてしまった植民者の美意識や価値観という強烈な批評が、自国と自分自身に向けられています。
マレーシアがポルトガルの植民地にされたのが約500年前、以後オランダ、イギリスに支配され、1942年には日本が占領。戦後の曲折を経て1957年に独立。1985年にはそのマレーシアからシンガポールが独立。その重層的な歴史は、とうてい日本の平和呆け老人には理解できるものではありません。
しかし、同時代を生きている者としての、作品への共感、共鳴は確かにあります。
未だアイデンティティ確立の途上にあるわれらASEANというメッセージが、強く伝わってきます。

常設作品とは別に「ビジュアル ドキュメンタリー プロジェクト2015」という、ドキュメンタリー映画の上映会があったので、これもじっくりと見ました。タイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマーの監督たちによる、15〜20分の短編映画です。どれもが、ものすごく興味深い。
ミャンマー内戦で足を失った兵士たちの義足を、敵味方問わずに提供する元兵士を描いた「私の足」。同じくミャンマーで、アウンサンスーチーをボディガードすることに人生を捧げた男を描く「我が政治人生」。マレーシアの貧民街で、貧困から脱出するために歌手になることを夢見る少女「儚さ」。意気軒高なベトナムインテリ老人が楽しい「ジウおじいちゃんへ捧ぐ」。そして、タイ・ミャンマー国境に住み、仏教徒に迫害・差別されながら生き抜くイスラム・ロヒンギャの若者を描く「2人のマイケル」。
どの作品も、それぞれの国で、矛盾の中を生き抜く個人の姿を淡々と追っていて引きこまれました。

サンシャワー(天気雨)というタイトル、秀逸です。

サンシャワー(天気雨)は、陽はさしているのに雨が降る不思議な気象のこと。東南アジアの自然の豊かさ・明るさと、さまざまな困難が降りそそいだ歴史。希望の見える経済成長や民主化のはじまりと、政治的な軋轢や格差・差別・貧困の現存。そうした両義性についての誌的なメタファーと説明されています。秀逸なタイトルです。
歩いて行ける森美術館でも同じ企画の展示が行われているのですが、新美術館だけで数時間が過ぎてしまい、単館見学にとどめました。

躍動する東南アジアの現代美術に、乾杯。
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                        インドネシア、FXハルソノ作品。指文字で「民主主義」
サンシャワー 東南アジアの現代美術展(国立新美術館)会期、2017年7月5日(水)〜10月23日(月)。入場料1000円。
posted by 三鷹天狗 at 09:34| Comment(0) | 美術・水彩画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月31日

町田で、横尾忠則展と木村巴個展をみる

横尾忠則展、撮影自由という解放感あふれる展示、さすがです。

5月9日、町田市民文学館で開かれた「本の雑誌厄よけ展」を見に行った日に、少し足を伸ばして町田市立国際版画美術館を見学しました。
これが思いもかけないほどすばらしかった。
まず横尾忠則の作品展。われわれ世代にはなんとも懐かしい。毒々しい色彩の、見せ物小屋のいかがわしさが匂うようなポスター。50年前、映画・演劇のアンダーグラウンドなエネルギーを解き放つかのようにきらめいていた。シルクスクリーンなど、あらゆる技法で表現された数百点の作品が並んでいる。
そしてなんと、自由に写真撮影していいというのだ。フラッシュはだめ、シャッター音が他の客の迷惑にならないように、ということだけ配慮して、あとは自由。さすが横尾忠則、精神の自由さが違うなあ。いまや国際的な芸術家と評価されているのにぜんぜん偉ぶらない姿勢に敬服します。
美術展で撮影自由というのは、ここ数十年記憶にない。アマチュアの作品展ですら撮影禁止だったりする。過剰な著作権意識が「見せてやる」感ただよう展覧会になる。ばっかじゃなかろか。見に来ていただいてありがとうございます、人の目に触れてこその「表現」です、という「見せ物」の原点がこの横尾忠則展にはあります。
横尾忠則エライッ!町田市立国際版画美術館、立派!
過剰な「撮影禁止」の風潮に、風穴をあけるすばらしい展覧会です。
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たまたまやっていた木村巴個展。これがおどろくほどすばらしかった。

たっぷりと横尾ワールドにひたって一階におりると、「市民展示室」というコーナーで、木村巴というたぶん町田在住と思われる画家の個展をやっています。ま、ついでにと思って入ったら、これがなんと、3・11東日本大震災をテーマにした、どこでも見たことのない、すばらしい作品群です。わたしが知らないだけで、きっと知る人ぞ知るといったプロの画家なんでしょう。
見学のおばさんたちが絵と一緒に記念撮影しているゆるーい雰囲気なので、受付に聞いたら、こちらも撮影は自由です。すばらしい。私の携帯の写真ではとても伝えきれないのですが、大震災の津波のまがまがしい情景と、未来に向かう少女のすがすがしい表情が一枚の絵におさめられている。絶望と、希望が、一枚の絵に凝縮されている。あの大震災を正面から見据えた、こんなにもすばらしい絵があったのか。感動しました。
木村巴MG_20170509_130130_.jpg 木村巴IMG_20170509_130246_.jpg
さらに奥には「憤怒」と題された連作4点。これは第29回全国絵画公募展IZUBI(伊豆美)で、大賞を受賞した作品という。
奇妙な作品です。テーブルにがっと手をついた爺さんが、全身から怒りのオーラを発している。新聞の切り抜きの見出しは、原発やら、安保法制やら、沖縄やら、安倍ブラック政権が狂奔する悪政に関するもののようだ。
憤怒.jpg 木村憤怒.jpg 
わたしにはこの絵の解説はできない。つい最近、雁屋哲(『美味しんぼ』原作者)のブログに、微に入り細にわたった、この作品の鑑賞がのっています。すばらしい内容なので、のぞいてみることおすすめします。「雁屋哲の今日もまた」 http://kariyatetsu.com/blog/1912.php

やるなあ町田市。多摩地区の、もう一つの中心になってもおかしくない。

市民文学館という建物も珍しいと思いますが、市立の版画美術館というのも、他に例がないのでは。とんがってるなあ。町田は、神奈川のような東京なような、微妙な場所にあります。立川や八王子という中央線メインストリームの町とは違った個性を主張したいという、独自の欲求を感じました。
こんな大胆な文化発信力があるなら、多摩地区の、もう一つの中心になってもぜんぜんおかしくない。ここに大きな吸引力をもった空間が成立することは、東京にとって明らかにいいことと感じます。

町田市立国際版画美術館の、解放感にあふれる展示、太っ腹な運営に、乾杯。
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横尾忠則 HANGA JUNGLE 2017年4月22日〜6月18日、町田市立国際版画美術館。http://hanga-museum.jp/exhibition/schedule/2017-333
木村巴第4回個展 2017年5月9日〜14日、町田市立国際版画美術館市民展示室。 
posted by 三鷹天狗 at 08:42| Comment(0) | 美術・水彩画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月14日

囲碁・飲み仲間が、木彫りの仏像を彫る人だったとは!

新高円寺のスタジオSKで開かれた「第15回仏像彫刻展」(11月11日〜14日)を見学しました。仏像彫刻道場「微笑庵(みしょうあん)」の会員作品発表会です。
いやあ、驚きました。
世の中には、趣味で木彫りの仏像を作る人が、こんなにたくさんいるんですね。
初めて数ヶ月という人の、仏のちいさな顔だけの作品から、堂々と光背を背負った力作まで。約60名の会員が作った仏像が展示されている様は、壮観です。
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中でも目をひいたのが、両脇に風神・雷神を配した「凡夫と雲中供養菩薩」という作品です。
凡夫が、手のひらに雲中供養菩薩をのせて、じっと見ている。凡夫の表情は、微笑んでいるわけでもなく、仏への畏敬の念を表わすでもなく、頬杖などついて「へー、これが供養菩薩ですか」と眺めているだけに見える。
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シュールです。
凡夫が菩薩の手のひらの中にいるーというのではなく、凡夫の手のひらに菩薩がいる。
どんな作意なんでしょうか。はかりかねます。
自分の彫った雲中供養菩薩を「こんなのができちゃったよ」と眺めている自画像でしょうか。
菩薩を彫り出したのはこの手だ。手のはたらきこそ菩薩そのものだという寓意でしょうか。
はたまた、神だ仏だというのは、つまるところ人間の創造物だという宗教観でしょうか。

展示会場でもっとも目立ったこの作品を作ったのが、囲碁・飲み仲間のAさんだというのも驚きです。
三鷹の碁会所がなくなってしまい、囲碁・飲み仲間が集団で武蔵境の碁会所に移ってから約1年がすぎました。
わたしたちは新参者ですから、古くからの常連さんの迷惑にならないように、土曜日の夕方5時半頃になると静かに席をたち、近くにある居酒屋で一杯飲むというのを楽しんできました。
べつに秘密にしているわけではないので、気配で「酒だな」と勘づく人もいます。そういうかたの一人Aさんが、半年くらいまえに「私も酒が好きなのでご一緒していいですか」と声をかけてきました。もちろん大歓迎です。
あるとき飲んでいたら、「わたしは趣味でこういうこともやっている」と仏像彫刻展の案内ハガキをみんなにわたした。11月12日(土)に、碁会所をすこし早めにきりあげてみんなで見にいったというわけです。
あまり仏心とは縁のない衆生ですが、囲碁仲間がやっているとなれば話は別です。
半分ひやかしで、さっとみたら切り上げて居酒屋に、というくらいの気分で見に行ったのです。それが、すっかり圧倒されてしまい、滞在時間も長くなり、居酒屋談義も見てきた作品の話しで大いにもりあがりました。
趣味の域を越えています。なにしろ、3体セットで制作に2年かかったというのですから、たまげます。かといって仕事でもないのですから、それこそ凡夫にははかりかねる世界です。
一本の木から、あんなに複雑な像が彫り出されるということ自体が、不思議でなりません。

出品目録のメッセージが渋い

配られたパンフレットには、全出品者61名と、微笑庵の主宰者増山白舟仏師のメッセージが載っています。
増山仏師の「仏さまは木の中にいらっしゃる。人にできるのはただ取り除いていくことだけ。余分なものを取って取って取りきった時、仏さまはそのお姿を現わされる」という言葉など、なにか仏教の教えの真髄のような響きがあります。
会員各位の短いメッセージも「『木に聞いて』と先生はおっしゃいますが、まだ聞こえてこない声が、いつ私の耳にとどくのでしょうか」といった率直で素朴で好感のもてるものばかり。
その中で異彩を放っているのが次の文章でした。
「教室での心得三か条。ひとつ 思うように進まないときは、良材に巡り合わなかったと、なげくべし。ひとつ 疲れたと感じたときは、刀の鋼の質の良くないものをつかまされたとなげくべし。ひとつ 集中力がとぎれたときは、隣の人のせいだとチラリと目を投げて、ため息をつくべし。」
思わず笑ってしまいました。すごいですね。ふつう「そのように考えてはいけない」とされる代表のような「凡夫の感じ方」を、そのまま肯定する。この言葉もAさんのもの。ということはあの作品も、凡夫たることの大肯定ということなのでしょうか。
居酒屋感想会は、いつまでも終わりません。

すばらしい仏像彫刻に、乾杯。
posted by 三鷹天狗 at 15:08| Comment(0) | 美術・水彩画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする