2017年10月08日

沖縄の友人より(39)きびしい闘いのさなかにも、沖縄には唄と踊りがある

辺野古ゲート前で島袋文子さんのトーカチ(米寿)祝い
「童神」の古謝美佐子さんも、ビッグサプライズ演奏

沖縄では、旧暦の8月8日に88歳の祝いをする。本土でいえば米寿祝い、沖縄ではトーカチ祝い。今年は9月27日が旧暦の8月8日にあたり、辺野古ゲート前で、名護市辺野古住民の島袋文子さん(88)のトーカチ祝いが、400人の座り込みの人々によって、盛大に祝われた。
参院議員・伊波洋一さんからの花束贈呈、ビッグサプライズで古謝美佐子さんの「童神」演奏もあり、3時間にわたってお祝いが続いた。文子さんは琉歌で「御万人(ウマンチュ)ぬ情(ナサ)き わが肝(チム)にとぅみてぃ 永らえてうとーてぃ 基地ゆ止ぅみら」(みんなの思いを心に刻んで長生きし基地を止めよう)とうたった。
午前中からの座り込みに対し、機動隊は力づくの排除を行ない、たくさんのケガ人もでた。しかし、辺野古新基地を許さないという県民のたたかいは、大らかな唄と踊りをエネルギーにして、くじけることなく続いている。
@2017.9.27 キャンプ・シュワブゲート前。伊波洋一参院議員から花束を受ける島袋文子さん。Aビッグサプライズ、古謝美佐子さんの演奏(写真は沖縄タイムスより)Bオープニングにトーカチを祝う三線演奏。C3時間にわたる宴の最後は全員のカチャーシー。
D2017.9.25 辺野古・高江弾圧裁判第12回公判。城岳公園の集会で、糸数慶子参院議員、山城博治さん、三宅俊司弁護士。E掲げられた横断幕。「三人の完全無罪を勝ち取ろう」。F9.20 山城さん、稲葉さん、添田さんの無罪を勝ち取る決起集会に200人。Gこの日が誕生日の山城さんは花束を受け取り、目に涙。

9.17高江山中行動に二十数人。H、G地区のヘリパッド関連工事を監視

高江ヘリパッド建設関連工事を監視するため、9月17日(日)早朝から、二十数人が米海兵隊北部訓練場内の工事現場に入り、H地区ヘリパッド、建設中の進入道路、G地区ヘリパッドまで詳しく観察した。
沖縄防衛局の職員や警備員の妨害をはねのけ、3時間にわたって、工事による森の破壊をチェックした。沖縄防衛局は「ここは提供施設です」と繰り返して観察を妨害しようとする。
誰が提供した?やんばるの森は数百年以上前から再生産可能な形で維持してきた県民の財産だ。県民の意思に反してまるで強盗のようにそこに広大なゲリラ訓練場をつくったのが米軍だ。そして本土復帰後も沖縄駐留米軍を容認しているのが日本政府だ。我われの森を歩いて何が悪い!
H2017.9.17 昨年夏から秋にかけて攻防の舞台となった高江N1裏テント。I防衛局と警備員が並んだ阻止線を突破して進む。JG地区ヘリパッドに至る進入路脇の作業ヤード。赤土の山が森を汚染する。K一部コンクリート舗装されている。L進入路脇の竹の植え込み。オスプレイの200度をこえる熱噴射に耐えられない。MG地区ヘリパッド。まだオスプレイが使用していないため、表面の芝生は美しい。
N2017.9.17 高江赤土の山.jpgJO2017.9.17 高江.jpgKP2017.9.17 高江竹の植え込み.jpgLQ2017.9.17 高江.jpgM
森で、海で、ゲート前で、裁判所で。おおらかな島唄とともにたたかい続ける沖縄のみなさんに、敬意と連帯を表します。
posted by 三鷹天狗 at 09:12| Comment(0) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月22日

沖縄の友人より(38)平和キャンプ石垣島

日韓台の80人が交流、若者を中心に。
ー国境を越えて手をつなごうー平和の海・国際ピースキャンプ

平和の海・国際ピースキャンプが8月16〜20日の4泊5日の日程で、石垣青少年の家を舞台に開催された。済州島をはじめ韓国、台湾、日本本土、沖縄島、宮古、与那国そして石垣の各島から総勢80人にのぼる人々が集まった。2014年の済州に始まり、沖縄、台湾と続き、第4回目の今年は石垣島での開催となった。
夜の森の鳴き声や星座の観察、国際ピースシンポジウム、石垣の戦跡巡り、戦争体験者の講話、ミサイル配備が計画される地域住民との交流、東アジアの連帯に向けた討論、マングローブ散策やカヌー体験、キャンプファイアー、宣言発表、ピースウォークなど多彩な内容だ。
石垣島には米軍の上陸がなかったが、宮古島と合わせて3万人もの日本軍が陣地を構え、住民の労力・食料を奪っただけでなく、波照間島の全住民をはじめ各地の住民をマラリア地域に強制移住させ3600人以上の命を奪った。1997年に建てられた「八重山戦争マラリア犠牲者慰霊の塔」は、日本軍の戦争犯罪を告発する慰霊碑だ。
来年は済州島で開催される。平和を求める草の根の交流は、未来をきりひらく貴重な実践です。
@2017.8.16〜20 石垣島でのアジア平和の海キャンプ。日本軍の強制移住により3600人以上が死亡した「戦争マラリア」の碑。A手書きの絵を説明しながら戦争体験を語る潮平正道さん。B沖縄戦当時の海軍平得飛行場の航空機掩体。C台湾チームが原発に反対する運動を報告。D韓国チームが持参した横断幕。
㉓2017.8.16~20 石垣島.jpg@㉔2017.8.16~20 潮平正道.jpgA
㉒2017.8.16~20 石垣島.jpgB㉑2017.8.16~20 台湾チーム.jpgCS16~20 韓国チーム.jpgD

10月25日には、カヌー100艇による海上座り込みを予定
ゲート前座り込みは、ねばり強く続いている

朝鮮半島の危機のエスカレートに対応して沖縄基地は戦闘機、偵察機の離発着、海兵隊の訓練でフル稼働している。一番の問題は67年前の1950年に勃発した朝鮮戦争がまだ終わっていないことだ。1953年の休戦協定はあるが、戦争を終結させる講和はまだない。米国、朝鮮国をはじめ関係国の講和条約により朝鮮戦争に終止符を打たなければならない。
沖縄県が提訴した辺野古・大浦湾の埋立工事差し止め請求訴訟の第一回口頭弁論が10月10日に開かれる。10月25日にはヘリ基地反対協議会がカヌー100艇による海上座り込みを行なう。

E9.16 キャンプ・シュワブゲート前。議員行動日の9.16土曜行動には、照屋寛徳、赤嶺政賢、二人の衆院議員をはじめ、県議、市町村議を含め150人がゲート前に座り込んだ。F9.16 広島県尾道市の退職教職員の会。G9.15違法ダンプの取り締まりを求めて、 沖縄総合事務局との交渉の席に着く県民会議のメンバー。新都心の合同庁舎5階。
H9.13 警官隊の強制排除に抗し、違法な埋立工事の中止を訴える。I9.13「沖縄と連帯する島根の会」。J9.9 メインゲート前で、不法な埋立て工事に抗議してデモ。K9.9 米軍人・軍属の車の前に立ちはだかり、新基地NO!をアピール。
E2017.9.13 米軍車両.jpgH@2017.9.13 島根の会.jpgIR2017.9.9.jpgJO2017.9.9.jpgK
L9.7 沖縄戦の日本軍「降伏調印式」の日に合わせて開催された「命どぅ宝うまんちゅコンサート」。M8.31 高江。H・Gゲート(旧揚水発電所ゲート)を封鎖し、ヘリパッド工事の中止を訴えN8.30キャンプ前、兵庫県尼崎市から参加の21人
L2017.9.7 命どぅ宝うまんちゅコンサート.jpgL㉘2017.8.31 高江%u3002H・Gゲート.jpgM㉗2017.8.3兵庫県尼崎市.jpgN
創意・工夫をこらした沖縄のみなさんのたたかいに、敬意と連帯を表します。
10・25海上行動.jpg
posted by 三鷹天狗 at 09:45| Comment(0) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月15日

NHKスペシャル「沖縄と核」

1300発の核兵器が配備されていた60年代の沖縄

9月10日(日)夜9時00〜 NHKスペシャル「沖縄と核」には衝撃を受けました。
1958年以降、沖縄には中ソを標的とする核兵器が配備されていた。その数は、最大時(1967年)1300発に達した、というのです。
NHKの番組案内の一部を、そのまま引用します。
「45年前の本土復帰までアジアにおけるアメリカ軍の“核拠点”とされてきた沖縄。これまで、その詳細は厚いベールに包まれてきた。しかし、おととし、アメリカ国防総省は『沖縄に核兵器を配備していた事実』を初めて公式に認め、機密を解除。これを受け、いま「沖縄と核」に関する極秘文書の開示が相次ぎ、元兵士たちもようやく重い口を開き始めた。そこから浮かび上がってきたのは、“核の島・沖縄”の衝撃的な実態だ。1300発もの核兵器が置かれ、冷戦下、東西陣営の緊張が高まるたびに、最前線として危機的な状況に置かれていたこと、さらには、「核」の存在こそが、沖縄への米軍基地集中をもたらす要因となっていたという新事実・・・。」

まず「おととし」まで、公式には「核兵器配備」を認めていなかったことに驚きます。
支配者は、不都合な事実についてはどんなことでも秘密にする。ソ連と中国を標的とする核兵器1300発が配備されている嘉手納基地は、ソ連と中国からの核攻撃の最初の標的になる。しかし、そのことを、米軍基地の隣に暮らしている沖縄の住民はまったく知らない。元琉球政府・知花成昇も「核兵器の話は聞いたことがない」と証言する。
最大時の1967年といえば、ベトナム戦争がもっとも激化していた時期です。私なども「ベトナム戦争反対」を叫び、立川基地の前で「この米軍機をベトナムに飛ばすな」とデモをしたこともあります。沖縄が、ベトナム戦争の米軍出撃基地であることは世界周知のことでした。しかし、嘉手納基地に1300発の核兵器が保有されていたなどということは、チラリとも聞いたことがない。
いまは空になった嘉手納の核兵器発射施設を、キューバ危機(1962年)当時任務に当たっていた元兵士が訪れ、いつでも中国に向けて発射できる態勢になっていたことを証言するくだりは、異様な迫力です。
キューバ危機からベトナム戦争まで、沖縄は「核の島」として米ソ冷戦の最前線にたたされていた。
その構図は、日米戦争において、「本土決戦」の最前線として沖縄戦がたたかわれ、20万人を超える犠牲者をだしたこととなんら変わらない。

1953年伊江島での米軍による土地強制収容、1959年ナイキ・ハーキュリーズ(迎撃用核ミサイル)訓練でおきた墜落事故、1960年伊江島の模擬核爆弾投下訓練で住民の石川清鑑さんが即死した事故、1962年キューバ危機当時の一触即発の緊張(登場した米軍兵士の「世界ではなく、沖縄が終わると思っていた」という発言)、1969年佐藤・ニクソンの沖縄返還確約と「核密約」…。
次々と明らかにされる事実を見ながら思うのは、ただただ「理不尽」ということです。
そしていままた、沖縄県民の意志をふみにじって強行されようとしている辺野古新基地建設。尖閣諸島をめぐる中国との緊張を理由とする、先島諸島への自衛隊配備。
沖縄が、この理不尽な歴史から解き放たれる日はくるのだろうか。

辺野古新基地をめぐる攻防が、歴史の分岐点になる

翁長県知事を先頭とする「オール沖縄」が、米軍基地のゲート前で、埋め立て工事の大浦湾で、国を相手の法廷で、「これ以上の基地負担はゴメンだ」と叫んでいる。沖縄が強いられてきた異様な現実を、終わらせるための攻防が繰り広げられている。
NHKの取材に対して米国防総省は「(いま現在の)沖縄における核兵器の有無は回答しない」と答えた。だからたぶん、なんらかの形で沖縄に核兵器はあるのだろう。
しかし、施政権返還によって、少なくとも1300発の核兵器は沖縄から撤去された。それは沖縄人民が祖国復帰運動でかちとった、大きな成果だ。
辺野古をめぐる攻防は、歴史の次の分岐点だ。平和の島・沖縄、万国津梁=世界の架け橋・沖縄へと進む、分岐点だ。

衝撃の事実をスク―プしたNHKスペシャルのスタッフに、乾杯。
posted by 三鷹天狗 at 09:06| Comment(0) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする