2017年03月29日

小森はるか:監督『息の跡』 陸前高田の希望の種

アイヌの叙事詩のような響きで、佐藤たね屋の、英語の朗読が流れる

見たことも聞いたこともないタイプの映画です。
どんなナレーションも、説明もない。
荒涼とした風景の中を、工事車輛とおぼしきトラックやダンプが、轟音をあげて走りまわっている。
その一角に「なえ たね 播きどき 植えどき 買いどき 木曜休日」という、手書きのかんばんをかかげたプレハブの店舗が営業している。「佐藤たね屋」です。
赤塚真人という役者(山田洋次『たそがれ清兵衛』などにでてくる脇役)によく似た風貌の男が、せかせかと働きながらカメラに向かっていう。
「歳なんぼだっけ、27、8?」「23」「はッ、まだそんなもんか。まるで豆粒だ」「豆粒?」…
男が、カメラをかまえている女性に好感や関心をいだいていること。カメラをかまえている女性(監督の小森はるか)が、男にただごとならぬ関心をよせ、一挙一投足を見逃すまいとしていることが伝わってきます。
やがて、男=佐藤貞一は、自分の店も含め、すべてが大津波で流されてしまった場所に、プレハブを建て「たね屋」の商売を再開したこと、商売のかたわら、自身の震災・津波体験を英文で自費出版していることが分かってきます。
まったくの自力で英文のレポートを作るにいたった動機は説明されないまま、まるでアイヌの叙事詩が朗誦されるような響きで、佐藤の声が英語で流れます。
「The seed of hope in the heart(ザ シード オブ ホープ イン ザ ハート)」(字幕:心に希望の種を)「たね屋の物語の幕が開こうとしている。震災の二日前、不可思議な出来事が私たちのふるさとに起きていた…」と英語の朗読は始まります(内容は字幕で追いながら響きを聞く)。

大きな悲劇が始まろうとしていることを予感させる、人の心をざわつかせる、独特の響きです。
なんなんだこの男は、なんで英文のレポートなんだ…という大きなとまどいのまま、映画はすすみます。感じ方や解釈は、見ているみなさんにお任せします、ということでしょう。しかし、前衛きどりの、意味不明の映画ではまったくありません。
日本に暮らしている人間なら、ああテレビでみた岩手県の陸前高田のかさあげ工事現場だな、と分かります。海外で上映されれば、日本の大津波被害を受けたどこかの地方の話しだな、と了解されるでしょう。それで充分です。大事なのは地名ではない。
巨大な自然災害の前に人間がいかに無力であるか、人間は必ずおこる自然災害にどうむきあうべきか、という普遍的な問いをこの男は発しているんだな、ということが、ゆっくりと伝わってきます。

日本語で記述された震災の記録が、またふたたびの大津波や社会変動、時間の経緯で、流されたり忘れ去られたりしても、自分の書いた記録が英文や中国語で異国の地にたどりつき、残されていく。
この男は、たったひとりでそんなのぞみを抱いている…滑稽さと偉大さが入りまじっています。

陸前高田のかさあげ大工事に、ひとりの「たね屋」の存在が、拮抗している

これから先は、呆け天の勝手な解釈なので、ご注意ください。
これは、陸前高田かさあげ工事に対する、強烈な批判・抗議の映像です。
街まるごとを、12メートルかさあげした土地に再建する。いったい誰が考えたのか、恐ろしいほどの費用を投じ、近隣の山をきりくずし、もう5年も工事は続いています。
しかし、2011年の津波の高さは18メートルだった。その規模の津波がきたらまた流されるんじゃないの?という、単純で素朴な質問には、誰もこたえない。まったくまちがった防災工事です。
住民の多くの方は、かさ上げ地ではなく、高台移転を希望・実行している。当然のことで、18メートルの津波にすべてを奪われたのだから、これまでのまちが見おろせる、18メートル以上の高台に全町移転する以外にありません。
「此処より下に家を建てるな」という石碑(1896年明治三陸大津波で建立)のおかげで、宮古市・姉吉地区の住人が死者ゼロだったニュースが、震災直後に大きく報じられました。その教訓に基づく以外の方法はないでしょう。
じゃあ旧市街地はどうするんだ、ということになるでしょうが、そこには住居を作ることを禁止する。漁業にかかわる事業所(せり市、魚介類加工場など)やビジネス用のオフィスビルなどは問題なし。津波警報がきたら大急ぎで高台に避難する訓練をふだんから徹底する。自力で避難できない幼児や老人ではなく、成人男女、しかも組織された指示命令系統の中で働いている人間は、ふだんから訓練していれば死者ゼロで避難できる。事例は『紙つなげ!』(佐々涼子、2014年)の日本製紙石巻工場にあります。
佐藤貞一や小森はるかがそう主張しているわけではなく、呆け天がそう思うという意味ですので、ご了解ください。
わたしには、人間の愚かさをむきだしにしたかさあげ大工事に、たった一人のたね屋の存在が拮抗している、とみえました。

「たね屋」にして哲学者・歴史記述者、佐藤貞一の営為に、乾杯。
巨大な悲劇の現場から、深い悲しみと希望をたたえた映像を掬い出してくれた小森監督に、乾杯。
息の跡.jpg ここより下に家を建てるな0410-kokoyorishita_NP.jpg
小森はるか:監督・撮影『息の跡』東中野ポレポレ、3月20日12:20〜
関連:2014年04月18日、陸前高田、奇跡の一本松http://boketen.seesaa.net/article/395018334.html
2016年06月07日佐々涼子『紙つなげ!』http://boketen.seesaa.net/article/438603050.html

ポレポレ座IMG_20170320_142428.jpg東中野ポレポレ
東中野ポレポレは初めて来ましたが、雰囲気いいなあ。客はあふれるほど入っている。上映後、小森監督のトークがあり、カメラをまわすことへの初々しいためらいを語ってすばらしかった。なんとこの日(3月20日)が誕生日とのことで東中野ポレポレのスタッフからケーキのプレゼント。よいところに立ち会いました。
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2017年03月13日

ファン・ドンヒョク:監督『怪しい彼女』

ビバ!調布映画祭。この傑作との出会いに感謝

調布市のキャッチフレーズが「映画のまち調布」です。
「そう言ってるわりには映画館もないし」といったつぶやきにこたえて、今年の秋には、調布駅前にシネマコンプレックス「イオンシネマ」(11スクリーン2100席)がスタートする。
日活、大映、独立系プロダクションなどの撮影所が昔からあり、今も活発に活動している。
3月5日〜12日「第28回調布映画祭」が開催され、特撮映画の展示やイベント、30数本の映画の無料公開など、意欲的な企画が実施されました。たづくり1Fの悪魔のオブジェがかっこいい。
特撮IMG_20170307_131941_.jpg 映画祭り217818.jpg
そのなかに韓国映画『怪しい彼女』(2014年)を発見。見たいと思っていたので、いそいそとでかける。わたしは韓流ドラマをみたことがないので、韓国製の映像作品をみるのはこれが初体験です。
すばらしい傑作でした。この映画と出会わせてくれた調布映画祭に感謝。

家族から疎まれ、捨てられかかった毒舌婆さんが、葬式用の写真を撮ろうと入った写真館で20歳の娘に戻ってしまう。
キュートなルックス、なみはずれた歌唱力を持つ女の子、オ・ドゥリ(シム・ウンギョン)にもどった老婆の困惑、あふれてくる喜び、生きのびるための作戦、つい口からでる毒舌や悪態。これは笑えます。
桂文珍に「老婆は一日にしてならず(ローマは一日にしてならず)」という名作がありますが、映画は笑わせながらオ・ドゥリの苦難の人生を浮かび上がらせていく。夫に死なれ、女手一つで息子を育てるためには、鬼と化して生き抜くしかなかったのだということが、断片的な映像で少しづつ伝えられます。
ゲラゲラ笑わせられ、あふれる涙をこらえきれないほど泣かされます。
たぶん、韓国固有の地口やことわざ、悪態がつめこまれた映画でしょうから、日本の観客が字幕で笑うのは一拍遅れになる。でも会場には大きな笑い声がなんどもおきました。これが2014年に韓国で公開されたときは、どれほどの笑いにつつまれたろうかと想像できます。
ネットでみると、いろんな国でリメイクされているみたいで、納得。その国の老女がまくしたてる悪口や悪態だからこそストレートに笑えるものになるということでしょう。日本でも2016年に、多部未華子、倍賞美津子主演で映画化されたらしい。

笑えない老いを、笑いとばす

少女が魔法で老婆にされてしまうー宮崎駿『ハウルの動く城』です。老女が写真館の魔術でハタチの娘にもどるという本作は、『ハウル…』を裏返したかたち。
内面少女・見た目は老女というのは、理不尽で苛酷。ソフィーはつらかったろうなあ。ハウルへの愛が、魔法をつきやぶっていく。
内面老女・見た目は少女というのは、理不尽で愉快。オ・ドゥリは楽しかったろうなあ。孫への愛が、魔術を解くことを選ばせる。
笑えない老いを、笑いとばす。こういう傑作映画がまさにそれです。

オ・ドゥリのキュートなルックス、なみはずれた歌唱力に、乾杯。
妖しい彼女164645_01.jpg
ファン・ドンヒョク:監督『怪しい彼女』2014年韓国映画、【出演】シム・ウンギョン、イ・ジヌク、
ナ・ムニ。パク・イナン、ソン・ドンイル。3月11日(土)12:45〜14:55、調布グリーン・ホール。
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2017年03月09日

河合弘之:監督『日本と再生 光と風のギガワット作戦』

古くさい「反原発爺さん」のアタマに一撃

新聞の映評(朝日2/19)で知って、なんか面白そうと感じたので渋谷まで出かけました。
予備知識なし、先入観なしでみはじめた呆け天のアタマは、おもいきりどつかれました。
反原発・脱原発は、もうここまで走っているのか。知らなかった。

「フクシマ」を見て「原発ゼロ」をめざすと宣言したドイツが、自然エネルギーの開発と産業化でどこまですすんでいるか。
中国が「フクシマ」から学んで風力発電を商業化することにどれだけ成功しているか。
「核の権化」のようなペンタゴン(米国防総省)の四軍の幹部たちが、自然エネルギ―を利用できる軍隊に米軍をつくりかえることに着手している。
日本でも、政府や官僚、電力会社の妨害に抗して、自然エネルギーへの転換と地域再生を実践している自治体、会社、個人が雨後のタケノコにのように育っている。

監督であり主演俳優である河合弘之(弁護士)が、すべての突撃インタビューで観客に分からせるのは、自然エネルギーのほうがもうかる、市場経済に適合しているということです。
自然エネルギー(太陽、風、地熱、水…)は無尽蔵であり、その開発と利用が新産業(開発・研究・製造・流通etc)を産み、新たな雇用を創出する。
エネルギー自給が、自立した自治体をつくる。
一極集中管理型のエネルギー政策から、分散連携型のエネルギー政策にすることで、天災やテロのリスクは大幅に軽減する。
戦争の主原因であるエネルギー資源(石油など)の争奪戦がなくなることで、世界は平和になる。

なんだか、これまで硬直した感情で、自民党極右政治家や利権官僚、電力会社幹部などに募らせてきた怒り、怨念がスーッと消えていく感覚を味わいました。もう、原発利権村の住人なんてガラパゴスそのもの、日本の阻害要因、粗大ゴミ、恥ということが、よーく分かります。そして、映画ではそんなことは一言も言っていませんが、原発利権村を「敵」として憎む「反原発爺さん」(わたしです)も同じガラパゴス島の住人にすぎないということを、強烈に自覚させられます。
もちろん、彼らの犯罪をゆるす気はありませんが、バカどもがいまの栄華にしがみついているのは、泥船で宴会をしているようなもの。バカどもを退場させるためのたたかいの多様性、豊かさ。この方向に、社会は必ず向かう、という楽天的な感情がわいてきます。

私が見た3月6日14:30〜の渋谷ユーロスペースは、高齢者中心に6割くらいの入り。この映画が『この世界の片隅に』のように、観客の声で上映館が広がっていくことを願います。

河合弘之、なんて興味深い男だ

名前すら知らなかった河合弘之弁護士は、ウィキペディアによれば、ずいぶんと複雑な人のようだ。最初は学生運動活動家の弁護、次に悪徳企業(横井英樹、イトマンなど)の弁護、現在は福島瑞穂の夫と一緒に原発再開差し止め訴訟の中心弁護士。うーむ、複雑にして華麗。顔つきや話し方に若いころのムツゴロウ(畑正憲)を髣髴とさせるところがある。
「世間の評価」など知ったことではない。オレは自分のやりたいことだけをやる、という強烈な存在感を放っています。
この10年ほどの日本では、アジテーターといえば、橋下徹、石原慎太郎といった、悪のアジテーター、人間のなかの邪悪な部分を煽るアジテーターしかいませんでした。石原の命脈が尽きようとしているこのときに、希望と善のアジテーターが、それもとびきり楽天的でエネルギッシュなアジテーターが登場したようです。

エネルギッシュな、善と希望のアジテーター、河合弘之に、乾杯。
日本と再生.jpg日本と再生2.jpg

河合弘之:監督『日本と再生 光と風のギガワット作戦』渋谷ユーロスペース、3月6日14:30〜
関連:2015年11月23日、小熊英二監督『首相官邸の前で』http://boketen.seesaa.net/article/430059472.html
posted by 三鷹天狗 at 09:13| Comment(0) | 映画・DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする