2017年09月01日

重松清『星をつくった男 阿久悠とその時代』

敗戦のとき警察官だった父と、八歳だった阿久悠の物語

生涯に5000曲を作詞し、数えきれないほどのヒットを放った作詞家・阿久悠の評伝です。
名手・重松清は、淡路島で警察官の子どもとして生まれたが故に空いた阿久悠の心の穴を、評伝の真ん中におきます。その穴=空隙をうめるために、5000曲もの詞はつづられた。
1945年8月15日の夜、8歳の深田公之(ひろゆき)少年(=阿久悠)は、父親の自殺を恐れて、眠れずに過ごしたという。
「八歳で敗戦を経験して、天と地がひっくり返った。殺されるのかと思ったが殺されないで、その代わり民主主義を与えられた。(中略)ぼくらはアメーバのようになった精神を、健気にも自分で再生した。」(阿久悠『清らかな厭世』より)
阿久悠が「アメーバのようになった精神」というとき、なによりも大きかったのは、つい昨日まで島民・町民に君臨していた警察官の父が、サーベルをとりあげられ、「ただのオッサン」になりはてたことだった。
地域の人々に尊敬されないだけでなく、別人のように無気力になり「古武士のような」と思い描いていた父の像が崩れていく(阿久悠の小説『黒ぬり少年オペラ』より)。
確かにこれは、同じように教科書を黒く塗らされた世代の中でも、特殊な生育環境です。
中学2年で結核を患い、運動を禁じられた阿久悠にとって、中学・高校時代は長い沈泥期だった。
重松は、淡路島を回って洲本高校時代の同級生の声を聞いて歩く。
「学力は並やったし、体は小さいし、格好も良くないから目立たない奴やった」
「田舎から来た子やったし、どっちか言うたら、いじめられっ子の部類に入るわな」
「高校時代の深田は存在感なかったなあ。どこにおったんかいなという感じ」

そんな、冴えない、くすんだ少年が「昭和を代表する大衆文芸の巨人」と讃えられる人間になる。まことに人生の変転は計り知れません。
明治大学、広告会社を経て、約10年がかりで孵化したモンスター阿久悠の、作詞にマーケティングをもちこんだ技法、スタ―誕生を仕掛けた企画力、作家として評価されたいという熱望。芸能界における絶頂期も、時代からずれていく晩年も、過不足なく描かれ、読みごたえ満点の評伝です。
くすんだ少年時代も、爆発的な大化けも、警察官の子どもの胸にあいた穴ゆえだった。「時代おくれ」(1986年)が、1975年に亡くなった父への挽歌だったという着地も、ピタリときまっています。

津軽海峡冬景色、舟唄…とんでもない名曲の数々

阿久悠・没後10年という区切りの年(2007年8月死去、享年70歳)なので、歌謡番組では多くの特集が組まれました。
雑誌「東京人」9月号には「昭和の歌謡モンスター」という特集で、鴨下信一と重松清の充実した対談が載っています。阿久悠の歌詞は、無記名・無国籍・映画の書割の世界だという評が、悪口としてではなく好意・敬意をこめて語られている。
確かに、「ジョニーへの伝言」「五番街のマリー」「津軽海峡冬景色」「舟唄」…阿久悠の代表作は、その評のとおりです。なぜそうした詞が無尽蔵といえるほど生みだされ、しかも時代をとらえ得たのか。重松のことばの端々に、その答えを見いだしている雰囲気がでているので、本書を手にしました。
重松の作品を読むのはたぶん10数年ぶりです。私にとって重松は、「うますぎる」という理不尽な理由で読まなくなった作家です。下手な作家はもちろん読みたくありませんが、うますぎる作家も、ときにつらく感じます。本作は、うますぎの幣もあまり感じないで、気持ちよく通読しました。

偉大な作詞家・阿久悠の奮闘の人生と、名曲の数々に、乾杯。
星をつくった男 阿久悠と、その時代 (講談社文庫) -
重松清『星をつくった男 阿久悠とその時代』講談社、2009年、1700円+税。(現在は、講談社文庫)
posted by 三鷹天狗 at 08:23| Comment(0) | 音楽・演歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

2ヶ月過ぎてから、清水ミチコのライブ芸が分かる

小池百合子あいうえお(by小田嶋隆)

「新潮45」6月号に、小田嶋隆の「『小池劇場』はポピュリズムの悪魔結合である」という、小池都政についての評論が載っている。タイトルの「悪魔結合」というのは、小池百合子が、小泉純一郎流の「ワンフレーズ」政治と、橋下徹流のマスコミ操作術を結合させた巧妙な世論操縦で、異常に高い支持を得ているという意味です。
このなかで小田嶋は、小池百合子の政治は「あいうえお」であらわせるといいます。
ざとさ
かがわしさ
さんくささ
げつなさ
しつけがましさ
あまりにもピッタリ小池百合子をあらわしていて、笑ってしまいます(橋下徹も同じですが)。

これを読んだときにありありと浮かんできたのが、「清水ミチコひとりのビッグショー」の小池百合子のモノマネでした。
清水のショーでは冒頭に「携帯電話は切っておく、ビデオ撮影禁止」というような注意を、清水のモノマネビデオでやります。ライス国務長官とか北朝鮮の女性アナとか、ぶっとぶしかないみごとな芸で、客に警告する。YouTubeでみることができます。
わたしが見た日は小池百合子でした。狸顔のメークで登場、つぎつぎと英文のフリップをだし、上から目線でねっとりと警告したあと、タメをつくり「拍手は?」とおどす。
会場は大爆笑で、わたしもゲラゲラ笑っていましたが、清水が小池のなにを抽出しているからこんなに可笑しいのかが、いまひとつ分かっていませんでした。たとえば、女性政治家でいえば田中真紀子のモノマネは清水の得意芸で、ごうまん、苦労知らず、攻撃性、早口などが分かりやすく表現されます。
それに比べれば、小池のものまねには、ストレートな分かりやすさはありません。なのに可笑しい。そのわけが、小田嶋のいう「あいうえお」だと分かりました。粘りつくようなことば遣い、つくりわらい、慇懃無礼な上から目線…あざとく、いかがわしく、うさんくさくて、えげつない。最後に清水が「拍手は?」と強要したのは、まさに「おしつけがましさ」で締めたわけです。
なるほどなあ。2ヶ月もたって清水のライブ芸がわかるというのも情けないが、あの日の笑いがストンと腑におちました。

清水ミチコ「ひとりのビッグショー」を初体験

前々から観たいと思っていた清水ミチコのライブを、3月22日(水)昭和女子大学人見記念講堂で初体験しました。
青汁コマーシャルのパロディ、実弟との共演、芸歴30周年を祝って著名人が清水に「降りて」きてお祝いするがすべて自分のことしかしゃべらない…盛りだくさん、かつ映像とのコラボなど技法も多彩で、圧倒され、大いに楽しみました。
残念だったのはメインの「作曲法」モノマネに、まるでついていけなかったこと。唯一聞いたことのあるグループ名が「ミスチル」(曲は聞いたことがない)で、「ダンダン」でやけに受けていた。グループ名さえ聞きとれないものでは音が止まる「…」で会場が沸く。しかし、名前もしらない一度も聞いたことがないグループの「作曲法ものまね」では、わたしは笑えない。そうか、もはや清水ミチコのライブを楽しむ時期は過ぎたのか、という詠嘆とともに会場をあとにしたのでした。
ということでブログにも書きそびれていましたが、小田嶋の文章を読んで、やっと書けました。これからは、CDや本で楽しむだけにします。

進化し続ける清水ミチコに、乾杯。
清水みちこ.jpg
「清水ミチコひとりのビッグショー」3月22日18:30〜、昭和女子大学・人見記念講堂
関連:2013年06月28日、清水ミチコ「主婦と演芸」http://boketen.seesaa.net/article/367729016.html
posted by 三鷹天狗 at 08:33| Comment(0) | 音楽・演歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

鶴我祐子『バイオリニストは弾いてない』

元N響第1バイオリン奏者の、名エッセイ

N響(NHK交響楽団)といえば、日本を代表するオーケストラの一つであり、そのバイオリン第1奏者を定年退職まで務めた人といえば、日本のクラシック奏者を代表する人物の一人であり…ということでしょうから、まず私とは縁のない世界の方です。
その最新エッセイ集『バイオリニストは弾いてない』が、なんともみごとで、おもしろいったらない。
ごく短い、一粒づつのエッセイが、ピカピカ光っています。
むかし、ジャズピアニスト山下洋輔のエッセイが、本業のものかきが裸足で逃げ出すくらいおもしろい時期がありました(1970〜80年代)。ですから音楽家がおもしろいエッセイを書くこと自体は不思議ではない。それでも、これだけ冴えたエッセイにであえば、やはり笑ってしまいます。
たとえば「お国もの」と題した一編。
さまざまな音楽家を観察してきて分かるのは、どんなプレイヤーも自分の国の音楽がいちばんいいということ、なのにプレイヤーたちは他の国の音楽をやりたがる、というおはなしが導入部です。
「1980年代以前のN響海外公演のアンコール曲は、外山雄三の《管弦楽のためのラプソディ》と決まっていた。日本の詩情をフルートの馬子唄でたっぷり聴かせた後、曲は急転して、ドンチャン騒ぎの《八木節》となる。太鼓や鐘のお囃子入りで『ドドドン!!!』と終わると、もう客席は床を踏み鳴らして、沸きに沸いたものだ。終演後、日本人駐在員の奥さんなどが涙をいっぱいためて楽屋に来るのも、よく見る光景だった。」
情景が浮かび、音が鳴り響いてくるようです。
「しかし、いまあの曲をやると、かえって『?』という反応になるだろう。『なんで今さらジャパネスクなの?』と思われるのだ。それが嬉しい。手ごわい『商売がたき』扱われる。ウン、これでいいのだ。」
見開き2ページの、ごくごく短いエッセイ。軽くてよみやすい文章の中に、プレイヤーと民族性、N饗の30年前と現在などが、くっきりと浮かんでくる。
どうやら赤塚不二夫のファンでもあるらしく「それでいいのだ」というキメゼリフは、他のページにもでてきます。

これ読んだら、どうしたって《管弦楽のためのラプソディ》を聴かずにはいられません。
なんという便利な世の中か。YouTubeで、瞬時にこの曲にアクセスできます。
https://www.youtube.com/watch?v=LECErmteErE
確かに、面白い。クラシックでもこんな風に遊んでるのか。

竹門会(竹中育英会奨学生のOB・OG組織)での「振り返ればロハの人生」という講演録もすばらしい。山形の田舎の貧しい少女が、小学校の器楽クラブでバイオリンと出会い、東京で居候の高校生時代を送り、お金がなくて退学せざるを得なくなった時に竹門会の奨学金に救われ、東京芸大、N響とすすんでいく様は、はらはらどきどき、波乱万丈。偶然と幸運を引き寄せていく少女のお話というのは、いつでも胸をうちます。それを、ただ一度の自慢話もなく、つきすすんでいく好奇心を笑いにまぶして語りつくす。いやはや、たいへんな語り芸です。

「フツーのおばさん」と化した日常もいい

著者は、N響退職後、ひと前ではいっさいバイオリンを弾いていないのだという、これも驚きです。
「子どもの頃から緊張してきた私には、60歳で初めて得た『普通の生活』」が、「幸福なのです。不満がありません。腹がたちません。」と、みもふたもないほど「毎日が日曜日」の暮らしを満喫している。
すごいですね。その世界では頂点を極めたともいえる存在だったろうに、おごりもたかぶりも、なにもなし。「フツーっていいなあ」と全身で喜んでいます。
都はるみの「フツーのおばさんになりたい」というひと昔前の引退声明が思いだされます。
ジャズもクラシックも演歌もない。人前で演奏するプロフェッショナルの厳しさが、逆に伝わってきます。

クラシック世界からの贈りもの、元N響第1バイオリン奏者の名エッセイに、乾杯。
バイオリニストは弾いてない -
鶴我祐子『バイオリニストは弾いてない』河出書房新社、2016年、1600円+税。
posted by 三鷹天狗 at 10:36| Comment(0) | 音楽・演歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする