2017年06月08日

2ヶ月過ぎてから、清水ミチコのライブ芸が分かる

小池百合子あいうえお(by小田嶋隆)

「新潮45」6月号に、小田嶋隆の「『小池劇場』はポピュリズムの悪魔結合である」という、小池都政についての評論が載っている。タイトルの「悪魔結合」というのは、小池百合子が、小泉純一郎流の「ワンフレーズ」政治と、橋下徹流のマスコミ操作術を結合させた巧妙な世論操縦で、異常に高い支持を得ているという意味です。
このなかで小田嶋は、小池百合子の政治は「あいうえお」であらわせるといいます。
ざとさ
かがわしさ
さんくささ
げつなさ
しつけがましさ
あまりにもピッタリ小池百合子をあらわしていて、笑ってしまいます(橋下徹も同じですが)。

これを読んだときにありありと浮かんできたのが、「清水ミチコひとりのビッグショー」の小池百合子のモノマネでした。
清水のショーでは冒頭に「携帯電話は切っておく、ビデオ撮影禁止」というような注意を、清水のモノマネビデオでやります。ライス国務長官とか北朝鮮の女性アナとか、ぶっとぶしかないみごとな芸で、客に警告する。YouTubeでみることができます。
わたしが見た日は小池百合子でした。狸顔のメークで登場、つぎつぎと英文のフリップをだし、上から目線でねっとりと警告したあと、タメをつくり「拍手は?」とおどす。
会場は大爆笑で、わたしもゲラゲラ笑っていましたが、清水が小池のなにを抽出しているからこんなに可笑しいのかが、いまひとつ分かっていませんでした。たとえば、女性政治家でいえば田中真紀子のモノマネは清水の得意芸で、ごうまん、苦労知らず、攻撃性、早口などが分かりやすく表現されます。
それに比べれば、小池のものまねには、ストレートな分かりやすさはありません。なのに可笑しい。そのわけが、小田嶋のいう「あいうえお」だと分かりました。粘りつくようなことば遣い、つくりわらい、慇懃無礼な上から目線…あざとく、いかがわしく、うさんくさくて、えげつない。最後に清水が「拍手は?」と強要したのは、まさに「おしつけがましさ」で締めたわけです。
なるほどなあ。2ヶ月もたって清水のライブ芸がわかるというのも情けないが、あの日の笑いがストンと腑におちました。

清水ミチコ「ひとりのビッグショー」を初体験

前々から観たいと思っていた清水ミチコのライブを、3月22日(水)昭和女子大学人見記念講堂で初体験しました。
青汁コマーシャルのパロディ、実弟との共演、芸歴30周年を祝って著名人が清水に「降りて」きてお祝いするがすべて自分のことしかしゃべらない…盛りだくさん、かつ映像とのコラボなど技法も多彩で、圧倒され、大いに楽しみました。
残念だったのはメインの「作曲法」モノマネに、まるでついていけなかったこと。唯一聞いたことのあるグループ名が「ミスチル」(曲は聞いたことがない)で、「ダンダン」でやけに受けていた。グループ名さえ聞きとれないものでは音が止まる「…」で会場が沸く。しかし、名前もしらない一度も聞いたことがないグループの「作曲法ものまね」では、わたしは笑えない。そうか、もはや清水ミチコのライブを楽しむ時期は過ぎたのか、という詠嘆とともに会場をあとにしたのでした。
ということでブログにも書きそびれていましたが、小田嶋の文章を読んで、やっと書けました。これからは、CDや本で楽しむだけにします。

進化し続ける清水ミチコに、乾杯。
清水みちこ.jpg
「清水ミチコひとりのビッグショー」3月22日18:30〜、昭和女子大学・人見記念講堂
関連:2013年06月28日、清水ミチコ「主婦と演芸」http://boketen.seesaa.net/article/367729016.html
posted by 三鷹天狗 at 08:33| Comment(0) | 音楽・演歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

鶴我祐子『バイオリニストは弾いてない』

元N響第1バイオリン奏者の、名エッセイ

N響(NHK交響楽団)といえば、日本を代表するオーケストラの一つであり、そのバイオリン第1奏者を定年退職まで務めた人といえば、日本のクラシック奏者を代表する人物の一人であり…ということでしょうから、まず私とは縁のない世界の方です。
その最新エッセイ集『バイオリニストは弾いてない』が、なんともみごとで、おもしろいったらない。
ごく短い、一粒づつのエッセイが、ピカピカ光っています。
むかし、ジャズピアニスト山下洋輔のエッセイが、本業のものかきが裸足で逃げ出すくらいおもしろい時期がありました(1970〜80年代)。ですから音楽家がおもしろいエッセイを書くこと自体は不思議ではない。それでも、これだけ冴えたエッセイにであえば、やはり笑ってしまいます。
たとえば「お国もの」と題した一編。
さまざまな音楽家を観察してきて分かるのは、どんなプレイヤーも自分の国の音楽がいちばんいいということ、なのにプレイヤーたちは他の国の音楽をやりたがる、というおはなしが導入部です。
「1980年代以前のN響海外公演のアンコール曲は、外山雄三の《管弦楽のためのラプソディ》と決まっていた。日本の詩情をフルートの馬子唄でたっぷり聴かせた後、曲は急転して、ドンチャン騒ぎの《八木節》となる。太鼓や鐘のお囃子入りで『ドドドン!!!』と終わると、もう客席は床を踏み鳴らして、沸きに沸いたものだ。終演後、日本人駐在員の奥さんなどが涙をいっぱいためて楽屋に来るのも、よく見る光景だった。」
情景が浮かび、音が鳴り響いてくるようです。
「しかし、いまあの曲をやると、かえって『?』という反応になるだろう。『なんで今さらジャパネスクなの?』と思われるのだ。それが嬉しい。手ごわい『商売がたき』扱われる。ウン、これでいいのだ。」
見開き2ページの、ごくごく短いエッセイ。軽くてよみやすい文章の中に、プレイヤーと民族性、N饗の30年前と現在などが、くっきりと浮かんでくる。
どうやら赤塚不二夫のファンでもあるらしく「それでいいのだ」というキメゼリフは、他のページにもでてきます。

これ読んだら、どうしたって《管弦楽のためのラプソディ》を聴かずにはいられません。
なんという便利な世の中か。YouTubeで、瞬時にこの曲にアクセスできます。
https://www.youtube.com/watch?v=LECErmteErE
確かに、面白い。クラシックでもこんな風に遊んでるのか。

竹門会(竹中育英会奨学生のOB・OG組織)での「振り返ればロハの人生」という講演録もすばらしい。山形の田舎の貧しい少女が、小学校の器楽クラブでバイオリンと出会い、東京で居候の高校生時代を送り、お金がなくて退学せざるを得なくなった時に竹門会の奨学金に救われ、東京芸大、N響とすすんでいく様は、はらはらどきどき、波乱万丈。偶然と幸運を引き寄せていく少女のお話というのは、いつでも胸をうちます。それを、ただ一度の自慢話もなく、つきすすんでいく好奇心を笑いにまぶして語りつくす。いやはや、たいへんな語り芸です。

「フツーのおばさん」と化した日常もいい

著者は、N響退職後、ひと前ではいっさいバイオリンを弾いていないのだという、これも驚きです。
「子どもの頃から緊張してきた私には、60歳で初めて得た『普通の生活』」が、「幸福なのです。不満がありません。腹がたちません。」と、みもふたもないほど「毎日が日曜日」の暮らしを満喫している。
すごいですね。その世界では頂点を極めたともいえる存在だったろうに、おごりもたかぶりも、なにもなし。「フツーっていいなあ」と全身で喜んでいます。
都はるみの「フツーのおばさんになりたい」というひと昔前の引退声明が思いだされます。
ジャズもクラシックも演歌もない。人前で演奏するプロフェッショナルの厳しさが、逆に伝わってきます。

クラシック世界からの贈りもの、元N響第1バイオリン奏者の名エッセイに、乾杯。
バイオリニストは弾いてない -
鶴我祐子『バイオリニストは弾いてない』河出書房新社、2016年、1600円+税。
posted by 三鷹天狗 at 10:36| Comment(0) | 音楽・演歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月11日

友川カズキのインタビュー(『月刊社会民主』12月号)がいいなあ

「このご時世に沈黙は卑怯です」と安倍政治をこきおろす

図書館の月刊誌コーナー『月刊社会民主』12月号の表紙に友川カズキの名が見える。なんで友川が政党機関誌に載ってるのと、思わず手に取りました。
最新アルバム『光るクレヨン』のプロモーションということで、堂々5ページのロングインタビューです。友川が政党機関誌にでることにも驚きましたが、友川を政党機関誌が5ページも使ってとりあげることにも驚きました。

見出しがいい。
「私は何においても1対1。たった1人に向かって歌っているわけです。400人でも30人でも、気持ちは同じなんです。」
これは友川を聴きにライブに行ったことがある人なら、肌で了解できます。
記者の「3・11以後、社会に対する認識が大きく変わったと聞いているが」という問いに、ストレートにこたえています。
「今の与党がやっていることになんで日本人は怒らないのか」
「原発については疎かったから事故後に読みはじめたんですが、とんでもないことが分かった。要は政治家や電力会社にとって金のなる木だったんですよね。みんなでうそついてあちこちで広報して歩いて住民を裂いて。狂ってますよ。」
「2002年東京オリンピックはいりません。(中略)開催するなら、エンブレムの中に福島第1原発の建屋を透かし彫りしなさい」
「マイナンバー制度は貧乏人をより締めつけるっていう制度」
「安保法制もそうですが、このご時世に沈黙は卑怯です。沈黙は金というけど、事と次第によるでしょう。」
これでもかとばかり小気味よく安倍政治をこきおろします。

2015年1月に出版された『友川カズキ独白録』でもこうした思いはストレートに語られていました。
「この国の腐った構造が、凝縮され爆発したのが福島第1原発事故だった」(P66)
「私、人から破滅型の人間だと思われてるかもしれませんが、あんなもので死にたくも生きたくもない。イヤなものはイヤ。これにつきるの。」(P67)
『家出青年』(2014年バージョン)で「原発だろうとなんだろうとイヤなものはイヤと言えばいい。…『貧困が暴力』なら無知も暴力である 悔しき暴力である」という友川の叫びが聴けます。
https://www.youtube.com/watch?v=gR07hkkCE44
インタビューでは、ウクライナ、ドイツ、フランス、ベルギー、スイス、イギリス、韓国、中国などいろんな国に熱狂的なファンがいて、大小さまざまなコンサートをそれらの国で開いてきたことが語られています。普遍の響きがあるからでしょうね。
創作とはと問われれば「自意識しかないですよ」と即答する。「自意識過剰と自己嫌悪は表裏一体」「ヒットもないけどスランプもない」など友川節炸裂。

いいなあ、友川カズキ。『月刊社会民主』インタビューに、乾杯。
友川.jpg
関連:2015年05月03日、『友川カズキ独白録』http://boketen.seesaa.net/article/418332245.html
posted by 三鷹天狗 at 09:58| Comment(0) | 音楽・演歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする