2018年06月20日

加藤登紀子『運命の歌のジグソーパズル』

歌にはパスポートがいらない

「人には国境があり、故郷があり、時には無惨に引き裂かれもします。でも歌にはパスポートが要りません。」
なんとも、かっこいい書きだしです。
加藤登紀子は、「百万本のバラ」(ラトビア)、「ANAK(息子)」(フィリピン)、「鳳仙花」(韓国)、「美しい昔」(ベトナム)、「さくらんぼの実る頃」(フランス)、「今日は帰れない」(ポーランド)など、心に残る世界の名曲をうたった。多くは、抑圧への抵抗、変革への希望から生まれた歌であり、自ら学生運動の渦中を生き、関西の学生運動リーダーだった藤本敏夫と結ばれた歌手にふさわしい。
瀬戸内寂聴は「青春は、恋と革命」といまも若者を叱咤しているが、加藤登紀子こそ、それを体現してきた歌手です。
ほかのだれが言ってもサマにならないでしょうが、加藤登紀子が「歌にはパスポートがいらない」といえば、一陣の風が世界を吹きわたるような爽快さ、スケールの大きさを感じます。

本書は、加藤登紀子の代表的な歌曲がどのようにうまれたのかを、人との出会い、歌との遭遇、事件(フランス革命、ロシア革命、第2次大戦、ベトナム戦争、1968年の学生反乱、フィリピン革命、ソ連崩壊と東欧諸国の独立…)、さまざまな国の訪問など、無数ともいえる断片から描いたものです。ジグソーパズルというゆえんです。
しかもそれが、「満州」に生まれ、生死の境の引揚げ体験を2歳でくぐり抜けるところからはじまる、自伝にもなっています。
歌手をめざしたこともあるという、かなり波瀾万丈系の父。101歳まで生きた母は、小学校時代の登紀子に「算数、国語はできなくても生きていける。でも音楽、体操、図工が苦手じゃ、人生真っ暗ね」というすばらしい教育を施す。
駒場高校放送部時代の60年安保体験、東大生歌手としてのデビューと、獄中にいる藤本敏夫との結婚。石井好子、中村八大、永六輔、森繁久彌など、さまざまな芸能人とのふれあい、名作「ひとり寝の子守唄」の誕生、「知床旅情」との出会い。どのはなしも、すでにどこかで見たり聞いたりしたことではありますが、ここちよいはなしは何度聞いたって飽きない。

しかし、本書の白眉は、なんといっても「国境のない」名曲と加藤登紀子の出会いです。
はじめてのロシア(ソ連)演奏旅行で、ロシアのヒットソングを好まないグルジア(ジョージア)の若者たちの真情をしるみずみずしさ(やがてくるソ連崩壊への予感)。
韓国での演奏旅行で「鳳仙花」を歌おうとしたら、記者たちの拒絶反応にあったエピソード。
独立したラトビアの文化大臣として来日した「百万本のバラ」の作曲者との交流。
「美しい昔」の作詞作曲者チン・コン・ソンは解放されたベトナムで再教育キャンプに収容される苦難の日々を送った。1999年にダナンのコンサートで共演し、大成功に高揚する加藤に、チンは「トキコには聞こえなかったかもしれないが、我々への『帰れ』というようなヤジもあったんだよ」と教える。それを聞いた加藤は部屋にもどってひとり号泣する。
「今もまだ2つに分かれているベトナムの悲しさは、到底私の思いの届くものではなかった。」
どのエピソードも、生身の加藤登紀子の、ヒリヒリするような実感で描かれ、臨場感がすばらしい。

サプライズで、1995年6月21日、羽田発11時30分函館行の全日空機がハイジャックされたとき、乗客として居合わせたてんまつが書かれています。当時めずらしかった携帯電話で事務所に機内の様子など伝えたことが、犯人逮捕に結びついたみたいです。えらい。

ハイチュウという、在日ベトナム人歌手の歌声がすばらしい

ユーチューブで聞ける加藤登紀子の歌など検索していたら、なんともいえない柔らかい声で歌われる「美しい昔」を知りました。ハイチュウという名前の、在日ベトナム人歌手です。https://www.youtube.com/watch?v=geupyLwZM90
天性の、としかいいようのない美しい声です。
ベトナム戦争反対は、呆け天の青春です。その頃には、生まれてもいなかった若者が、チン・コン・ソンの「美しい昔」を、かくもステキに歌う。まさに往事茫々。

ツングース族の典型的美人にしてわれらが歌姫、恋と革命を歌い続ける加藤登紀子に、乾杯。
運命の歌のジグソーパズル TOKIKO'S HISTORY SINCE 1943
加藤 登紀子『運命の歌のジグソーパズル』朝日新聞出版、2018年、1500円+税。
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2018年02月09日

えぐさゆうこ『宝歌』

多重コーラスが太古の情感をよびおこす「朝顔節」絶品です。

キタコマ沖縄映画祭で購入した、えぐさゆうこのCD『宝歌』。
一曲目が、映画祭のプレイベントでも演奏した「朝顔節」です。ナマで聞いたときもなんともいえずいいなあと思いましたが、CDではコーラスアレンジがされていて、さらにすばらしい。自分の声の多重コーラスが、太古の情感を呼び起すような響きがあり、いやはやめったにないほどの逸品です。
奄美民謡というのはすごいものだなあと繰り返し聴きほれ、歌詞カードを舐めるように読んでるうちに「ん?」と大きなハテナマークがつきます。歌詞は以下のとおり。

若松ぬハレ下に
亀ぬハレ魚(いゆ)ぬ遊び
亀ぬハレ魚(いゆ)ぬ遊び
鶴や羽垂れぃてぃ
舞いハレ美(ちゅ)らさ
舞いハレ美(ちゅ)らさ

なんでこれが「朝顔節」なんだ。「鶴は千年、亀は万年」の祝い唄であって、朝顔はどこにもでてこない。さっそくネット検索すると、ちゃんと解答をみつけておられる人がいました。
「朝顔の種、あげます、ください。」というサイトを運営しておられた方が、「朝顔は縁起のいいものの象徴」というなぞ解きをしています。
今でも社寺などで朝顔市が開かれるのは、朝顔(別名「牽牛(けんぎゅう)」の種が薬として珍重されたことに由来する。平安時代に中国から日本に伝わった。江戸時代には少し意味が変わり、牽牛との逢瀬を願う織女になぞらえて「朝顔姫」などと呼ぶことが一般的になり、花が咲いた朝顔は「彦星」と「織姫星」が今年も出会えたしるしとして、縁起の良いものとされた。
なるほどなあ。それが朝顔市の由来か。これが転じて、朝顔節=めでたい祝い唄、になったわけです。
ほかに、屋久島や加計呂麻島の子守唄なども収録されており、聴きごたえじゅうぶんのCDです。

そうか、あの「新日本風土記」テーマ曲を歌ってる人のお弟子さんか

ジャケットの解説に「朝崎郁恵先生に出会ってシマ唄を知り」とあります。沖縄三線を趣味にしている連れ合いが、「あぁ、朝崎さんのお弟子さんなのね」と近しい人のようにいう。なにその朝崎さんって。「あの、新日本風土記のテーマ曲を唄ってる人」。
そうだったのか。
私は「新日本風土記」のファンで、家にいれば必ず見る、不在の時は録画して見ます。冒頭と最後に、まったく意味が聞きとれない、祈りのような叫びのような唄「あはがり」が流れる。奄美島唄の唄者(ウタシャ)として有名な人、ということは聞いていますが、今回、はじめて番組HPで歌詞や意味を読みました。
「この世はしょせん仮の宿り…」という、深い想いがこめられた歌詞のようです。
そういえば、奄美のことをなんにも知らないなあ。寅さん終焉の地、第48作「紅の花」の舞台というくらいの知識しかない。
ヤマトと琉球王国のはざまでつづられた歴史には、さぞや深いものがあるんだろうなあ。

いろんなことを思わせてくれる「朝顔節」多重コーラスの響きに、乾杯。
宝歌-takarauta- - えぐさゆうこ
えぐさゆうこ『宝歌』tiare、2016年、1500円+税。
関連:新日本風土記 番組テーマhttps://www4.nhk.or.jp/fudoki/21/
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2017年09月01日

重松清『星をつくった男 阿久悠とその時代』

敗戦のとき警察官だった父と、八歳だった阿久悠の物語

生涯に5000曲を作詞し、数えきれないほどのヒットを放った作詞家・阿久悠の評伝です。
名手・重松清は、淡路島で警察官の子どもとして生まれたが故に空いた阿久悠の心の穴を、評伝の真ん中におきます。その穴=空隙をうめるために、5000曲もの詞はつづられた。
1945年8月15日の夜、8歳の深田公之(ひろゆき)少年(=阿久悠)は、父親の自殺を恐れて、眠れずに過ごしたという。
「八歳で敗戦を経験して、天と地がひっくり返った。殺されるのかと思ったが殺されないで、その代わり民主主義を与えられた。(中略)ぼくらはアメーバのようになった精神を、健気にも自分で再生した。」(阿久悠『清らかな厭世』より)
阿久悠が「アメーバのようになった精神」というとき、なによりも大きかったのは、つい昨日まで島民・町民に君臨していた警察官の父が、サーベルをとりあげられ、「ただのオッサン」になりはてたことだった。
地域の人々に尊敬されないだけでなく、別人のように無気力になり「古武士のような」と思い描いていた父の像が崩れていく(阿久悠の小説『黒ぬり少年オペラ』より)。
確かにこれは、同じように教科書を黒く塗らされた世代の中でも、特殊な生育環境です。
中学2年で結核を患い、運動を禁じられた阿久悠にとって、中学・高校時代は長い沈泥期だった。
重松は、淡路島を回って洲本高校時代の同級生の声を聞いて歩く。
「学力は並やったし、体は小さいし、格好も良くないから目立たない奴やった」
「田舎から来た子やったし、どっちか言うたら、いじめられっ子の部類に入るわな」
「高校時代の深田は存在感なかったなあ。どこにおったんかいなという感じ」

そんな、冴えない、くすんだ少年が「昭和を代表する大衆文芸の巨人」と讃えられる人間になる。まことに人生の変転は計り知れません。
明治大学、広告会社を経て、約10年がかりで孵化したモンスター阿久悠の、作詞にマーケティングをもちこんだ技法、スタ―誕生を仕掛けた企画力、作家として評価されたいという熱望。芸能界における絶頂期も、時代からずれていく晩年も、過不足なく描かれ、読みごたえ満点の評伝です。
くすんだ少年時代も、爆発的な大化けも、警察官の子どもの胸にあいた穴ゆえだった。「時代おくれ」(1986年)が、1975年に亡くなった父への挽歌だったという着地も、ピタリときまっています。

津軽海峡冬景色、舟唄…とんでもない名曲の数々

阿久悠・没後10年という区切りの年(2007年8月死去、享年70歳)なので、歌謡番組では多くの特集が組まれました。
雑誌「東京人」9月号には「昭和の歌謡モンスター」という特集で、鴨下信一と重松清の充実した対談が載っています。阿久悠の歌詞は、無記名・無国籍・映画の書割の世界だという評が、悪口としてではなく好意・敬意をこめて語られている。
確かに、「ジョニーへの伝言」「五番街のマリー」「津軽海峡冬景色」「舟唄」…阿久悠の代表作は、その評のとおりです。なぜそうした詞が無尽蔵といえるほど生みだされ、しかも時代をとらえ得たのか。重松のことばの端々に、その答えを見いだしている雰囲気がでているので、本書を手にしました。
重松の作品を読むのはたぶん10数年ぶりです。私にとって重松は、「うますぎる」という理不尽な理由で読まなくなった作家です。下手な作家はもちろん読みたくありませんが、うますぎる作家も、ときにつらく感じます。本作は、うますぎの幣もあまり感じないで、気持ちよく通読しました。

偉大な作詞家・阿久悠の奮闘の人生と、名曲の数々に、乾杯。
星をつくった男 阿久悠と、その時代 (講談社文庫) -
重松清『星をつくった男 阿久悠とその時代』講談社、2009年、1700円+税。(現在は、講談社文庫)
posted by 呆け天 at 08:23| Comment(0) | 音楽・演歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする