2017年11月26日

鈴木敏夫『ジブリの文学』

鈴木さんは弟じゃない。ぼくらのお父さんなんだよ

35年前に、鈴木敏夫がはじめて宮駿崎と組んで仕事をすることになったとき、鈴木は大塚康生(宮崎の大先輩にして元上司『作画汗まみれ』 )に「宮さんと仕事で付き合う上で、大事なことを教えてください」と質問した。
大塚は答える。
「大人だと思えば腹が立つ。子どもだと思えば腹も立たない」

これには、対になるエピソードがついている。
鈴木のアシスタントがあるとき宮崎に「鈴木さんは、かわいそうです。宮崎さんと高畑さんという、お兄さんふたりがとんでもない人たちだから」というと、宮崎は大真面目な顔でかえしたという。
「鈴木さんは弟じゃない。ぼくらのお父さんなんだよ」

これだけだと、宮崎をこども扱いする鈴木の自慢話本かと思われかねませんが(そういう要素も確かにありますが)、もちろん根底には宮崎の天才的な創造性に対する、尽きせぬ畏敬の念があります。自分自身はクリエイターではなく、プロデュース業向きの人間という、諦念かつ自負がある。
宮崎が制作中に行き詰ったり袋小路に入ったりしたときに、鈴木相手に相談のようなぼやきのような言葉をもらす。鈴木はためらいや逡巡を捨てて「それは○○でしょう」と断定的な言葉を発する。宮崎は、同意したり反発したり、あるいはまるで違うことを思いうかべたりして次のステージに進む。
宮崎の側にも、経営者・プロデューサーとしての鈴木に対する、絶対的ともいえる信頼があればこその、火花の散る対話がさまざまに再現されていて、興が尽きません。
『千と千尋の神隠し』で、魔女・湯婆々(ゆばーば)の声を任された夏木マリは、宮崎に「夏木さんこの役を悪役だと思ってません?違うんです。自分の経営する湯屋を守ろうとして必死に働いているだけの女なんです。うち(ジブリ)の3階に鈴木というのがいて朝から晩まで銭勘定ばかりしてますがそれと同じなんです」といわれ、いっぺんに役がつかめたという。
夏木がテレビ番組で泉谷しげる相手に披露したエピソードですが、宮崎の鈴木観をこれほど端的にあらわしたことばは他にないでしょう。

鈴木が、さまざまな媒体で書いたり語ったりした短文、雑文をよせあつめた本ですが、宮崎アニメファン、ジブリファンにとってはどんなハナシも楽しい。
あとがきで鈴木は「『レッドタートル』がジブリの最後の作品として公開される、それは我慢がならない」というのが、宮崎の本音だと明かしています。業の深さにためいきがでます。
なら、引退宣言なんかしなきゃいいじゃないかと凡人は思うわけですが、あの引退宣言もまた天才宮崎には、どうしても必要だったんでしょうね。

宮崎駿が『君たちはどう生きるか』を制作開始したという

今朝(11月26日)の朝日新聞読書欄に、「漱石生誕150年」を記念して宮崎駿と半藤一利の対談が行われたという記事が載っている(「漱石と日本、そして子どもたちへ」)。
対談の冒頭に宮崎が、制作中の新作長編のタイトルが「君たちはどう生きるか」であると発表したとある。「君たちはどう生きるか」といえば、吉野源三郎が戦前(1937年)に少年向けに書いた人生論のような、社会・経済の仕組み解説のような、あの本か。丸山眞男が、これぞ「資本論入門」と絶賛したことで有名になった。
タイミングも同じ今朝のNHKニュース(朝7時台)で、今年8月に発売された『漫画 君たちはどう生きるか』( 羽賀翔一・イラスト) が数十万部のベストセラーになっているというのが流れた。
フーム、あの本が宮崎アニメになるのか。いったいどんな作品に仕上げるんだろう。もっとも、宮崎は「完成に3〜4年かかる」と言っているらしい。
元気で鑑賞できるように、カラダをきたえておこう。

宮崎駿の新作アニメ制作開始に、乾杯。
ジブリの文学 -
鈴木敏夫『ジブリの文学』岩波書店、2017年、1900円+税。
関連:2013年09月03日、半藤一利・宮崎駿『腰抜け愛国談義』http://boketen.seesaa.net/article/373838012.html
2014年05月02日、泉谷しげる『昭和の歌よ、ありがとう』http://boketen.seesaa.net/article/396069931.html
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2017年11月22日

万城目学『パーマネント神喜劇』

これが日本で良かった。神さまで遊ぶ不謹慎なオモシロ小説。

神さまをネタにした喜劇という、イスラム世界ならテロリストがとんでくる不謹慎な小説です。ほんと、ここが日本で良かった。
連作4短編の主人公は、日本中にある小さな神社のひとつで1000年お勤めしている縁結びの神さまです。ここに、現場の実態を調査・報告するために上の方から派遣されてきた神さま(作家志望のレポーター神!)が取材にきている。饒舌な縁結びの神は、レポータ―神につい「上位の方々」への不満や愚痴をもらす。少子化や晩婚の風潮でなかなか男女をくつっけるのが難しくなっている、その実情を知らない上級神からのノルマや査定を憤る縁結びの神のぼやき、笑えます。

第1話「はじめの一歩」は、優柔不断な男とそれがもの足りない女という組み合わせの、同期入社カップルの恋をどう成就させるか。「ハイ、言霊打ちこんだ」という、縁結び神のキメ台詞がおかしい。
第2話「当たり屋」は、当たり屋をしながら自堕落に暮らす男に、神さまが「神宝袋」に封じていた言霊がわたるというおはなし。やることなすこと大当たりとなった当たり屋が、恋人の心をつなぎとめるために選んだのは意外にも…というファンタジー。
第3話「トシ&シュン」は、芥川龍之介の「杜子春」を本歌に、作家志望のトシと、女優志望のシュンが夢と現(うつつ)を行き来しながらお互いへの信頼を深める。
第4話「パーマネント神喜劇」では大地震が起きて神社は倒壊する神木は折れるの大騒ぎ。なんと上級神のさらに上にいる大神が出動して、さらなる徹底的な破壊がおきるという事態を食いとめたのは、たよりない縁結び神と、幼い女の子の祈りだったという感動のエンディング。
この章には、物語全体を貫く日本の神仏観が、主人公の口を借りて端的に語られています。
「人間に祀られるから、我々は存在する。
人間が去ってしまったら、我々のような下々の神は神通力と神性を失い、消えてしまう。」
一神教世界のように、神さまが人間を作ったのではない。
平穏にくらしたいという人間の願いが、神をつくりだした。祀られた神は人間によりそって、懸命にその願いを叶えようとしてくれている。一神教世界の住人からすれば「そんなものは神とは言わん!」と激怒されそうな神仏観ですが、これが日本人にはいちばんしっくりくるのだからしょうがない。

万城目ワールドでは、いつも不思議と現実は隣り合わせ、ごちゃまぜです。それを笑いながら楽しみ、人間への愛おしさがほんわかと残る。極上エンターテインメントです。

カバーでも遊ぶ。徹底した万城目ワールド。

神さまでこういうふうに遊んだ小説ってほかにあったかと思っても、浮かびません。浅田次郎『憑神』など、神さまがでてくる楽しい小説はたくさんありますが、主人公はあくまでも人間です。
どこかの小さな縁結び神社の、ものすごく俗っぽい神さま、しかも見た目は漫才師のようなキラキラ衣装の中年おっさん。派遣されてきた作家志望の調査員は銀行マンのような顔立ちと服装。それを、読者に想像させるのではなく、表紙カバーにデーンと描いてしまっている。
カバーは、オビが上に来ているような不思議なデザインで、はずして開くと、神木・マテバシイや登場人物があらわれるという、これまたどこでも見たことのない仕掛けになっています。万城目の遊び感覚が、隅々まで行き届いているみごとな装丁です。

きらきら衣装の、中年おっさん縁結び神に、乾杯。
万城目学『パーマネント神喜劇』新潮社、2017年、1300円+税。
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2017年11月20日

唯川恵『淳子のてっぺん』、田部井政伸『てっぺん』

登山家・田部井淳子を、小説で追悼する『淳子のてっぺん』
夫の回想で追悼する『てっぺんー我が妻・田部井淳子の生き方』。ともにすばらしい。

女性として初めてエベレストに登頂した登山家・田部井淳子さん(以下、敬称略)は、2016年10月20日に永眠されました。ことし7月に夫・田部井政伸『てっぺん』、9月に作家・唯川恵『淳子のてっぺん』が相次いで上梓されました。偉大な登山家を追悼するにふさわしい2冊です。

『淳子のてっぺん』は、あえて小説という手法で田部井淳子(作中では田名部淳子)の生い立ちからエベレスト登頂までを描いています。充分な取材をもとに、田部井夫妻の了解を得て書かれた新聞連載小説です。闘病中の田部井淳子本人が『楽しく読ませてもらっているわ』と語っていたという。

第一章「谷川岳・一ノ倉沢」では、国際的な登山家・田部井淳子が、一ノ倉沢での命がけの岩登り訓練で育まれたことが、描かれます。なにしろ、後年田部井本人が「1969年冬に登った谷川岳一ノ倉沢凹状岩壁は、エベレストよりもつらかった」と述懐しているという。
ここで出会ったのが「サスケ(猿飛佐助)」とあだ名されるクライマー・田部井政伸(作中では田名部正之)だった。山と恋の二本立てですから、強力です。当時の日本山岳会の、「女には登山はムリ」という差別的な常識を、身長150センチ前後の、運動神経もさほどではない一人の女性が覆していく。共にエベレストに行こうと誓い合った女性クライマー・マリエとの友情と、マリエの滑落事故による別れ。泣かせます。
第二章「アンナプルナ」では、1970年、女性だけのチームでアンナプルナV峰(7555m)の未登頂ルートに挑戦し、成功するまでが、チーム内の対立・葛藤のなまなましい描写とともに描かれる。
旅立つ淳子に、正之が「淳子のてっぺんはここだよ。必ず無事に俺のところに帰って来るんだ」という場面が第二章のハイライトであり、本書全体のタイトルの所以にもなっています。この感動的なセリフは、実在の夫・政伸の『てっぺん』には出てきません。作者が二人の夫婦愛、家族愛の深さを充分に取材したうえでの創作でしょう。鮮やかに決まっています。
第三章「エベレスト」では、1975年5月16日12時30分、女性初の世界最高峰エベレスト(8848m)登頂という、登山史上に刻まれて消えることのない偉業が、克明に描かれます。
女性だけのパーティが、隊長の途中帰国、隊員内の不協和音で解体の危機に瀕するところを、田部井の人柄や胆力で切り抜けていく。雪崩に巻き込まれて登頂絶望というところまで追い詰められながら、重症と報じられた田部井本人が続行を望んで突破していく。奇跡的な登頂だったことが伝わってきます。
プロローグとエピローグでは、東日本大震災に遭った東北の高校生たちを、富士山に招待する活動を続けた田部井の姿が描かれます。次世代を担う若者たちに、「一歩ずつ進めば必ず頂上にたどりつける」というメッセージを発し続け、闘病中の身をおして一緒に登る姿が、田部井の生き方そのものだったことが伝わってきます。

『てっぺん』は、夫・田部井政伸が淳子との出会いから死別まで、尊重・尊敬しあう登山の同志であり、相思相愛の夫婦であったことを率直に綴っています。
こちらのタイトルは、文字通りいちばん高いところという意味です。10歳のときに初めて登った那須の山での「驚き、好奇心、知らない世界への憧れ、それを大人になるまで持ち続けていた」のが、妻・淳子だった。世界5大陸最高峰の登頂、世界各国の最高峰76座の登頂という軌跡に、それは分かりやすく表現されている。その中には独立して間もない東ティモール最高峰ラメラウ山(2963m)もあり、登頂に感謝した初代大統領から面会を受けるということなどもあった。
「田部井淳子同行シリーズ」というツアー企画で、100回以上海外登山のリーダーをまかされ、大きな事故が一度もなかったという卓越したリーダーシップ、判断力を発揮した。夫はその企画に料金を払って一参加者として何度も同行し、常にしんがりを引き受けていたという。
弔問にきた古い友人の「未来永劫、永遠に破られることのない¨女性初¨という記録。それを持って、淳子さんは天国に逝った」という言葉が、結びになっています。登山史に消えることのない足跡を残した、偉大な女性登山家でした。

谷川岳の威容に臨んで、田部井淳子さんを偲ぶ

温泉囲碁旅行(11月16日〜18日)で水上温泉に行き、ケーブルカーとリフトで天神峠まで登って、間近に谷川岳を見ました。20代の田部井淳子は、この山で訓練を積んで世界の最高峰に挑んでいったのかと思うと、感慨ひとしおです。
わたし自身は登山を趣味にはしませんでしたが、高峰や極地に挑む登山家や冒険家には敬意を惜しみません。人間本来のあくなき好奇心で、まだ見ぬモノを見、その体験を映像や文章で私たちに伝える。そのことが、人間の想像力や感性をどれほど豊かにしてきたか。田部井淳子は、女性登山家としてその最先端を歩きつづけました。

田部井淳子さんの偉大な足跡に、献杯。
唯川恵『淳子のてっぺん』幻冬舎、2017年、1700円+税。
田部井政伸『てっぺん 我が妻・田部井淳子の生き方』宝島社、2017年、1200円+税。
posted by 呆け天 at 09:16| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする