2017年04月26日

奥田英朗『ヴァラエティ』

「真実とは恐いもの」という山田太一のことば、味わい深し

奥田の、一冊にまとめるには中途半端な感じがする短篇をかき集め、これに対談2本を合わせて「ヴァラエティ」と名付けて提供する。なんだか、あまりもので作ったあいまい料理を客にだしてるような感じもする一品です。
ファンじゃなくて手にとったひとは「なにこれ」感を抱く危険もありますが、いつもなかなか作品が供給されなくて飢餓感のある奥田ファンにとっては大満足。

奥田が大ファンだという山田太一、イッセイ尾形との対談がいい。
山田太一が「『真実』とは恐いものだと思うんですよね。だから、よく生きる人は、真実に深入りしない」と言ってます。
なるほど、実に味わい深い。山田太一の創作態度の基本はそういうことなのか。
奥田はそれに呼応して「山田さんの『裁かない』ところと『断言しない』ところが僕はものすごく好きなんです」と語っています。この「裁かない」というのは、奥田が自分の創作態度の基本としてよく口にすることばです。
「真実とは恐いものだ」は、人間とは恐いものだと言いかえられるんでしょうね。
単純にいえば、人間の中に孕まれている邪悪さのことでしょう。自分の気にいらないものについて、くたばっちまえとか死んじまえとか、誰しも思う。こころのなかで思っても口にはださず、まして実行することなく、人は生きていく。しかし、ふとしたはずみでそれが噴き出してしまう瞬間があったとしたら…それは恐い。
もうひとつ、人間が「真実」をふりかざすとろくなことにならないという意味もあるように思う。あることを「真実」と信じてしまうと、それを「真実」と認めない者に対して、人間はとても不寛容になる。真実と信じた信仰、思想、科学を否定するものにたいして、容赦なく攻撃してきた人間の、くろぐろとした歴史があります。
「真実に深入りしない」か。古希の年齢になると、しみじみと得心させられることばです。

イッセイ尾形との対談では、二人とも読者や観客にほめられると無性にうれしく、一人でもけなした文章をみるとはげしくおちこむと語っています。これほど売れている芸人、作家にしてそうなのか。これからも、良いもの気に入ったものについて、精一杯ほめ続けることにしよう。

短篇では、イッセイ演じる舞台のように、「いい人」が切れていく「ドライブ・イン・サマー」。
山田太一の家族劇のように、母と娘のこころの葛藤がなまなましい「セブンティーン」。
奥田みずから「私の短篇で5指に入る」と自負する、1960年代の少年の姿「夏のアルバム」。
どれもたいへん結構でした。嬉しいよう、奥田の短篇が読めて。

たのむよ奥田、枯れるにはまだまだ早い

気になったのはあとがきで「今まで黙ってましたが、わたしの小説の才は、とっくに切れかかっています」という一文があることです。文章の響きが、じょうだんとしてではなく、シリアスなタッチであることが気になりました。1959年生まれだから60歳・還暦か。疲れても不思議はありません。
また奥田がさぼってるな、早く次を読ませろ、などとわがままな感情を抱いてきましたが、もういいません。いくらでも待ちます。気が向いたとき、気が向いたテーマで書くということで結構ですので、これからも読ませてほしい。
枯れるのはまだ早すぎます。せめて「家」シリーズだけでも頼みます。

還暦を迎えた奥田英朗に、お疲れさま、これからもたのむよの、乾杯。
ヴァラエティ -
奥田英朗『ヴァラエティ』講談社、2016年、1200円+税。
関連:2016年07月28日、奥田英朗『向田理髪店』http://boketen.seesaa.net/article/440500816.html
2015年10月09日、奥田英朗『我が家のヒミツ』http://boketen.seesaa.net/article/427438006.html
2013年12月07日、奥田英朗『沈黙の町で』http://boketen.seesaa.net/article/382104843.html
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2017年04月22日

西原理恵子『毎日かあさん13 かしまし婆母娘(ばばははむすめ)編』

サイバラ、高校生に「カネに色はついてない」と教える

幼かった二人の子どもたちも、息子が高校3年、娘は高校1年。子育ても終盤にさしかかっています。
息子は半年間のアメリカ留学から帰ってきて、これからどこかの大学を受けようかと考え中。娘は生意気盛りの反抗期、サイバラとは1年間、口もきかない。かくしゃくとしている婆・俶子83歳は、「ためしてガッテン」の信者となり、はてしなく長生き健康ジュースの具を増やし続けている。
女3人は、なにかといえばツンツカ、かしましく言い合う。一歩距離をおいている息子は、言い合いが「最悪」の事態におちいりそうになると、レフリーとして軽くわって入る。サイバラ劇場はいつまでたっても見飽きません。

息子にはたくさんの友だちがおり、留学から帰ってきた歓迎会、正月の新年会、卒業のお別れ会などしょっちゅう集まってくる。これに、大量の肉、ご飯、ケーキなどを大盤ふるまいするサイバラ。ある日、子どもたちに語る一席が印象深い。
「毎日新聞」に連載して売れているのが『毎日かあさん』。サイバラは、小学館に描いているカットがたまって単行本にする際に『毎週かあさん』という類似タイトルを提案し、毎日新聞社には無断で「自分で自分の海賊版」をつくって売った。
「これがけっこう売れてねー」「まーその」「金に色はないっつう話」と締める。
だからあんたたちにこうやって、食いたいだけ肉を食わせられる。大人になったらカネがあるということがとても大切なんだ。カネを稼げる人間になれよ、というメッセージです。

サイバラには『この世でいちばん大事な「カネ」の話 』(角川文庫) という名著もあります。アル中の夫・鴨志田を「人間として」見送ってやることができたのは、自分にそれができるカネがあったからだと、マンガにもエッセイにも書いています。
上京後の、ビンボウ暮らし時代を描いたまんがに「20歳の私にあえたら、お金をあげたい」という痛切な一コマがあったなあ。
劇的だった人生をふまえて、高校生たちに「カネに色はついていない」という深遠な教えを、焼肉を裏返してあげながら語っているわけです。いい場面です。
この友だち連中は、サイバラ家にいけば食いたいだけ肉が食えたという、明るい思い出を残すだろうなあ。みんながみんな、順調にカネを稼げるようにはなれないとしても。

あのサイバラが「何を見ても泣けてくる」という

裏表紙の自画像の、目じりにわざわざシワを描きこんでいます。あえて51歳になった自分の老いを強調している。
ラストの2ページがシブい。反抗期で口もきかない娘が、仕事部屋をのぞきこんで「お母さんの大学はどやって行くの」「そこで舞台の勉強したい」という。サイバラがふりかえると「しゅっ」と姿を消す。
「もうすぐ夕日になる」「何を見ても泣けてくる」と本全体がしめくくられます。ま、娘のことばが、泣けるほどうれしかったということでしょう。
フツーのひとの何倍も劇的なサイバラ劇場も、少しづつ黄昏の気配がただよってきています。

子育て最終盤のサイバラ母さんに、乾杯。
毎日かあさん13 かしまし婆母娘(ばばははむすめ)編 -
西原理恵子『毎日かあさん13 かしまし婆母娘(ばばははむすめ)編』毎日新聞出版、2016年、907円+税。
関連:2014年01月19日映画「毎日かあさん」http://boketen.seesaa.net/article/385582846.html
2014年01月05日西原理恵子『サイバラの部屋』http://boketen.seesaa.net/article/384372261.html
2013年07月11日西原理恵子「生きる悪知恵」http://boketen.seesaa.net/article/368849128.html
posted by 三鷹天狗 at 09:49| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月20日

高橋秀晴『出版の魂 新潮社をつくった男・佐藤義亮』

秋田・角館出身の18歳の青年が、新潮社を起ち上げた?

稲泉連『「本をつくる」という仕事』に、新潮社校閲部長だった矢作孝彦の「校閲は出版社の価値であり、良心である」という名言がでてきます。矢作の個人的な思いではなく、創業者・佐藤義亮が校正係り出身であることによる、新潮社の遺伝子だという。
それはすごい、佐藤義亮とはどんな人?と、本書を手にしました。
なんと、秋田県角館出身の人です。そういえば、角館に行ったときに、新潮社名を冠した文学館があったような記憶があります。郷里に、こんな偉大な出版人がいたのか。

佐藤義亮(幼名儀助)は、1878(明治11)年、秋田県仙北郡角館町(現仙北市)に商家の4男として生まれた。父は荒物商だが、寸暇を惜しんで本を読む文人的傾向の人だった。
商家の子どもが高等小学校に進むのさえ珍しかった時代ゆえ、義亮の中学校進学の夢はかなえられなかった。師範学校への入学準備のため、秋田市にある責善学舎という私塾に入ることを父から許された。ここで学ぶうちに文学に傾倒、ついには17歳にして秋田を出奔した。
家出という非常手段だったので、頼るのは自分の力だけ。新聞配達、車引き、印刷見習工などを転々とする。秀英舎(大日本印刷の前身)の見習工として日給わずか10銭で油まみれになって働きながら、本屋の立ち読みで自学自習する。あるとき、雑誌『青年文』に投稿した頼山陽に関する文章が、一席となって掲載された。
しばらくして、働いていた工場の支配人に呼び出され「これを書いたのは君か」とただされる。本人であることが確認されると「では君を校正係りにしよう」と抜擢され、日給は20銭に倍増された。義亮の運命が大きく転換した瞬間だった。
明治という時代を感じます。向上心・向学心が国全体にみなぎっていた時代。
このときの、印刷会社の校正係りとしての出発が、後の義亮の人生全体を決定づけたというわけです。

義亮は、校正係として働きながら質素倹約し、弱冠18歳の身で雑誌『新声』をたちあげる。このときも、下宿のおばさんが義亮を見込んで「これでお金をつくりなさい」と行李いっぱいの着物を提供してくれたのだという。
義亮は終生、工場支配人と下宿のおばさんを恩人とした。きっと、秋田弁丸出しのこの青年(今なら少年)には、なにか人を惹きつける磁力のようなものがあったんでしょう。
青年投稿誌『新声』で成功した義亮は、やがて新潮社を興し、文芸出版の雄ともいうべき会社に育てあげた。多くの文学者を援助し、戦後は公職追放の身となり…という波乱万丈の人生を送ります。1951(昭和26)年73歳で逝去。成功した企業人の一代記としても、日本の文学・出版・ジャーナリズムの歴史としても面白い。著者高橋秀晴は秋田県立大学教授の由で、郷里秋田の大先輩を顕彰しつつ、広く当時の時代・社会相をふまえた、公平な記述に徹しています。
義亮が佐藤春夫に語ったという、出版社は「活字を刷っただけの紙屋」なのだという言葉など、深い味わいがあります。

新潮社と吉村昭

新潮社といえば、私にとっては吉村昭です(世間的には、村上春樹でしょうが)。
まだ無名の吉村昭が、「プロモート」という小冊子に書いていた「戦艦『武蔵』取材日記」が、当時の一流文芸誌である月刊『新潮』編集長の斎藤十一の目に止まった。斎藤の指示で吉村宅を訪れた編集者の「戦艦武蔵を小説に」という要請に、とまどいながらも吉村は420枚を書きあげた。『新潮』9月号(1966年)に一挙掲載された『戦艦武蔵』は大きな反響をよび、初版2万部がみるみるまに10万部を超え、ベストセラーとなった。半世紀を経たいまなお、新潮文庫で版を重ねている。
吉村はどちらかといえば純文学系の作家であり、斎藤十一という名伯楽がいなければ、今日わたしたちが知る吉村昭の作品群はこの世に誕生しなかった。吉村の、代表作といえる作品(『漂流』『高熱隧道』『ポーツマスの旗』『桜田門外ノ変』他)のほとんどが新潮社であることは、斎藤十一による吉村の発掘という功績ゆえでしょう。
そういう編集長がいたこと、矢作孝彦のような校閲者がいたことに、佐藤義亮がどんな出版社をつくろうとしたかがうかがわれます。

故郷秋田の大先輩、偉大な出版人・佐藤義亮に、乾杯。
出版の魂 -
高橋秀晴『出版の魂 新潮社をつくった男・佐藤義亮』牧野出版、2010年、1900円+税。
関連:2017年04月07日、稲泉連『「本をつくる」という仕事』http://boketen.seesaa.net/article/448794962.html
posted by 三鷹天狗 at 08:39| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする