2018年04月24日

稲垣えみ子『アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと』

橋下現象と向かいあった朝日新聞記者の記録

稲垣は、朝日新聞大阪社会部、「週刊朝日」編集部、論説委員、編集委員などを歴任し、2016年に50歳を機に退社した。朝日新聞が誤報騒動で世間からバッシングにさらされた、その渦中にいた記者の、なまなましい記録です。しかし、グジグジと愚痴をいってるような暗い本ではありません。むしろ、からっと明るい、笑える内容になっています。

わたしがいちばん興味をひかれたのは、旋風のような橋本徹現象と格闘した、大阪社会部時代の記録です。2008年に府知事になり、2011年に「大阪知事・市長ダブル選挙」をしかけた橋下に、大阪府民とマスコミは翻弄される。夕方になると朝日大阪のお客様オフィスに「朝日は橋下の宣伝機関か」「維新の会の話を垂れ流すのはいいかげんやめろ」「もう購読をやめさせていただく」といった反響がいくつも寄せられるのだという。
これには驚きました。
橋下旋風に圧倒されて、読者からこんな反応がくるような報道をしてたんでしょうね。情けない。稲垣はなんども「そんなことないのに」とは言っていますが、読者がそういってるんだからしょうがない。
いっぽう、まるで逆の「なんで橋下さんの足をひっぱるのか」「偏向報道の極み、許せない」といった声もくるという。
橋下という政治家が、賛否いずれにしても、強い反応をよびおこす政治家であったことがよくわかります。
橋下は「君が代条例」に続いて「教育基本条例」を提案する。「知事は学校が実現すべき教育目標を設定する」とし、戦前の反省から、政治家が教育に直接口出しできないようにした教育委員会制度を根底からくつがえす条例です。この条例への選挙前の世論調査が、賛成48%、反対26%というから驚きます。そして知事・市長選で維新の会が圧勝する。

稲垣は、朝日は橋下に完全に負けていると書く。
第1の理由が、橋下が喝采を浴びている「既得権益の否定」は、リベラル層をターゲットにしている。「きれいごとをいい、上から目線で、(中略)エラそうに説教をたれる」連中をぶっつぶせと煽っている。これ、そのまんま朝日新聞です。この煽りに、朝日はぜんぜん勝てていない。アメリカの民主党がトランプに勝てなかったのと同じ理由です。
第2は「特ダネ主義」が無効になった。橋下は思いつきの段階から発信し、議論の過程もオープンにする。洪水のように情報を出す橋下のまえで「他紙に載ってウチに載っていないのはマズイ」といった業界内論理で動いていると、いつの間にか紙面は橋下の発言でうめつくされるという愚かしい事態になる。これもツイッターで世界を翻弄しているトランプと同じ。

つまり橋下現象というのは、10年前に大阪でおきたミニトランプ現象だったわけだ。どうみても、うそつきペテン師チンピラにしかみえないこんな男に、大阪の人たちはなんで熱狂するのか不思議でなりませんでしたが、本書ではじめて理由の一端にふれたような気がしました。当時の橋下旋風と現場で向かいあった記者が、「まるで勝てない」負け戦を、それでも知恵や勇気をふりしぼってたたかっていた。たいへんだったろうなあ。おつかれさまでした。

あっさり会社を捨て、電気代月200円の暮らしを実践する

40代で朝日新聞の論説委員といえば、その世界のことはよく知りませんが、出世頭とかじゃないんですかね。いくら落ち目とはいえ、大朝日の記者という肩書きは、いまの日本ではたいへんなブランドでしょう。
ところが稲垣は、50歳になったのをシオに、あっさり退社する。
「得ること、拡大することばかりを考えて生きてきました。でも平均寿命の半分を過ぎたころから、来たるべき死に向かい、閉じていくこと、手放すことを身につけねばと思うようになりました。」
2011年の東日本大震災・原発事故をきっかけに、著者はできるだけ電気を使わない生活にシフトし、冷蔵庫、洗濯機、掃除機などの使用を順次やめていった。いまの日本では、人間は「集中治療室のベッドに横たわる重病人」のようなものではないか。生命維持のため、たくさんのチューブにつながれている。それを一個ずつ外していったら「私はベッドから起き出して自由に歩き回ることができるようになった」。最後の、もっとも太いチューブが会社であり、これを抜いたことで「糸の切れたタコ」=自由になれた。
ちなみに、稲垣が使っている電気製品は「電灯、ラジオ、パソコン、携帯電話」だけとなり、これにかかる電気代は月に200円だそうです。もちろん、貯金もあれば退職金もあるでしょうし、べつに窮乏生活に入ったわけではない。生き方、考え方の問題としての、電気をできるだけ使わない暮らしです。
ウーム、マネできないし、したいとも思わない。特に暖房のない暮らしはできない。しかし、とても大事な問題を提起していることは分かる。おりにふれて「そういえばアフロ記者はこう言ってたな」と思いおこすことになりそうだ。

10年前に、大阪でおきたミニトランプ現象とたたかった記者魂に、乾杯。
電気代月200円の暮らしに、とてもついていけないけど敬意をこめて、乾杯。
アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。
稲垣えみ子『アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと』朝日新聞出版、2016年、1300円+税。
posted by 呆け天 at 09:40| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月18日

西本喜美子『ひとりじゃなかよ』

「自撮りのキミちゃん」(5月に90歳)の写真集。熊本弁がなんともいえんばい。

「この表紙、どう?」
「どうって。おばあちゃんのカーリングチーム?」
「よっく見てみ。なんか変でしょ」
連れ合いが、購読している『通販生活』2018夏号の表紙をおしつけてくる。なにが変だって?
通販生活.jpg
あら。氷のリンクじゃなく、家の廊下か?3人とも同じバアチャン?ストーンに見えるのはヤカンか?
「自撮りのキミちゃん(5月に90歳)なりきりシリーズ」という、特集記事が掲載されている。
なんとこの人、撮影、演出、出演、写真をコンピュータ加工するCG技術者の、すべての役割を自分でするのだという。魂消ました。
記事によれば72歳で写真をはじめ、あまりもユニークな自撮り写真がWeb上で評判になっている。
さっそく写真集『ひとりじゃなかよ』を拝見。傑作な自撮り写真も楽しいが、それにまけない芸術的な写真がいっぱい。静物、風景、創作などさまざまな写真に添えられている熊本弁の詩がまたすばらしい。
「カレンダー」と題した一篇。
「毎年あんたたちゃ家に来るばってん
たいぎゃ溜まって 始末におおじょしとる
好かんとじゃなかとばい
助かるばってん 一枚あっとよかたい
ごめんね わがまま言うて」
(熊本弁 たいぎゃ=すごく。おおじょ=困る)
丸められたカレンダーが数本、筒状になっている写真にこの詩。おみごと。

『通販生活』ってなんなの。沖縄特集もすごくいい。

連れ合いが『通販生活』を定期購読していることは知っていましたが、手にとって読んだことはありませんでした。
大笑いしながらキミちゃんの自撮り写真を見終えたら、もうひとつ沖縄特集が組まれていて、稲嶺進前名護市長と落合恵子の対談が6ページ、「沖縄、私はこう考える」という伊勢崎賢治(東京外語大教授)、半田滋(東京新聞論説委員)、飯島信(「沖縄の基地を引きとる会・東京」)の充実した論考が3本。総合月刊誌だってこれだけの特集みたことがないくらいすばらしい内容です。
カタログハウスというところが出版している雑誌のようですが、なんなのこの会社は。
まったく、世の中には不思議な仕組みの会社があるようです。

自撮りのキミちゃんの、すばらしい写真に、乾杯。
ひとりじゃなかよ
西本喜美子『ひとりじゃなかよ』飛鳥新社、2016年、1111円+税。
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posted by 呆け天 at 08:15| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月12日

和多川月子『明治の男子は、星の数ほど夢を見た。オスマン帝国皇帝のアートディレクター山田寅次郎』

当時のオスマン帝国(トルコ)は、天上の楽園にみえた

波瀾万丈の人生を送った人の伝記はおもしろい。
明治時代に、オスマン帝国(トルコ)でスルタン(皇帝)から厚い信任をうけた日本人というだけで十分波瀾万丈ですが、ほかに実業家(製紙業)、茶道の家元としての貌をもち、1957(昭和32)年に91歳の天寿を全うした山田寅次郎の伝記です。
孫である著者が、誇りと愛情をこめて祖父・寅次郎の足跡をたどり
・人が考えないことをする
・物事には複数の考え方と方法論がある
・人生を豊かに(ラグジュアリー)楽しむ
祖父が心がけたのはこの三点だったと、その人生を総括しています。

タイトルの「明治の男子は…」にあらわされているように、明治時代の日本人はエネルギーと客気に満ちていてエライ!という、「日本礼賛本」系の本ともいえます。しかし、本書には、ネトウヨ・バカウヨが好む、偏狭なナショナリズムはありません。ごくシンプルに、ひとりの人間が好奇心、義心を発揮し、社会的・経済的な成功を求めて生きぬいた一代記として、楽しく読むことができます。サブタイトルの「オスマン帝国皇帝のアートディレクター」というのは、時のスルタンが日本の文化や美術に関心が深く、寅次郎に依頼してさまざまな文物を日本から輸入したことを、少し盛り気味にいった感じ。

印象に残ったこといくつか。
1、義捐金の金額
寅次郎の人生の転回点は、難破したオスマン帝国の軍艦・エルトゥールル号の義捐金を集めて自らトルコに持参したことです。わずか24歳の青年がよびかけ、世の中が反応し、外務大臣に面会して送金方法を訊ねたら「君が自分で行け」とアドバイスされ、時のスルタンにも会うことができた。
ところが、本書では寅次郎がトルコに持参した義捐金の額が明示されていません。ウィキペディアでは5000円(現在の1億円相当)とされていますし、他のサイトで寅次郎に触れたものでも、みな5000円となっており、違うのは現在の価値にするといくらかという換算のしかたです。
ところが、いわば決定版とでもいうべき評伝を書こうとし、山田家に残る資料でこれまで世の中に未発表のものまで詳細に検討した著者が、多くのページをこの義捐金問題に割きながら、金額のことだけひとことも触れない。いかにも不自然で、通説の5000円とは違う金額だったということだろうかと、気になりました。
2、当時のオスマン帝国(トルコ)は、天上の楽園にみえた
寅次郎は『土耳古畫観(トルコがかん)』という著作を残し、初めて見た首都イスタンブールの風景を「天上の楽園を連想させるばかり」と讃えている。
寅次郎がおとずれた1892年、今から130年ほど前のトルコは、衰退のきざしをみせていたとはいえ、東はアゼルバイジャンから西はモロッコまで、北はウクライナから南はイエメンまでを支配する大帝国だった時代の、名残りをとどめている。本書にふんだんに引用されている寅次郎自筆の絵・イラストは、いきいきとして魅力的です。諸民族が融合して暮らす国際都市の様子を、好奇心と好意・敬意に満ちて書き留めている。寅次郎が「民間大使」として活躍できたのも、その敬意をスルタンや高官たちが感じたからでしょう。
現在の外交や民間交流にも、寅次郎の初心が求められるように思います。
3、3ヶ国語を習得せよ
寅次郎は若い時に英語・フランス語を学び、トルコでは家庭教師についてオスマンル語に習熟した。「男子たるもの、最低3ヶ国語は習得する」を家訓とした由。あるとき製紙業に関することで、ロシアからきた実業家が「オスマンル語を話せる人はいないか」と問い「あなたの目の前にいる」とこたえて一気に取引がはじまったエピソードが紹介されています。
日本語以外まったく解さぬ身としては、おそれいるばかりです。

イカるな、ムリするな

寅次郎は有名人であり、晩年にラジオ番組で長寿の秘訣などをたずねられることもあった。戦後の1951年、86歳の寅次郎は「暴飲暴食をせぬこと」「憤怒の念を起こさぬこと」「無理せぬこと」(自分の力量、体力以外のことをしない)と説いています。
べつに特段の長生きをのぞむわけではありませんが、おだやかな晩年のためにはそのとおりでしょう。いまの安倍政権の所業などみると、つい「憤怒の念」に駆られたりするので、要注意です。
まえに、星野博美『戸越銀座でつかまえて』のなかで星野の母が「なんとなく気がすすまない時はやめておけ」という名言を吐いており、得心してしたがっています。
寅次郎の「イカるな、ムリするな」も、できるだけ心がけます。

明治の快男児、オスマン帝国に雄飛した寅次郎青年に、乾杯。
明治の男子は、星の数ほど夢を見た。-オスマン帝国皇帝のアートディレクター山田寅次郎 -
和多川月子『明治の男子は、星の数ほど夢を見た。オスマン帝国皇帝のアートディレクター山田寅次郎』産学社、2017年、2800円+税。
関連:2015年02月08日、内藤正典『イスラム戦争』http://boketen.seesaa.net/article/413703045.html
2015年04月29日星野博美『戸越銀座でつかまえて』http://boketen.seesaa.net/article/418116443.html
posted by 呆け天 at 10:06| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする