2017年07月09日

大田昌秀×佐藤優『沖縄は未来をどう生きるか』

たがいを尊重し合うふたりの、心ゆくまでの対話

対談の骨格部分は、雑誌「世界」2009年1月号〜2010年9月号に掲載されたものです。ですから、対談途中の2009年9月の民主党政権の誕生と、鳩山由紀夫首相の「普天間基地の県外移設」をめぐる迷走が、リアルに織り込まれている。
読みながら、当時の沖縄の期待と失望がありありと浮かんできて、息苦しいほどです。
第8章「政権交代が開いた可能性とその反動」(2010年4月号)では、大田が「もしも今後、民主党政権がつまずくようなことがあればバックラッシュで、より右寄りの一大連立さえおきかねません。自民党が逆転をもたらすだけの力があるか疑問だとしても、万が一にも逆転するようなことになると、国民はたいへん不幸な状態に陥るかもしれない」という、予言をしています。
ズバリと、予言通りのバックラッシュがおき、国民が「たいへん不幸な状態に陥る」事態になっている。歴史学者でもある政治家の、現実を読み、先を見抜く目に敬服するしかありません。

話題は、沖縄の歴史全般に及び、大田の底知れない学識・研究・経験を、佐藤が存分に引き出すという構図になっています。
佐藤優の母は大田昌秀と同じ久米島の出身であり、大田のことを「昌秀兄さん」と呼んで慕っていたという。久米島の生んだ自慢の秀才であり、遠縁でもあった大田を、終生誇りに思っていた。それが佐藤優にもひきつがれ、「大田先生は、沖縄の歴史で唯一の哲人知事であった」(P201)という、最大の賛辞を贈っています。
自民党や御用言論人からは「左翼」のレッテルを張られているが、実際の大田は保守・革新などという「本土の論理」を超えた沖縄固有の「セジ(霊力)」の体現者であった。大田の思想と行動は、沖縄の全歴史からうみだされたものであり、存在そのものが本土政府と拮抗し、対等である。大田県政の「代理署名拒否」の経験が、これから必ずいきてくる。
佐藤のことばは、のちに「保革の枠を超えた」翁長県政となって実現しており、いま現に安倍の暴政と対峙している。

大田も佐藤へのエールをおくっています。「かつてない有意義で興味尽きぬもの」「(これほど)知性あふれる対談は初めて」(「あとがき」)。対談の中でも、佐藤の強靭な思考が、キリスト教やマルクス主義の体験から生み出されていることが分かった、これまでは敬遠してきたが、もっと勉強すべきだったと敬意を表しています。
たがいに尊重し合うふたりの、1年半がかりの心ゆくまでの対話は、沖縄の未来にとっての貴重な資産です。

全編を通じての基調音は「沖縄の自己決定権」です。
沖縄のことについて決めるのは沖縄人だ。日米安保は保持し、米軍基地の75%は沖縄におしつける。これは植民地的な差別の構造だ。沖縄は、平成の琉球処分=辺野古新基地を許さない…。
佐藤が「太田さんはこのごろ独立論に傾斜しているのではないか」とふり、大田は自分が調べた沖縄独立論の系譜を丁寧に紹介しながら、「独立論がでてくる必然性」を語ります。断言はしませんが、大田の内心は大きく「沖縄独立」に傾いていると感じとれます。
佐藤は「独立を前面に出さない方がよい」という立場を表明したうえで、ソ連邦解体の時に小国があっさり独立するのを見てきた経験を語ります。「沖縄の人口は142万人です。これは独立国として十分やっていける人数です。」「ソ連の解体過程で、エストニア、ラトビア、リトアニア、モルドバなどの小国が独立する過程を見ている」「案外、簡単に実現できる」(P40)。
「思考実験としては、永世中立国宣言をして、それに成功したトルクメニスタンの事例を研究すると面白い」(P46)
なんだか「独立には慎重」といいつつ、独立のリアリティをさかんに語っているように感じます。

あらためて、偉大な沖縄人・大田昌秀氏を追悼する

本書で大田が縦横に語る歴史研究は、刺激的です。琉球処分のとき、日本政府は日清修好条規改定の事前交渉で先島諸島(宮古・八重山)を清国に渡すことを考えていた。曽野綾子などの右翼言論人の言説(「反沖縄」ビジネス)がいかに愚劣なものであるか。牛島司令官、長参謀総長の自決についての、軍関係者の記録と米第10軍司令部情報部の記録の違い。沖縄の人々をスパイ扱いした歴史。米占領軍と沖縄人との初期の蜜月。朝鮮戦争がはじまっていきなりの土地強奪と米軍への怒り。復帰運動や独立運動の錯綜…そのどれもが、沖縄の誇り、沖縄人の自己決定権に貫かれた研究です。
先月6月12日、大田昌秀氏は死去されました。享年92歳。6月19日のブログにも記しましたが、あらためて、偉大な沖縄人、歴史学者にして政治家・大田昌秀氏に追悼の意を表します。

火花を散らす「沖縄の知」に、乾杯。
沖縄は未来をどう生きるか -
大田昌秀×佐藤優『沖縄は未来をどう生きるか』岩波書店、2016年、1700円+税。
関連:2017年04月03日、孫崎享さん講演会http://boketen.seesaa.net/article/448664206.html
2016年01月10日、翁長雄志『戦う民意』http://boketen.seesaa.net/article/432358680.html
2015年05月21日、5・17沖縄県民、翁長演説。http://boketen.seesaa.net/article/419325697.html
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2017年07月05日

国谷裕子『キャスターという仕事』

「言葉の力を信じて」奮闘した23年間、すばらしい仕事でした

NHK「クローズアップ現代」キャスターとしての23年間、ほんとうにおつかれさまでした。
本書には、安倍政権とその飼い犬・籾井勝人(当時会長)に憎まれ、降板せざるをえなかったことが、「上層部からのキャスター交代の指示」ということばで、しっかり書かれています。
しかし、そのことを告発し警鐘をならすといった本ではありません。
自分の職場であるテレビというメディアについて、キャスターという仕事について、愚直なまでに、真摯に向かい合ってきた軌跡を書いた本です。

テレビは、単純な事実を映像の力で伝えることはできるが、複雑な問題を言葉の力で伝えることはできない、というハルバースタム(『ベスト・アンド・ブライテスト』の著者)の指摘に、国谷は強くこだわります。そこをなんとか突破できないか。テレビにも「言葉の力で」伝えることはできるはず、というのが、国谷の23年間のたたかいです。
それが、あの鋭いインタビューに 端的にあらわれた。フジモリペルー大統領(1997年)や田中康夫長野県知事(2001年)へのインタビューでは、番組終了後に「失礼だ」という抗議が殺到したという。
2014年7月3日の「集団的自衛権菅官房長官に問う」では、残り30秒でなお「しかし、そもそも解釈を変更したということに対する原則の部分での違和感や不安は、どうやって払拭していくのか」と質問し、菅が話し始めると番組が時間切れで終わるという事態がおきた。この時の官邸の「不快感」が、籾井経由で国谷降板につながったといわれている。
いまもなお、傲岸不遜、国民を舐めきった記者会見を続ける安倍の番頭・菅に対して、立ち往生させるような質問を発するジャーナリストはあらわれていない。

国谷の反省の弁で印象に残ったのは「公務員バッシング」です。
「自治体の無駄をなくせ」「官から民へ」といったマスコミや世論の風潮にクロ現ものってきた。しかし、その結果がいま、自治体が発注する工事やサービスに従事する人々の異常な低賃金や長時間労働をうんでいるのではないか。2016年2月の「広がる労働崩壊 公共サービスの担い手になにが」は、そうした反省からつくられた番組だった。
国谷はこれを「時間軸からの視点」と名づける。かつては当然とされた主張が、長い時間を経て新たな問題に変じていく。そのことを、みずからの反省をふまえて報じるのがジャーナリズムの仕事ではないか、という問いです。
世の中の支配的な思潮や気分は、おそろしいほど強い。だれも逆らうことができない。しかし、それは大きな弊害を生むものである…。深い教訓です。

良かったね、最後の番組。まさに23年間の結晶。

2016年3月17日の「痛みを越えて〜若者たち未来への風」が最後の番組となった。呆け天は、最終回になるなどということをまるで知らずにこの番組を見ました。感動的な、まさに最終回にふさわしい、いまの日本の痛みと希望を伝える内容でした。
国谷降板は、安倍政権のおごりの毒がNHKにまわったしびれ現象でした。しかし、その後、籾井の降板、今回の都知事選での都民の意思表示など、事態は流動性をはらんでおり、勝負は決着したわけではありません。
「民主主義は死んだ」などと安易にいわず、都議選の結果にぬか喜びせず、生ある限りこの世を見つづけていくしかありません。

国谷裕子の、言葉の力を信じた23年間の闘いに、おつかれさまの乾杯。
キャスターという仕事 (岩波新書) -
国谷裕子『キャスターという仕事』岩波新書、2017年、840円+税。
関連:2016年03月18日、クローズアップ現代、国谷裕子さんの最終回http://boketen.seesaa.net/article/435112691.html
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2017年07月01日

寺沢秀明『「寅さん」こと渥美清の死生観』

「聖教新聞」芸能部記者と渥美清。「寅さん本」異色の一冊。

「寅さん」こと渥美清が、徹底して私的な生活者としての側面を秘匿したスターであることは有名です。当然のことながら、内面的なことについてもあまり人に語ったりしない。
倍賞千恵子、関敬六、黒柳徹子など、相当に親しかった人たちの回想録でも、心やさしい人、孤独を愛する人というようなことは伝わってくるが、死生観、宗教観といったレベルのことは語られません。
その渥美が、この本では「死んだらどうなるんだ」「輪廻転生といわれても信じることができない。信じることができない人間が死ぬとどうなるんだ」といった問答を、真剣に寺沢との間で交わしている。
「寅さん本」の、異色の一冊です。
録音をとったインタビューではなく、二人の私的な会話の再現ですから、創価学会がすごくきらいな人にとっては、寺沢が渥美清をダシにして学会の教義を語った本じゃないのかと、頭ごなしに否定することも可能です。
わたしはそうしたイヤな感じはもたず、渥美清像に、貴重な深みを与える一冊と感じました。

出会いは芸能記者と芸能人が、「聖教新聞」のインタビューで出会ったということにすぎなかったのに、なぜか気にいられて、会社にしょっちゅう電話がかかってくる。一緒に芝居を観にいったり、飯を食ったり、肩のこらない雑談をしたり。あまりできの良くない新聞記者とのひとときが、渥美にとって格好の息抜きになっていたんだなということが伝わってきます。
渥美に「本はどれぐらい読むの」と聞かれて「月に一、二冊」とこたえる。「月に一、二冊…。そんなもんで文章を書いているのか」と心底あきれられ「書くには読まなければいけないだろう」と説教される。
芝居を見たあと渥美が熱心に語った感想や劇評を、まるごといただいて「この間の君の紙面、あの劇評は喫茶店で(俺が)話したことの丸写しじゃないか」「わかりましたか。そっくりいただきました。評判でしてね。褒められました」といった会話をかわす。渥美はどうやら自分の語った劇評が寺沢の筆で新聞に載ることがうれしいらしく、紙面になった午前中は決まって電話があった…。
渥美の父は、家庭をかえりみない新聞記者だったという。宗教新聞の、あまりできの良くない芸能記者と自分の父を重ねあわせてでもいたのだろうか。

本書のハイライトは、第46作「男はつらいよ 寅次郎の縁談」(1993年、マドンナ・松坂慶子)の撮影中、ロケ先の小豆島から渥美が「ダメかも知れない。すぐに来てくれないか」という電話をよこし、翌朝、著者が駆けつける場面です。
行ってみると渥美は思いのほか元気でホッとする。しかし会話はシビアです。
「テラさん、俺の顔に死相が出ているかい」あわてて否定する寺沢に「島の老人たちが俺に向かって手を合わせるんだよ。中には小声で念仏まで唱える人もいるんだ。今まで全国を回ってきたが、こんなことは初めて。…」
すごい場面です。このことが書き留められただけでも本書の価値があると思いました。
このあとに「(人間は)死んだらどうなるんだ」という、前記の会話が続きます。

死の淵にいることを自覚しながら、このあとさらに2作も撮ったのか。ほんとうにお疲れさまでした。

「見た瞬間、画面の隅々まで完璧に映画になっている作品」という映画論

映画や芝居についての、渥美のことばが書き留められているのも貴重です。
「見た瞬間、画面の隅々まで完璧に映画になっている作品に感動する」
「映画はアラ探しじゃないんだ。褒めて褒めて褒めぬけばいいんだ」
「安易に褒めちゃいけないよ。あのような劇団の芝居を」
「僕は化粧の下手な女優は駄目だと思っている」
寺沢に言い聞かせるように語っているなかにでてくるこれらの言葉には、ギラリとするような凄みがあります。

渥美清の、語られてこなかった一面をみせてくれた労作に、乾杯。
「寅さん」こと渥美清の死生観 -
寺沢秀明『「寅さん」こと渥美清の死生観』論創社、2015年、1600円+税。
関連:2013年09月20日、森英介『風天ー渥美清のうた』http://boketen.seesaa.net/article/375300148.html
2016年03月29日、名越康文『「男はつらいよ」の幸福論』http://boketen.seesaa.net/article/435840108.html
2016年08月01日、『寅さん、何考えていたの?』に泣くhttp://boketen.seesaa.net/article/440625583.html
posted by 三鷹天狗 at 09:00| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする