2017年11月13日

高山秀子『追憶の藤沢周平 留治さんとかたむちょ父ちゃん』

人生の師への、藤沢周平の真摯な敬意

本書の末尾に、見開きで載っている写真は迫力です。病臥する老人と藤沢周平が手を握り、じっと見つめ合っている。キャプションには「平成6年秋、最後のとき。互いに手を離そうとはしなかった」とある。作家・藤沢周平が小菅留治にもどり、人生の師・高山正雄にお別れを告げている。
この2年半後、1997年(平成9年)1月26日に藤沢周平は没し、高山正雄も翌年11月に亡くなった。

著者・高山秀子は、高山正雄の娘であり、長く「ニューズウィーク」東京支局で記者をつとめたジャーナリストです。
ほんらい、藤沢と父の関わりを書き残すべきは自分ではなく、藤沢と歳も近く直接の思い出も多い姉・敦子であるべきなのだが、「留治さんが有名になったがらて、しゃしゃり出るのはや(嫌)でがんす」と「かたむちょ」に拒絶する姉に代わり、家族に取材し、幼かった自分の思い出も動員して、いまは亡き父と藤沢の交流を書き記した一冊です。藤沢周平ファンにとっては、しみじみとありがたい。

藤沢周平の自伝『半生の記』(1997年、文春文庫)に、多感な青少年時代の藤沢に、教師以外で大きな影響を与えた二人の人物がでてきます。
一人は鶴岡印刷株式会社を経営する中村作右衛門。太平洋戦争のさなか、小学校高等科を卒業した小菅留治少年(後の藤沢周平)は、父の伝手で鶴岡印刷に就職し、夜は旧制鶴岡中学の夜間部に通学する。中村は、印刷会社以外にも手広く事業を行い、鶴岡商工会議所会頭を勤めるなど当時の鶴岡の名士でもあった。中学時代に県の柔道大会で7人抜きを演じた猛者で、50代の働き盛りだ。冬季は留治少年を居候させるなど徹底的に面倒をみた。将来は鶴岡印刷の幹部にしようという考えだったらしく、休日には留治少年に座禅をさせたり木剣を振るわせるなど、鶴岡の士道を叩きこもうとした。
もう一人が、本書の「かたむちょ父ちゃん」こと高山正雄。当時30代の若さでありながら藤沢の生まれ故郷・黄金村の助役だった高山は、酒を愛し学問を愛する熱血漢だった。出征で欠員のでた村役場に、たぶん将来の村を託する人材に育てようとの思惑もあってのことだろう、留治少年を引っ張る。
鶴岡印刷をわずか1年で退職して村役場にという話しに不満の中村は、ある吹雪の日「着ている外套の上から腰のところを縄でしばり」留治少年を連れて高山宅に赴く。鶴岡中学の先輩・後輩でもある中村と高山は、留治少年を別室に控えさせ、二人きりで少年の教育と行く末を論じる。
まるで、藤沢の小説の一場面のような印象深いエピソードです。15歳の少年の行く末を案じて、大人たちが熱くなって議論している。鶴岡という土地が人間を育むのだな、ということが強く伝わってきます。

高山と藤沢が同じ職場で働いた期間も、実は短い。留治少年は向学心にめざめ、山形師範への進学を決めて役場を2年で退職している。しかし、この2年間に高山から受けた酒と学問(「論語」など)の薫陶は、藤沢の生涯の土台となった。
教師となったが、結核にかかって退職を余儀なくされ、東京で業界紙記者として生きていくしかなかった藤沢は、結核という病ゆえに故郷を追われた者ともいえる。
なのに、故郷鶴岡への恨みや怒りは、藤沢の文章に一度としてでてこない。最初の妻・悦子をガンで亡くしたことと、故郷を去らざるを得なかったこと、その人生の理不尽を、小説という表現に昇華したところに、作家・藤沢周平の誕生があった。
「留治さんと父の手紙や電話のやりとりは、師範学校時代から彼が肺結核の治療のために上京したあとも、作家として名を成したあとも、亡くなるまで続いていた。」
高山は藤沢が作家として食べていけるかを案じており、安心させるために藤沢が便箋五枚にびっしりと執筆状況を報告している手紙の実物が掲載されている。直木賞を受賞する前の、藤沢自身も「食べていけるか」という確証をもちきれていない時期の手紙です。人生の師に対する敬意をはらいながらも、今は年老いた師を安心させようとする思いやりに満ちている。

高山は、55歳の若さで脳溢血のために半身不随となった。しかし、読書にいそしみ、刊行のたびに送られてくる藤沢の新刊を読むのがなによりも楽しみだった。つまり、藤沢の「海坂藩」ものの全小説は、まずは高山正雄が読むことを想定して書かれている。高山の規範、情感が受け入れられるものしか書かないというしばりがかかっている。だからこそ、あのような珠玉の作品が生み出された。
まさに、藤沢にとっての人生の師です。

10年ぶりの再読。鶴岡と藤沢の熱いきずなを思う。

本棚から久々に引っ張り出して10年ぶりの再読となった。故郷鶴岡と高山正雄の存在が、藤沢にとっていかに大きく、重要なものであったかをあらためて感じました。
正雄は、藤沢が見舞いにたちより、しばしの歓談のあと帰っていくと、必ず泣いたという。姉・敦子が、そんな父を詠んだ句が掲載されている。
 延齢草 老父(ちち)少年の泣顔す
 病む人のほうがおだやか白芙蓉
いい句です。

藤沢周平と故郷鶴岡、師・高山正雄の熱いきずなに、乾杯。
追憶の藤沢周平―留治さんとかたむちょ父ちゃん -   延齢草2.png 白芙蓉.jpg左:延齢草、右:白芙蓉
高山秀子『追憶の藤沢周平 留治さんとかたむちょ父ちゃん』集英社、2007年、1300円+税。
関連:2017年01月13日、「没後20周年記念 藤沢周平展」http://boketen.seesaa.net/article/445877050.html
posted by 三鷹天狗 at 10:33| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月07日

今村夏子『星の子』

両親がカルト教団信者である場合の、子どもの生き方感じ方

読んでいるあいだずっと、意識がすこし宙に浮くような小説です。
主人公の中学生「わたし」=林ちひろの一人称で物語はすすむ。中学生の感性そのままで語るこの少女に、70爺さんは感情移入できない。しかし、わけわかんないよ、と放り出すには小説がうますぎる。読みはじめたらほとんど一気読みです。すぐれた小説がもっている「なにか」が、この作品にはあります。

林ちひろの両親は、世間から白い目でみられるような、あやしげなカルト教団の信者です。
入信のきっかけは、ちひろが乳幼児のころにかかった原因不明の発疹だった。
「真夜中にかゆみで泣き叫ぶわたしのそばで、なすすべもない両親は一緒になっておいおい泣いたのだそうだ。」
この一行が、作品全体を貫いています。「一緒になっておいおい泣く」両親の図は、悲惨で滑稽で、純朴です。世智にたけた大人がいれば、「なにやってんだか」とサクサク解決策(らしきもの)を見出して次に進むわけですが、二人にさし出された救いの手は新宗教だった。
父の同僚が「それは水が悪いのです」といい、プラスチック容器に入れた満タンの水をくれた。その水をタオルに浸し、やさしくなでるというのを2ヶ月続けたら、奇跡的に発疹は消えた。それからというもの父母は「金星のめぐみ」というその水のとりこになる。
水をすすめてくれた同僚の「落合さん」夫婦を崇拝し、教団に入信して暮らしのずべてを教団に捧げる。水のおかげなのか風邪一つひかないが、少しづつ貧しくなっていく。
5歳年上の姉「まーちゃん」は、いつの頃からか両親の入信をうとましく思い、おじさん(母の弟)と結託して「金星の水」がただの水道水にすぎないことを暴こうとする事件を起こし、やがて家出する。
親類縁者は、葬儀の場でも教団の呪文を唱える夫婦を絶縁し、7回忌などの法要にも呼ばなくなった。しかし、せめてちひろだけは救い出せないかと、あの手この手で両親との引き離しを画策する。
ところが、肝心のちひろは、貧しい信者と化した両親を、周囲に対して恥ずかしいと思う感情もあるが、強く愛してもいる。
信者の子どもであることが理由で笑われたりいじめられたりもする学校を、疎ましくも思うが楽しくもある。
月に2回の信者たちの集会や、年に一度の研修では、年代・性別を超えた少年少女・青年たちがみなものすごく仲がよく、笑いがたえない。「学びの時間」や「ワークの時間」は楽しくないが、大学生の美男美女のカップルが一緒の遊びの時間は、こよなく楽しい…。

いったい、この小説はなんなのか、作者はなにがいいたいのか、という問いがどうしてもアタマから離れません。
「ふつうの暮らし」と「あやしげなカルト教団」との間に、なにか違いでもあるんですか、という問いかけだろうか。愚かな夫婦とお思いでしょうが、人間みんな愚かな存在ではないんですか、というシニカルな人間観だろうか。生きるということの意味を、限定したり判定したりするな、どのような生も肯定せよという人間讃歌だろうか。洗脳された少女の独白という、これまでの小説世界になかった手法で楽しませるという技法的な実験なのか。

問いが宙に浮いて、なんとも落ち着きません。
しかし、この作品が、小説表現の多様性に、誰も試みなかったものを一つプラスしたことは確かです。中学3年の少女が感じるままの、カルト教団のありよう、親への愛憎、親戚や学校を通してかかってくる世間の圧力。その、なまなましい手ざわりがただごとではない。
大きなハテナマークをつけたまま、とりあえず「問題作」の引き出しに入れておくことにします。

思い出される『カルト村で生まれました』の迫力

コミックエッセイ『カルト村で生まれました』(高田かや、2016年)は、ヤマギシズム共同体で生まれ育った女性が、35歳の現時点からこども時代の自分・親・共同体をふりかえったもので、どんな学者の考察、ジャーナリストのルポよりも迫力がありました。自分の信じるところにしたがって生きようとする個人も、集団も、放っておかれる権利がある。育った子供は、自分の意志でカルトから自立する権利がある。
オーム真理教のような邪悪なカルトが社会に牙をむいてきたときも、その犯した犯罪によって裁かれるだけで、内心故には裁かれてはならない。

若い頃は「宗教はアヘンだ」と信じた時もありました。人生経験を積むにつれ、他人が信じる宗教を、貶めたり干渉したりしてはならないと、肝に銘じています。
「(日本国憲法)第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
けっきょく、日本国憲法のこの条文にもどります。

今村夏子が放った「問題作」に、乾杯。
星の子 -  カルト村で生まれました。 -
今村夏子『星の子』朝日新聞出版、2017年、1400円+税。
関連:高田かや『カルト村で生まれました』文藝春秋、2016年、1000円+税。
posted by 三鷹天狗 at 10:17| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月05日

久住昌之『ニッポン線路つたい歩き』

脱力エッセイスト、ローカル線路沿いを散歩する

たとえばこういう文章。
「駅の周辺を歩き『ラーメンと餅・甘善』を発見。食べるところはここ一軒しかない。腹は減っている。が、ラーメンと餅、か。聞いたことのない組み合わせの店だ。店舗は新しいが、なんとなく老舗の雰囲気もある。どうなんだ、ここ。」
北海道・根室本線まででかけ、大楽毛(おおたのしけ)駅付近で昼食をとるべきか否かを迷っている。迷っているそのままをつぶやいている。つぶやきかたが、「孤独のグルメ」の井之頭五郎とそっくりなのが笑えます。
久住は、中高生の「腹減った、なんか食いてえ」という感覚をそのまま文章にして、人に読ませることができる、稀有の人です。
大きな流れで言えば、椎名誠や嵐山光三郎の「昭和軽薄体」(今や死語ですが)の延長上にある書き手ということになるのでしょうが、久住の場合、思索の片鱗も感じさせないように書くというレベルに達しています。
ものかきにつきまとう、知識を披瀝したい、深い知見の一端をほのみせたいという欲求に、厳しくふたをしている。ある種、禁欲的な作家ともいえます。

線路沿いに伝い歩けば、かならず目的地に着ける。散歩だから、地図はもたない、ガイドブックもいらない、名所旧跡をたずねない。
月刊『旅の手帖』編集部が提案するローカルな路線沿いに、数駅区間を歩いてみるという企画です。
関東近県も行きますが、氷見線(富山)、なはり線(高知)、佐世保線(佐賀・長崎)、根室本線(北海道)など、全国の鄙びた地域で、全長十数キロなんていう短い区間の路線を、わざわざ訪ねています。きっと、このままだと廃線も検討せねばなどという話しがもちあがっていそうな路線の、畑のなか、古い街並み、海沿いなどを、ひとりでトコトコ歩いている。ハラハラもない、ドキドキもない。なにかといえば温泉に入り、食堂に入ればまずはビール。ただそれだけ。
オレも行ってみたい、とか、オレもやってみたい、というような感情をよびおこさない。久住がまたヒマこいたようなことやってるよ、としか思わせない。
読書の楽しみの、超ニッチなある部分を刺激してくる、不思議な書き手です。

氷見駅そばの「小川屋食堂」

富山湾沿いに走る氷見線(高岡⇔氷見、全8駅、16.5キロ)をつたい歩いて、午後3時すぎに氷見駅に着く。かなり疲れている。なにもない駅周辺で「小川屋食堂」をみつけ、他に客がいない店で、ビールをたのみ、白エビの天ぷら、おまかせ刺身、氷見うどんを食べる。どれもが、すごくおいしい。
その至福感が、しみじみと伝わってくる。歩きたくはないし、行くこともないだろうが、もし万が一行ったら、この食堂には入ってみたい。

久住昌之の、線路つたい歩き散歩に、おつかれさまの乾杯。
ニッポン線路つたい歩き -
久住昌之「ニッポン線路つたい歩き」カンゼン、2017年、1500円+税。
関連:2013年12月04日、久住昌之『食い意地クン』http://boketen.seesaa.net/article/381864897.html
posted by 三鷹天狗 at 08:11| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする