2017年05月20日

森まゆみ『明るい原田病日記 私の体の中で内戦が起こった』

自己免疫疾患という難敵にたちむかう日々と、最愛の父の死

森まゆみは2007年4月、100万人に5人しか発症しないという自己免疫疾患、原田病にかかった。
全身のメラニサイト(=メラニン細胞)を自分の免疫が攻撃し、両眼の急性ぶどう膜炎でものがよく見えなくなったり、頭痛、耳鳴りなどさまざまな症状をひきおこす。失明の危険もある。発見者・原田永之助医師の名を冠して原田病(原田氏病とも)とよばれる。
モノカキにとって、眼に変調をきたすことほどやっかいなことはないだろうとは、素人でも想像がつく。比較的早期に「原田病」という診断がつき、ステロイドを投与すれば症状はおさえられるという療法も定石とされていることで、一進一退しながらも快方に向かっていく、約1年半の記録です。
悪いことは重なるもので、著者が愛してやまない父親がガンになり、8月に亡くなる。たぶん、人生にそうないような大ピンチの数ヶ月だったでしょう。
さすがに年功を経た作家として、取り乱すことなく、自分の大波のような心の揺れも含めて、しっかりと描きとめられています。
母親が父の遺品を整理しながら「ほんとにいい人だったね」と涙ぐみ、「でもそう面白い人でもなかったね」とつぶやく場面など、おもわず吹きだしてしまいます。

発症から3年たった2010年に「ほんとうに聞きたかったこと」と題して、信頼する医師にインタビューしている。津田篤太郎という、まだ30代の若い医師(北里大)のことばがとても鮮やかです。
「免疫というのは働きすぎもよくないし、働かなすぎもよくないんですよ。国家における警察とか、軍の権力みたいなもんで。」
なるほど。免疫は警察・軍隊か。弱ければ治安が乱れる。強すぎると国民を制圧して苦しめる。
森が「私の体の中で内戦が起こっている」と例えると「まさに内戦です」と即応し、免疫がいちどかかった病気のことをよく覚えていて二度と許さないというのは、朝鮮戦争やボスニア・ヘルツェゴビナの内戦で傷ついた人々の記憶がその後何十年も怨念として残ることと同じと説明していく。
人体と人間社会というのは、こんな鮮やかなアナロジーで説明できるものなのか。なるほどなあ。

病気にみまわれる、病気とたたかう、病気とつきあう。人間が決して避けることのできない難問のひとつに、朴訥なスタイルで向きあう森まゆみから、多くのことを吸収できる一冊です。

大野更紗と丁宗鐵を思い出しながら

自己免疫疾患といえば大野更紗『困ってる人』です。皮膚筋炎で全身が痛みにさらされる日々を綴った闘病記は壮絶です。彼女はいまもその難病とたたかいながら学者への道を歩んでいる。
最近では、丁宗鐵・南伸坊『丁先生、漢方って、おもしろいです。』のなかで、丁宗鐵が「免疫貯蓄の総量はみな同じ。ムダ遣いするな」と語っているのを聞いて、そゆことは中学生くらいの時に教えといてくれよな、と思いました。

森まゆみの「体の中で起きた内戦」のレポートに、快癒を祝って、乾杯。
明るい原田病日記―私の体の中で内戦が起こった -  明るい原田病日記: 私の体の中で内戦が起こった (ちくま文庫) -
森まゆみ『明るい原田病日記 私の体の中で内戦が起こった』亜紀書房、2010年、1600円+税。現在、ちくま文庫。
関連:2017年03月07日、森まゆみ『昭和の親が…』http://boketen.seesaa.net/article/447614846.html
2016年05月13日、大野更紗『シャバはつらいよ』http://boketen.seesaa.net/article/437773872.html
2015年04月13日、丁宗鐵・南伸坊『丁先生、漢方って…』http://boketen.seesaa.net/article/417170179.html
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2017年05月16日

奥田愛基『変える』

SEALDsを創った青年のつぶやき。誰にも似ていない。

2015年8月30日、10万人以上の市民が国会議事堂前の道路を占拠した。安保法制に反対する市民、労働者、学生の大きなうねりをつくりだした推進力は、数人の学生たちが2015年5月3日に結成したSEALDsだった。正式名称は「Students Emergency Action for Liberal Democracy-s」(自由と民主主義のための学生緊急行動)。
安倍ブラック政権の暴走に抗する国民のたたかいが、あれほどの盛りあがりと共感をよんだのは、ひとえにかれらの登場による。旧来型の「保守」と「革新」の、強権Vs無力な抵抗という、お約束のような図式に裂け目が入り、いきいきとした「個人」が街頭にあふれだして奔流となった。

本書は、SEALDs結成をよびかけ、創成した23歳の青年の独白です。
自分が23歳のときのことを思いおこしたり、時代のうねりの中で波頭に押し上げられてしまった過去の青年たち(唐牛健太郎、大口昭彦、秋田明大、山本義隆…)とくらべてしまったり、なかなかこころ穏やかに読むというわけにはいかない一冊でした。
読了して湧いてきたのは、この青年は本当に誰にも似ていないなあ、という感慨でした。

まず、リーダータイプでないこと。うじうじした思考。
中学生時代にいじめられっこで引きこもりで、自殺寸前までおいつめられていたという少年期が、「時代の波頭にたつ」タイプとは似ても似つかない。波頭に押し上げられてしまう若者には、まわりがなんとなく押し上げてしまうような磁力・吸引力・オーラがある。奥田はSEALDsのなかまである牛田に「政治家になるつもりか」といわれて「そんなこと言うなら俺には無理。帰る」と2週間も連絡不通になったり、「背負い込むな。もともとお前はしょ−もないし、本当に大したことのない奴だ」と「励まさ」れたりしている。自然に周りに人が集まってくる、といったタイプではぜんぜんない。本人としても、裏方で忙しくしている方が気性にあう。
よくもまあ、こんな若者があの役割りをひきうけたものだと、それだけでもウルウルきます。北九州市から鳩間島の中学校に逃れ、島根県の全寮制高校で回復していく。いじめ・ひきこもり脱出本としても、秀逸です。

次に、左翼的思潮との無縁さ。孤独な思考。
8月30日のデモのあまりの盛り上がりをみて、国民を慰撫するための参院「中央公聴会」が9月15日に開かれることになった。奥田は、民主党の推薦で6人の公述人の一人となり意見を述べた。寝ている自民党議員を起きるよううながして笑いをとり、奥田が訴えたのは自民党議員から一人でも安保法制反対に立つ人はいないかということだった。
「どうか、どうか、政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、たった一人の『個』でいてください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動してください。」
この「一人ひとり孤独に思考し判断しろ」というのは、SEALDsの合言葉であり、奥田の全行動を貫いている。つくづく、誰にも似ていない。
本書の中で奥田は、影響を受けた本や映画、ラップ音楽をふんだんに引用しています。しかし、誰かのことばのとりこになったり、有力な思潮に染まったりしない。特に特徴的なのは、左翼的な思潮との無縁さです。1992年生まれ、彼が生まれた時にはソ連圏は消滅している。当然か。
「人は時代の支配的な思潮に飲みこまれ、悪戦苦闘しながら自分の着地点をみつける」(後藤正治『清冽』)。この定理にしたがえば、奥田が飲みこまれた「支配的な思潮」って、なんなのだろうか。「支配的思潮の不在」が、奥田たちの世代が体験したことだったのかもしれない。

グローバリゼーションの中で窒息しそうになっている世界中の若者たちのなかから、既成の政党やイデオロギーに影響されていない動きがでてきています。台湾のひまわり運動、香港の雨傘運動、アメリカのサンダース支持選挙運動…、奥田たちは2016年4月に、マニラで東アジアの学生たちの会合を開いた(日本、フィリピン、台湾、ベトナム、マレーシア、タイ、香港)。
彼らの未来に幸あれ、と願わずにはいられません。

なにも終わってはいない。また始めればいい。

本書は、奥田愛基が中学生の自分に書いた手紙ともいえます。
「やれることしかできないし、できないことはできないからできない」と、奥田は繰り返し中学生の自分に語りかけます。「よく寝て、よく食べろ青年。くだらないことで死んでる場合ではない」と語りかけます。泣けます。
本書はまた、「民主主義は終わった」とかすかしたセリフをすぐに口にする、日本の「左派リベラル」をたしなめる本でもあります。なにも終わってはいない。また始めればいい、と23歳の青年が言ってます。まぶしい。

SEALDsを創り、率いた青年のつぶやきに、感謝の乾杯。
変える -
奥田愛基『変える』河出書房新社、2016年、1300円+税。
関連:2015年08月31日、すごいなあ、8・30国会前12万…http://boketen.seesaa.net/article/425085268.html
2015年09月03日、戦争したくなくてふるえる、を聞くhttp://boketen.seesaa.net/article/425199709.html
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2017年05月12日

琴欧洲勝紀『今、ここで勝つために 琴欧洲自伝』

元大関・琴欧洲が、鳴戸部屋を興した。おめでとう、成功してほしい。

「週刊文春」ゴールデンウィーク特集号の阿川佐和子対談は、異色のゲスト、元大関・琴欧洲でした。なんと、4月1日に鳴戸部屋を設立したという。すばらしい。ぜひ成功してほしい。
大相撲は、久々の日本人横綱・稀勢の里の誕生で湧いています。2003年に貴乃花が引退してから、14年間も日本人の横綱がいなかったのですから、相撲ファンが喜ぶのはとうぜんで、わたしも稀勢の里の活躍を祈るひとりです。
その陰でそっと出発した鳴戸部屋、弟子3人の小部屋です。ブルガリアからやってきて、ヨーロッパ出身初の大関になり、幕内優勝も一回なしとげた。顔を見るだけで善良な人ということが伝わってくる風貌。まさか、日本に帰化し独立して部屋を興すとは想像もしていなかったので、驚きました。

対談の中で阿川が「琴欧洲自伝」に触れているので、すぐ読みました。引退した2014年に上梓している。会話体の、読みやすい本です。
琴欧洲の本名はカロヤン・ステファノフ・マハリャノフ。1983年ブルガリア共和国ヴェリコ・タルノヴォ市で農家の次男として生まれた。
ブルガリアは人口約750万人、面積は日本の約3分の1(北海道と九州を足したくらい)しかない、小さな国です。オスマントルコに500年間も支配されたり、第2次大戦後はソ連の衛星国にされたり、バルカン半島の小国として苦難の歴史を歩んできた国のようです。
ブルガリアの大学で学び、レスリングにうちこんでいた19歳のカロヤン青年が、プロの力士になると決意する。途方もない地理的な距離、文化的な落差を埋めたのは、レスリングと相撲の「格闘技」という共通点、そして相撲で成功することがもたらす経済的な報酬の魅力です。
わたしたちは日本のことを、つい「小さな島国」と思いがちですが、一億人を超える人口をもつ国は世界で11か国しかないし、1970年代以降は「経済大国」の位置を占めてきた。ブルガリアに比べれば「大国」です。
まして当時のブルガリアはソ連崩壊(1991年)のあおりをくらって、経済はどん底。父が事故にあうという不運にもみまわれた。学生をやっている場合じゃない、オレが家族を救う、とカロヤン青年は決意、母の強い反対を押し切って来日します。

2002年に来日し、わずか2年で入幕、2006年には史上最速、初土俵から19場所で大関になった。おそろしいほどのスピード出世です。
身長202p、体重155sというめぐまれた体格、格闘家としての素質、ハングリー精神の3拍子が揃っている。呆け天は彼が来日した背景などまるで知りませんでしたが、これはすぐに横綱になるだろうと思っていました。ところが、意外にも大関で長く足踏みした。素人目にも「腰高」(足が長いんだからしょうがないとは思うけど)の弱点が見える。左肩鎖関節脱臼に苦しめられ、関脇に陥落、大関復帰がならなかった2014年、31歳で引退した。
大関になったときに当時の佐渡ヶ嶽親方(元・横綱琴櫻)から、将来の独立を約束されていたという。引退後は佐渡ヶ嶽部屋付きの親方として相撲協会で働きながら、2015年に日体大3年に編入し、科学的トレーニング、栄養、メンタルなどについて学び、今春卒業した(阿川対談より)。

土俵の上では「国際化」している大相撲ですが、相撲協会で親方になり、独立した部屋を興すとなれば話は別です。
まず日本に帰化する必要がある。琴欧洲は、ブルガリアで日本の国民栄誉賞にあたる勲章を受けており、帰化することには家族や親せきの反対があった。そうだろううなあ。たとえば、偉大な実績をのこした白鵬など、指導者として残りたくても「モンゴルの英雄」という立場が邪魔するのではないか。
これまで、元関脇・高見山の東関部屋(1986年〜)、元横綱・武蔵丸の武蔵川部屋(2013年〜)の二例しかない。
弟子探しもたいへんです。一部屋に所属できる外国人力士は一人だけというしばりがあり、東欧から力持ちの若者を連れてきてどんどん弟子にすればいいという訳にはいきません。「地元」がない琴欧洲には、有力な後援者を得ることも、有望な少年の情報を得ることも、きっとたいへんです。

そうした困難をどう克服していくのか。異文化にとびこんできて感じた、大相撲のすごさへの畏敬と、非科学的・因習的な側面への疑問を、どう昇華していくのか。楽しみです。

「グレーテルのかまど」で見る鳴戸親方の優しい笑顔。大丈夫か。

おりしも5月1日(月)夜のNHK・Eテレ「グレーテルのかまど」で「鳴戸親方のゼブラケーキ」という放送がありました。琴欧洲が少年のころ母親の誕生日にゼブラケーキ作ってプレゼントしたという感動秘話、母からの手紙、4月1日の鳴戸部屋開設の映像など、見入りました。
まだ佐渡ヶ嶽部屋付きの親方のときに、ケーキを50個も買ってきて弟子たちに食べさせるその優しい笑顔!。こんな優しい人が、格闘技の極北のような大相撲の世界で、指導者になれるのかと心配になるほどでした。
彼が名跡を継いだ鳴戸部屋は、故・横綱隆の里が鬼のような指導で稀勢の里を育てたことで有名です。琴欧洲の師匠の、先代佐渡ヶ嶽も厳しい指導で強い力士をたくさん育てた。
きっと新・鳴戸親方は、そんなことは百も承知二百も合点、優しさと厳しさ、伝統の稽古と科学的なトレーニングを融合させて、立派な力士を育ててくれるでしょう。

好漢・琴欧洲の鳴戸部屋設立に、幸あれと祈って、乾杯。
今、ここで勝つために (一般書) -
琴欧洲勝紀『今、ここで勝つために 琴欧洲自伝』徳間書店、2014年、1400円+税。
posted by 三鷹天狗 at 07:45| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする