2018年03月15日

遠藤展子『藤沢周平 遺された手帳』

『又蔵の火』は、失踪した長兄・久治へのメッセージだった

藤沢周平は、娘・展子に4冊の手帳を遺した。1冊目は、展子が生まれた昭和38年(1963年)に始まり、昭和42年まで。妻悦子のガンによる死、乳飲み子を抱えた父子家庭の奮闘の記録です。
娘・展子がいなければ、あと追い自殺のおそれがあった。それほど深く、悦子の死に、藤沢はうちのめされた。藤沢のエッセイ『半生の記』(1996年)には、SIC(ガンの特効薬として当時話題になった)をめぐる葛藤のあとに「死に至る一部始終を見とどける間には、人には語れないようなこともあった。そういう胸もつぶれるような光景と時間を共有した人間に、この先どのようなのぞみも再生もあるとは思えなかった」(P105)とあります。
手帳にはきっと「人には語れないようなこと」が記されていると推量されますが、展子はあえてそうした場面は引用していません。『半生の記』に書かれている範囲内の、あっさりした引用にとどめています。
保育園の連絡帳に、子守唄にレイ・チャールズの「愛さずにはいられない」を歌ったら展子も一緒に歌ったと記した。
「時間が心の傷を癒してくれると人は言う。
でも君と別れ別れになってから 
時間は俺の前に立ちはだかったままだ」
最近になってきちんと訳詩を読んだという展子は、幼い自分を抱っこしてこの歌をうたう父の心に想いを馳せます。胸に沁みる場面です。

少し間をおいて、昭和45年(1970年)〜51年の「金山町雑記」3冊。
昭和44年に、「倒れる寸前に木にしがみついた」ように高沢和子と再婚した。和子が頭金を出して東久留米の一戸建てに引っ越した昭和45年、まだ業界紙記者との二足のわらじではあるが藤沢は旺盛な執筆を続けた。昭和46年『溟(くら)い海』がオール讀物新人賞を受賞、そして昭和48年『暗殺の年輪』で直木賞受賞。
再婚と引っ越しを機に、これまでとは違った明るさ力強さ希望が、手帳の端々にうかがわれます。

小説を書く夫を誇りに思い、夫が小説家になる姿を夢見ていた亡き妻・悦子。
「趣味は藤沢周平」と言い切り、夫を全面的にサポートし続けた再婚の妻・和子。
藤沢周平の小説世界では、女性の心性の、美しさ勁(つよ)さがきわだっています。ふたりの妻とのかかわりが、色濃く反映している。4冊の手帳は、そのことを深く納得させてくれます。

著者は『又蔵の火』が、藤沢周平の七つ上の長兄・小菅久治と自分のことを史実に託して書いたものであり「兄貴を恨んではいないから、早く帰って来い」というメッセージだったと記しています。
『又蔵の火』は、鶴岡の総隠寺で実際に起きた事件を素材にした、悽愴な復讐劇です。一族の面汚しとして死んだ放蕩者の兄のため、理不尽ともいえる仇討ちを甥に挑む又蔵。これを読んで展子は「父は実際の話を借りて、父と父の兄の話を書いたのだとすぐに思いました」という。
長兄・久治は、戦争から帰ってくると、実家の農業を拡大しようと借金して副業をはじめた。それがうまくいかず、借金を残して行方不明になった彼は、家族・親戚に疎まれていた。
その兄にあてた「恨んでない、帰って来い」というメッセージとして書かれた作品だというのです。この読み解きは、これまで藤沢文学を論じたさまざまな著作にはなかったものです。身内でなければ書けない、気付かない視点です。
藤沢の直木賞受賞のニュースを見た兄が連絡をしてきたことで、兄弟の絆は回復した。その後、兄は田舎に帰り、おだやかな晩年を過ごすことができた。
藤沢はいくつかのエッセイに、忘れがたい長兄との場面を描いています。兄が戦地から復員してきた時のこと、庭の辛夷を切ろうとしている背中、結核療養施設に藤沢を送り届けすぐに帰っていく姿、若い頃ほれぼれするほど美声だったこと。
「父は伯父にどのようなことがあっても、やはり農家の長男である伯父を尊敬していたのでした。」
なるほど。深く納得のいく読み解きでした。

専業作家となったとき、すでに自律神経失調症だった

1974年に専業作家として出発した当時から、藤沢は自律神経失調症だったというのは、本書で初めて知りました。藤沢は自身の自律神経失調症については、率直に、妻と一緒でないと外出もできないと書いている。しかし、読んでいるこちらはなんとなく藤沢の晩年のはなし(60代に入ってから)と、勝手に解釈していました。
当時まだ48歳、作家専業として出発したその頃にはじまり、69歳で亡くなるまで約20年。作家としての藤沢周平の全期間が、妻・和子のサポートなくしてありえなかったと、この本でくっきりと了解しました。
「趣味は藤沢周平」と言い切る人と出会ったことは、本当に幸運だった。

娘による父・藤沢周平の回想と鎮魂に、献杯。
藤沢周平 遺された手帳 -
遠藤展子『藤沢周平 遺された手帳』文藝春秋、2017年、1500円+税。
関連:2018年03月03日、練馬・石神井公園で藤沢周平展http://boketen.seesaa.net/article/457385553.html
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2018年03月09日

北大路公子『生きていてもいいかしら日記』

「好奇心は身を滅ぼす」が座右の銘の、脱力系エッセイスト

7歳の時「ここに足入れたらどうなるべ」という発想で踏み切りのレールの溝に足を挟んだら抜けなくなって、やがて遮断機が下りはじめた…。その翌年、海水浴で浮き輪に乗って一人沖へ行き、「ここで下りたらどうなるべ」と海に飛び込んで、瞬時に溺(おぼ)れた…。
いずれの場合も見知らぬお兄さんが疾風(はやて)のように現れて助けてくれたから今も生きているが、もし死んでいたら、死因は好奇心だった。ここで確立した「好奇心は身を滅ぼす」という座右の銘にしたがって、今日も私は日がな一日テレビをみて過ごしている。
だいじょうぶ。怠け者でもひきこもりでも、昼酒飲んでても生きていけるという、力づよいメッセージ。いやはや、なんとも形容しがたい物書きがいるものです。

吉村昭は「エッセイにはウソを書かない」主義の作家で、小説とエッセイを峻別していました。ほんとうのことしか書かないエッセイで、しみじみと滋味にあふれていたり、ウソだろと笑ってしまう話しをたくさん読ませてくれました。
北大路には、そうしたしばりはいっさいありません。書かれていることがウソかほんとうか、まるで分からない。そんなことどうでもいいでしょ、おもしろければ。脱力・妄想系のきわみエッセイです。

これは面白いと彼女のデビュー作『枕もとに靴ーああ無常の泥酔日記』(2005年)を読むと、妄想度はさらに濃い。北大路が2001年から気ままに書きはじめたブログ「なにがなにやら」(ハンドルネーム、モヘジ)を収録したエッセイ集です。
たとえばそのなかの一編「春洗い」は「昨日はお彼岸だったので、仕事を放り出して、朝から近所の神社に『春洗い』にでかけた」とはじまる。「春洗い?札幌にはそんな風習があるのか」と読んでいくと、炊事道具を洗う年配の女性などの描写に続いて、三歳くらいの男の子を素っ裸にして洗いはじめるジーンズ姿の若い母親、「子洗いだ!」と興奮・拍手する参詣客というシュールな展開に。ブログの読者から「こんな残酷な風習はやめるべき」と反応があったという。もちろん100%の作り話なわけですが、信じてしまう人がいてもおかしくないほどデティール描写が巧みです。

これを読んだら、「線路の溝に足をはさんだ、沖でおぼれた」というのも、「好奇心は身を滅ぼす」というアフォリズムを、もっともらしくみせるための作り話だなと分かります。底なしのうそつき、呼吸をするようにつくり話がでてくるタイプ。
小川洋子の短編集『原稿零枚日記』(集英社文庫)を連想しました。
この人、そのうち冴えた短編小説で芥川賞候補になったりするんじゃないか。

変わらずバカバカしいことを書いていく

巻末に「あとがきにかえて」という、編集者による著者へのインタビューがのっている。悩んだりしてる世の中の人たちが、たまたまわたしの本を手にとって「バカバカしい」と笑い、こんなやつでも生きていられるのかと安心してくれたらうれしい。「だから、変わらずバカバカしいことを書いていこうと思います」と、決意を語っています。確固たるへらへら。
最新エッセイ集『私のことはほっといてください』(2017年)では、寿司屋へのまちがい電話で地球を救ったり、カッパと親密な友情を育むなど、相変わらずの絶好調ぶりです。

「怠け者でも生きていけるよ」という、引きこもり系妄想エッセイに、乾杯。
北大路公子『生きていてもいいかしら日記』毎日新聞社、2008年、1400円+税。(現在PHP学芸文庫)
『枕もとに靴ーああ無常の泥酔日記』寿郎社、2005年、1700円+税。(現在新潮文庫)
『最後のおでんー続・ああ無常の泥酔日記』寿郎社、2006年、1500円+税。(同)
『私のことはほっといてください』PHP学芸文庫、2017年、620円+税。
関連:2014年03月05日、小川洋子『原稿零枚日記』http://boketen.seesaa.net/article/390585832.html
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2018年03月07日

紀田順一郎『蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』

3万冊の蔵書を600冊に減らし、人生の終焉に備える

1935年生まれの著者は、老妻との利便なマンション暮らしという、80歳を超えた年齢にふさわしい暮らし方を選択する。
そのためには、3万冊に達する蔵書を、600冊に減らす必要があった。その苦悩、逡巡、喪失感。600冊のためのスライド式書棚2台すら嫌がる妻との攻防…いやはや、なんともつらい。

著者の計算によれば蔵書1万冊収納のためには、高さ1.85b間口0.8bの標準的なスチール本棚が40本必要だそうです。機能性や重量を無視していえば、一般住宅の6畳間が4部屋分という。
著者の蔵書は3万冊だから、スチール本棚120本、6畳間12部屋分。著者自身に相当の資力があったからこそ可能だった蔵書です。1997年に岡山県の吉備高原に、本の収蔵を主目的としたセカンドハウスを建て、田舎暮らし、蔵書の理想的な収納、妻の満足、移住先での執筆の依頼という、なにもかもが満足できる数年間を過ごしてもいます。
しかし、2011年に医療や移動に不安を感じ始め、東京への撤退、縮小した暮らしを決意する。蔵書の散逸を避ける方法はないのか。あれこれと打診しても、引きうけてくれる公的機関はない。ついに観念して古書店にすべてひきとってもらう。4トントラック2台、運び出しのアルバイトを二日間で延べ8人手配して作業は行われた。
去っていくトラックを見送った著者は、その場に崩れ落ちたという。

本書では、自身の蔵書処分を切り口として、現代日本の蔵書事情、古書市場について、かなり詳しく論じられています。
かつては蔵書家が亡くなれば公立の図書館や大学がひきとって貴重な文化遺産として活用するという機能があった。いまやそれはほぼ無い。公立図書館はどこも予算削減に見舞われ、保有図書の維持管理で手一杯。学者や研究者が所持している資料は、一般利用者からはほとんど需要がない。無用のもの、迷惑物件扱い。かつて貴重な寄贈を讃えられた著名人の蔵書が、遺族の了解もなく散逸した例さえあるという。
古書市場は、戦争や好不況、時代のトレンドなどを反映してどんどん変容していく。現在は、デジタル化時代の波を受けて、紙の書籍への需要は減り、古書価格は売りに出せば情けないほど安い(その割に、買うときは高い)。
著者は、見果てぬ夢として「蔵書館型」「自宅開放型」「シェア・ライブラリー型」などの創意工夫に満ちた蔵書有効活用の道はないかと語っています。自分にはできなかった。実現の方途は分からない。しかしせめて希望は持ちたいと記した著者は、最後の2行を次のように結んでいます。
「私は地下鉄神保町駅の階段を、手すりにすがりながら一段一段おりた。この階段をおりるのも今日が最後と思ったとき、足下から何かがはじけた。」
ほとんど自分の全人生であったものを、自分の手で葬った著者の悲しみに、胸うたれます。

だんだんモノが減っていき、死ぬ時にはなにもないのが良いー藤沢周平

蔵書の必要も趣味もない人生をおくってきた身には、とうてい理解できない世界です。しかし、研究者・学者、作家といった職業の人にとって、蔵書が不可欠のものであり、自分の手で発掘した資料をもとに書いてこそ、読者の心をつかむオリジナリティを発揮できるのだということはわかります。
吉村昭は、長期連載の執筆途中に、ある問題について疑問が生じたとき、現場にいけば必ず決定的な一次資料に出会ったことを、繰り返しエッセイに書いています。執筆に必要な資料は大きな紙袋に入れて足元におき、執筆が終われば再び古書市場にもどした。
藤沢周平は「だんだんモノが減っていき、死ぬ時にはなにもないのが良い」と語っています。
わたしには、吉村や藤沢の考え方、感じ方がなじみやすい。しかし、紀田の苦悩を嗤う気はない。これもみごとな人生の一局です。

3万冊を600冊に減じた著者に、おつかれさまの乾杯。
蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか -
紀田順一郎『蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』松籟社、2017年、1800円+税。
関連:2014年10月07日、新潮社編『私の本棚』http://boketen.seesaa.net/article/406699869.html
posted by 呆け天 at 08:59| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする