2018年02月03日

川端基夫『消費大陸アジアー巨大市場を読みとく』

ラマダン明けにポカリスエット!アジア市場のダイナミズム。

「世界は意味と価値のモザイク」と説く、国際流通・アジア市場についての入門書。とても面白い。
インドネシアの全人口の8割を占める2億人のイスラム教徒に、大塚製薬のポカリスエットが爆発的に売れているのだという。
イスラム教では1年のうち約1ヵ月間は断食(サウム)が課せられる。ラマダンとよばれる断食の月には、日の出から日没まで、食べ物はもちろん水さえも口にできない。とうぜん夕方には脱水症状をおこす。とくに老人や子供には体にこたえる。
「ラマダン明けの渇きを癒す」飲料としてポカリスエットが認知され、他の飲料水の1.5倍の値段なのに、ものすごく売れている。

大塚製薬が「ラマダン明け」の需要にたどり着くまで、10数年を要した。
1989年にインドネシアに進出したが、日本でポカリスエットが売れる三つの要素「スポーツで汗をかいたあと」「風呂上り」「二日酔い」はインドネシアには存在しない。熱帯の気候の下でスポーツで汗を流そうなどという人はいない。湯につかる習慣はなくシャワーを浴びるだけ。イスラム教は酒を禁じているから二日酔いも存在しない。
さっぱり売れないポカリスエットがインドネシアで受け入れられたのは、2004年のデング熱の大流行だった。デング熱は、蚊が媒介するインドネシアの風土病で、冒されると数日間40度以上の高熱と下痢が続き、深刻な脱水症状に陥る。
この時の水分補給剤として、ポカリスエットが認知される。それは、営業マンが一軒一軒医療機関を訪問し、医薬品代替飲料として医者から患者に勧めてもらうように働きかけた、地道なマーケティング活動の結果だった。
スポーツの「渇きを癒す」飲料から、デング熱の「渇きを癒す」飲料へと、価値の転換が行われたシーンだった。ここでの社会的認知が、次の、ラマダンに「渇きを癒す」シーンへの飛躍を生みだしていく…。ドラマです。

人は商品をどのように意味づけ、価値づけて購入するのか。
それは国によって、地域によって、宗教や生活習慣によって、想像もつかないほど違うのだということが、さまざまな事例をあげて説かれます。
中国からの観光客がいま訪れたいのは、日本の平凡な農村だ。中国の、暗い貧しい農村と、日本の明るい「豊かな」(と少なくとも中国人には見える)農村部の対比に、彼らは驚愕する。
中国からの観光客がなぜ日本のドラッグストアで家庭用医薬品を爆買いするのか。それは都市部の金持ちしか医療の恩恵を受けることができない中国の現状ゆえだ。
吉野家はアジア市場でどのように受け入れられたか、味千ラーメン(本社:熊本)の豚骨スープが台湾と中国本土で爆発的に受け入れられた理由、ロッテのリキシトールガムが、またたく間に中国のガム市場の30%を占めたのはなぜか。日本の中古ピアノ(死蔵数500万台)が中国でなぜ売れるのか。
どの事例もただただ感心するばかりです。

川端の関心は、日本のモノやサービスをアジアでどうやって売っていくかにあります。大学教授が「日本の商品を売る」ことにかくもあからさまな熱意を示すことに、呆け天などは少し違和感を覚えますが、いまどきの「役にたつ学問」を求められるご時世では当然なのかもしれません。
自信喪失の裏返しとしての「日本エライ」病が蔓延しています。川端の、市場での検証に耐え得るモノやサービスとはなにかに徹したリアルな研究は、その治療にもなります。

「意味と価値のモザイク」という、世界理解の楽しさ

世界を理解するさまざまな方法のひとつとして「意味と価値のモザイク」という考えかたが加わりました。いいですね。相対主義で、柔軟で、排他主義から自由。どんな文明も文化も良しとする大らかさを感じます。
ある商品が市場に受け入れられるか、受け入れられないか。その一点をめぐる考察が、アジアの中で日本が生き延びていくにはどうすべきかという、問いかけになっています。

ラマダン明けのポカリスエットに、乾杯。
消費大陸アジア: 巨大市場を読みとく (ちくま新書1277) -
川端基夫『消費大陸アジアー巨大市場を読みとく』ちくま新書、2017年、780円+税。
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2018年01月26日

金革(キムヒョク)『自由を盗んだ少年 北朝鮮悪童日記』

自由のために、生命を賭けたコッチェビの脱北記

北朝鮮で、7歳から18歳までコッチェビ(浮浪児、ストリート・チェルドレン、アウトロー)として生き抜き、脱北者となった青年の手記です。
「今日の食事」のために、ものもらい、ひったくり、窃盗、スリなどあらゆることをする。飢えのまえでは、正邪も良否もない。孤児院や感化院など、じっさいには不良少年を飢えや体罰で抹殺するための施設での暮らし。そして命がけの脱出行。冒頭30ページを費やして描写される中国からモンゴルへの国境超えは、さながらサスペンス映画、冒険活劇映画の趣きです。
運よく韓国にたどりついた金革は、自分の人生を自分で選ぶことができる韓国を、天国と呼ぶ。奨学金を受けて大学院に学び、修士論文を書くまでにいたる。
よくぞ生き抜いた。
人間は、食うためならなんでもする。自由のためなら、生命を賭ける。
国民を飢えさせ自由を剥奪する金王朝は、崩壊する以外にないのだということが、なまなましく伝わってきます。

金革の修士論文は、版元の大田出版が「補論・北朝鮮のコッチェビ研究」として、Web公開サービスをしています。大田出版、エライ!
北朝鮮の現状を、平易な文体でレポート・分析しており、広く読まれてほしい価値ある論文です。
北朝鮮当局は、大きく3つの方法で国民を統制している。
「徹底した配給制度のもと物質で人を統制する物質統制、『唯一指導体制』の正当性を浸透させる理念統制、そして警察の徹底した監視と処罰を通じて住民を統制する警察統制だ。これは北朝鮮社会のすべての住民に例外なく適用される。」
国民を「3階層45成分」に分類し、食糧配給、住居、教育、職業…すべてについて徹底的に差別・監視・統制をする。
金革は、もはやコッチェビ(統制社会の枠外の人間たち)は、北朝鮮社会が排除できない闇市場を形成していると書いています。ソ連崩壊時のロシアマフィアが果たした役割りと同種のものになっている。北朝鮮の崩壊の一要因となり、かつ、崩壊時の混乱を最小限に止めるための装置にもなりうると予見している。
金革の予見の当否は分かりませんが、悪夢のような統制社会からこぼれおちざるを得ない人びとに、幸あれと祈らずにはいられません。

金王朝崩壊は、どうやってもたらされるのか

佐藤優は、武力ではなく経済で北朝鮮の独裁を終わらせるべきと主張しています。ハリネズミのようになっている北朝鮮を、武力で制圧しようとすれば途方もない犠牲が発生する。戦争を避け、金一族の生命を保証し、改革開放経済にひきこんで国民に豊かさをもたらすべきだ。国民の「欲望」を解放すれば、欲望の阻害要因である金王朝独裁は退場せざるをえない、という筋書きです。
金革の、コッチェビ闇市場が統制社会を揺るがすという考えは、佐藤優の主張と通底するところがあります。

苦難を経た金革は、終章で言います。
「結局僕の結論はこうだ。赤(共産主義)か青(韓国人が好む色)のどちらかでなければならないわけじゃない、腹を満たすことができ、誰にも束縛されない生活ができるのなら何色でも関係ないじゃないか?」

生き抜いたコッチェビをたたえて、乾杯。
自由を盗んだ少年−−北朝鮮 悪童日記 -
金革(キムヒョク)『自由を盗んだ少年 北朝鮮悪童日記』太田出版、2017年、1400円+税。
関連:金革「北朝鮮のコッチェビ研究」http://www.ohtabooks.com/press/2017/09/08124500.html
2017年10月12日、佐藤優「トランプの『北の核容認』に備えよ」http://boketen.seesaa.net/article/454109454.html
posted by 呆け天 at 08:38| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月17日

若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』

祝・63歳の芥川賞受賞。「遠野の昔語り」の匂いがする。

「あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが
どうすっぺぇ、この先ひとりで何如(なんじょ)にすべがぁ」
これが書きだしの2行です。
わたしは東北出身なのですらりと読めますが、東北出身以外の人はこの小説読み通すのはたいへんだろうなあ、などと余計な心配がわきます。
夫に先立たれて一人暮らしをしている74歳のおばあちゃん・桃子さんの、全編モノローグ小説です。
頭のなかを複数の人間(これまで生きてきた桃子さんの各年代の声、抑圧されていた桃子さんの声…)が行きかい、ぶつぶつとひとり言をいい、高笑いし、怒り、涙する。
「東北弁とは最古層のおらそのものである。もしくは最古層のおらを汲み上げるストローのごときものである」と、複数の内面登場人物のひとり「人品穏やかな老婦人のごとき柔毛突起」がいう。
タイトルの「おらおらでひとりいぐも」を決めたのも、きっとこの老婦人でしょう。

宮澤賢治の詩『永訣の朝』、賢治の絶唱の合間に妹トシ(とし子)のささやきがはさまれる。
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
 ー雨雪をとってきてください
(Ora Orade Shitori egumo)
 ーおら おらで ひとり逝くもの

初めて読んだ時、この(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)に受けた衝撃、ぶわっと涙がふきあがる感覚は数十年を経た今もみずみずしくよみがえります。
くらべて(Ora Orade Shitori egumo)は、どうしてこの一行だけはローマ字で書かれねばならなかったのかが分からず、ハテナマークがついたものでした。最愛の妹トシのことばを「音」として、聖なる響きとして伝えるためではないかというような解説を読んで、なるほどと思ったりもしました。
今回、この本のタイトル「おらおらでひとりいぐも」がもつ強い吸引力をみて、ある納得感があります。
祈りに似た響き、しかも賢治の詩では「あの世へ逝く」の意味なのに、この本のタイトルは「自分らしく、一人で生きていく」という意味だということが、伝わってくる不思議。
作者は、そこまで考え抜いてこのタイトルにしたのでしょう。

エンディングが、小学校3年生の孫娘との交歓であることが救いとなり、甘い心地よさが残ります。

読み終えた翌朝に「芥川賞受賞」のニュースを知る

それにしてもおもしろい小説がでてきたものだと読み終えたら、翌朝(1月17日)の新聞で「芥川賞受賞」が報じられている。これは読書人生での初体験です。
63歳で、初めて書いた小説が「文藝賞」受賞(昨秋)、そして芥川賞受賞となった。
「テーマをつかむのに、私には63年という時間が必要だった」「何かを始めるのに、遅いということはない」という受賞の弁、迫力です。
岩手県遠野の出身とありますから、遠野の昔語りの血も引いているでしょう。でだしの東北弁に、その匂いがあります。
人生を「ほぼ終わったもの」としてとらえがちな最近の呆け天に、若竹姐さんの言葉が喝となって響きます。

だれもがひとり行く者である、という熱いメッセージに、乾杯。
若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』河出書房新社、2017年、1200円+税。
関連:2016年08月31日、村田沙耶香『コンビニ人間』http://boketen.seesaa.net/article/441495744.html
2015年06月06日、<続>遠野。カッパ淵、ふるさと村。http://boketen.seesaa.net/article/420207325.html
posted by 呆け天 at 11:40| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする