2018年06月09日

後藤正治『奇蹟の画家』

49歳まで完全に無名だった画家を、神戸という街が見出す物語

横浜とならぶ国際貿易都市神戸。人口150万人の大都市ですから、それだけで自足できる政治・経済・社会・文化があるだろうことは想像できます。

49歳までまったく無名だった画家・石井一男と、神戸の海文堂ギャラリーの主宰者・島田誠の出会いは鮮烈です。
神戸で生まれ育った石井は、アルバイトで生計を維持しながら、誰にも見せることのない絵を描いてきた。ほとんど世間と没交渉で生きてきた石井は、ある日、意を決して島田に電話し、絵をみてくれと頼む。次の日、石井が持参した絵をみた島田は「巧拙を超越した」「聖なるものに到達している」絵に、息をのむ。
その年、1992年10月に開催された個展は、無名の画家としては異例の反響をよぶ。神戸は、石井一男を発見した。
石井一男「女神」.png 石井一男「女神」2.jpg 石井一男.jpg<ネットから拝借>
第1回の個展は大きな反響をよび、一点4〜6万円ほどで販売された石井の絵は、画廊40パーセント画家60パーセントという島田ルールに基づいて精算され、約100万円が石井にわたされた。
石井は「おカネは結構です…亀井純子文化基金というのがありましたよね。寄付させてもらえませんか」という。
亀井純子文化基金は、神戸のオランダ総領事館で文化担当官をしていた亀井純子が40歳の若さで癌のため死去、遺志により寄贈された1千万円を基金に創設されたもの。島田も世話役として運営に携わっている。石井の申し出に驚いた島田は、こう言って断った。
「石井さん、誠にありがたいお話ですが、この基金はあなたのような人の援助のために存在している基金でありまして…」
おもわず吹きだす、じつに印象的なやりとりです。石井一男、島田誠というふたりの男の人間像が、くっきりと伝わってきます。
初個展から17年後、神戸だけではなく、東京の小さな画廊でも個展をやれば多くの客がくるまでになった石井は、再び亀井純子文化基金への100万円の寄付を申し出る。島田は基金の運営委員に集まってもらい、「厚意をありがたく受けさせていただく。ただし、金額は申し出額の半額とする」という結論をだした。

後藤は、石井にだけ密着するのではなく、石井の発見者・島田や、石井の絵を愛好したさまざまな人びとへのインタビューを通じて、石井の絵の魅力を解きあかしていきます。
病魔とたたかう元ジャーナリストが、病室に飾った最後の絵は石井の「女神」だった。
骨髄移植を目前に控えた公務員が、訪れた海文堂ギャラリーで購入したのは「女神」だった。
阪神淡路大震災(1995年)で自分も被災者となった石井は、「恋」と題した炎の絵を描く。震災で亡くなった小学生の教え子を偲ぶ元教員は、この絵を自宅に飾る…。
神戸という街が、孤独な魂が叫んでいるような石井の絵を、発見し、受容し、育てていく。絵と街の出会い、孤独な魂と人々との出会いが、感動的です。

清酒もカラオケも神戸が発祥?

石井一男の、孤高・孤絶の絵を、ふところ深く受け入れて行く神戸。
「神戸にはわが国発祥といわれるものが少なくない。ゴルフ場、洋菓子、清酒、映画館、マッチ、真珠、ケミカルシューズ、マラソン、カラオケ、トンカツソース、ソバメシ…などなど、神戸のハイカラ文化ともよばれるが、多分にゴッタ煮であって、人とモノが行き交う港町のなせることであろう。」
清酒が神戸発祥なの?そういえば、江戸っ子がありがたがっていた上方から下ってくる酒というは、神戸の酒か。カラオケも?こちらもネット検索するとすぐでてくる。こわもての人たちも微妙にからんでいるみたい。マラソンも映画館も神戸からですか。ソバメシなんて聞いたこともない。
東北・関東圏に棲息してきた身からすると、神戸は大阪・京都ほどにはなじみがない。この本を道案内に、いちど遊びに行ってみたくなりました。

石井の「聖なるものに到達した」絵と、石井を育んだ港町・神戸に、乾杯。
奇蹟の画家 (講談社文庫)
後藤正治『奇蹟の画家』講談社、2009年、1700円+税。
関連:神戸トピックスhttps://kobeport.exblog.jp/9798534/
2014年05月13日、後藤正治『清冽ー詩人茨木のり子の肖像』http://boketen.seesaa.net/article/396920525.html
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2018年06月05日

原田マハ『たゆたえども沈まず』

ゴッホが切り落としたのは、耳たぶの先っぽだけだった

ゴッホといえば、ひまわり、貧乏、耳きり落とし、自殺です。
50数年前、東北の片田舎で、ひまわりの絵と、生きている間は世の中に認められなかったハナシをセットで記憶した中学生は、天才画家=貧乏という固定観念をずいぶん長くいだいていました。

名手原田マハは、加賀藩の蘭学者の家に生まれた青年・加納重吉が、尊敬する先輩で画商の林忠正によばれて勇躍フランスにでかけていくという仕掛けで、わたしたちを1880年代のパリに連れていきます。ナポレオンの親族が貴族扱いされているような時代の、フランスです。
芸術を愛好する若いエリート・重吉の、焦がれるようなパリへのあこがれ。慣れないモーニング姿の東洋人を、珍奇なものとして見るフランス人の視線。貴族趣味の絵画が、新興ブルジョア好みの印象派の波に駆逐されていく時代の流れ。フランス・ヨーロッパにまきおこった日本の浮世絵や工芸品への高い評価=ジャポニズム。そのチャンスをとらえて活躍する画商・林忠正の仕事ぶり。
青年重吉のみずみずしい感性がつたえる当時のパリに、次第に感覚がなじんでいきます。

重吉は、同年代の画商・テオと親しくなり、テオの兄・ゴッホのことも知るようになる。なにか卓絶したものをはらんでいるとみえるゴッホの絵だが、まったく世の中からはうけいれられない。確かに、作者が表紙につかった「星月夜」なんて、唯一無二、美とも狂気ともつかぬ作品です。これが当時のフランスで受け入れられなかったのはしょうがなかったんだろうなあ。
テオの援助を酒でつかいはたしてしまうゴッホ。ゴーギャンとの同居と共同創作がうまくいかず、耳きり落とし騒動をおこす。やがて、孤独のうちに自殺。重吉がテオから聞くさまざまなエピソードで、ゴッホの悲劇的な生涯がつづられます。
世に受け入れられなくとも描き続ける孤絶・孤高の画家には、テオという、画商にして兄弟の、絶対的な理解者がいた。
テオは、ゴッホの死後1年とたたずに、愛する妻と子どもを残して亡くなる。せめてテオには、ゴッホの絵が世界の賞賛を浴びる場面を見せたかったなあ。

本作でいちばん驚いたのは、ゴッホが切ったのは耳たぶの先っぽ、小指くらいの大きさにすぎなかったということです。なんか、大仰に包帯を巻いた自画像の記憶などあるから、片耳全部をすっぱりと切り落としたのかと思っていました。
治療にあたった医者がテオに「小指の先程度ですよ。しかし、びっくりするほど血が出たのです。指でも耳でも、体の先端っていうのは、傷つくと出血が激しいものなのです」と説明するくだりがリアルで、テオの、人騒がせなバカ兄貴への憤りと、たいしたことがなくて良かったという安堵が、まざまざと伝わってきます。

架空の人物?それは誰だ

長い物語が終わり、映画のエンドロールのような、40数冊の<主な参考文献>協力を得た個人や公的機関の紹介につづき、「この作品は史実をもとにしたフィクションです。架空の人物に特定のモデルは存在しません」ということばがきます。
「架空の人物?」それは誰だと思いかえすと、<主な参考文献>のタイトルに一度も名前がでてこない加納重吉しかありません。
加賀藩に生まれ、東京の開成学校(のちの東京大学)でフランス語を専攻し首席で卒業、先輩・林忠正を慕ってパリにやってきた青年。彼が作品全体の狂言廻しとなっているから、快調に読み進むことができた小説です。その重吉が「架空の人物」というのですから、原田マハには負けるしかありません。
読みはじめに重吉がでてきたとき「また加賀藩かよ」などと、最近読み終えたばかり『西郷の首』の、二人の加賀藩士のことなど思い浮かべたのですから、ウブというか、だまされやすいというか。
では不快かというと、そうではありません。それこそ、「ひまわりと貧乏」くらいしかゴッホについての知識がない爺さんが「そうだったのか、つらかったなあゴッホ。良く支えたなあテオ」とゴッホ兄弟に感情移入しながら読了できました。

ゴッホとテオの兄弟愛に、乾杯。加納重吉の純情に、乾杯。
たゆたえども沈まず
原田マハ『たゆたえども沈まず』幻冬舎、2017年、1600円+税。
関連:2016年12月25日、原田マハ『暗幕のゲルニカ』http://boketen.seesaa.net/article/445233798.html
posted by 呆け天 at 09:47| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月01日

菱田雄介『border │ korea』

38度線の南と北。分断された国の民族を、合わせ鏡のように見開きページに。

写真でなにができるかということの、目を見張らされるような実例です。
38度線の南と北に分断された民族が、いまどのように暮らし、生きているか。「ボーダー│コリア(=境界│コリア)」。タイトルの真ん中に、カベに見立てた、縦のケイ線が入っている。
赤ん坊、少年、少女、学生、若い母、中年の女性、兵士…。年齢・性別・職業などがほぼ釣り合っている南北のフツーの人たちが、左右見開きページで、背景やポーズなども比較的よく似せた構図で、たんたんと写っている。ことばによる説明はいっさいない。
手法としては、先に北朝鮮で撮影した写真があり、次に韓国で「この構図に似た写真が撮りたい」と協力を求めると、人々は興味深々という感じで協力してくれたそうです。南伸坊や清水ミチコに「顔マネ写真」という芸がありますが、これはいわば「構図マネ写真」です。なにかの冗談のようなユーモアがただよっている。
個人の肖像だけではなく、公園、地下鉄の入り口、海水浴場など、不特定多数の集まる公共空間も、ほぼ釣り合うように撮影されている。しかし、まったく釣り合いがとれない写真が一つだけあります。夜の歓楽街です。韓国側の居酒屋密集地域風の写真に対応する絵柄は、北朝鮮にはないらしく、ホテルの窓から撮ったような夜景でお茶をにごしています。
昼の繁華街、地下鉄車内など、人がたくさんいる場での写真では、韓国側はたくさんの人であふれ、北朝鮮側は閑散としている。南と北は、民主か独裁かという点で根本的に異なる政治体制ですが、庶民の生活レベルでは、消費の場面にくっきりとその違い・落差があらわれる。

1950〜60年代に、北朝鮮を「地上の楽園」と信じて多くの在日朝鮮人が帰国した。そのことには、日本の左翼陣営も逃れられない責任を負っている。帰国した彼らの運命が、どれほど悲惨なものであったか。加えて、横田めぐみさんなど拉致被害者の存在。いまや北朝鮮は、世界最悪の人権状況にある一党独裁国家だということに、議論の余地はありません。
「地上の楽園」から「地上の地獄」への、あまりにも極端なイメージの転換で、北朝鮮にはわたしたちと同じように暮らしている人々がいることを忘れがちになります。金一族にだまされ踊らされて、飢餓線上にあえいでいる悲惨な人たち…それが北に抱くイメージになってしまっています。しかしここには、そうした悲惨な写真は一枚もありません。

今から70数年前、日本人は「鬼畜米英」と叫んでいた。いっぽう米英側からみれば、ヒロヒトや東条にだまされ踊らされて丸腰で突撃してくる愚かな兵士、飢えた庶民としか見えなかったはず。しかし、当時の日本でも、庶民は泣いたり笑ったりして生きていた。
どれほど無惨な支配体制のもとでも、その人たちの多くは、ことさら自分が不幸だとも思わず、生まれた時からの独裁国家で必死と生きている。70数年前の日本の庶民に想いをはせれば、北に暮らす2500万の人々へのまなざしは、おのずから変わってくるはず。
この写真集は、政治体制がどうであれ、人は生きていくという単純な真実を伝えてきます。

米朝会談が「朝鮮戦争・終戦宣言」への一歩になることを願う。

実現するかどうかはまだ不明ですが、米朝首脳会談の予定日時が、目の前にせまっています。トランプと金正恩という、世界のきらわれ者が、いまだ休戦状態にある朝鮮戦争(1950〜53年)を終わらせ、「終戦宣言」にふみきれるか。ふたりへの嫌悪がどれほど強かろうと、関係ありません。終戦宣言がなされることが、朝鮮半島の非核化に向けた前提条件です。まさに歴史的な場面であり、会談が「朝鮮戦争・終戦宣言」への一歩になることを願います。
トランプの中止声明でいったん白紙に戻るかにみえた米朝会談が、韓国・文在寅大統領の活躍で修復されつつある。すばらしい。
トランプの中止声明をいちはやく承認した安倍政権は、米朝会談がおこなわれないこと、失敗することを願ったことが、世界中にバレバレです。修復と開催が決まると、自分の政権期間中なにひとつ手をうたなかった拉致問題でトランプにすがる。なんという情けない。
歴史は、南北に分断された民族の、平和的な再統一を可能とする方向に動いていると、信じたい。

菱田雄介の卓抜な着眼、朝鮮半島の平和への願いに、乾杯。
border | korea
菱田雄介『border|korea』 リブロアルテ、2017年、5500円+税。
関連:写真家・菱田雄介が見た南北のボーダーと、分断された世界に対して写真ができることhttps://ztokyo.net/articles/korea_hishidayusuke/
posted by 呆け天 at 09:14| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする