2014年07月25日

笹沢信『評伝吉村昭』

全作品を読みこんだ労作。吉村ファンにはうれしい贈り物。

ほとんど愚直なまでに吉村昭の全作品をとりあげ、長編については梗概と読みどころの紹介、短編については重要作品について異例とおもえるほどの長さの引用をして「純文学作家」としての吉村の魅力を伝える。
吉村作品への批評については、文庫の解説をした著名な批評家・作家の文章の一部を引用し、その評に同意するという形をとり、著者自身の新たな視点、独創的な批評といったものは提起されていない。
この本を読むのは吉村昭ファンにきまっており下手な「新解釈」はむだなこと、という著者のいさぎよさを感じる。
笹沢の誠実でていねいな全作品解読の作業は、吉村ファンにとってはうれしい贈り物だ。

呆け天は長編はほとんど読んでいるが、短編はあまり読んでおらず、エッセイにも読み落としがあったことを本書で知った。
笹沢の的確な要約を読んでいるうちに、途中なんどか本棚から吉村作品をひっぱりだして部分読みするなど、時間をかけてゆっくりと楽しんだ。
初めて聞いたということではないが、次の二つの引用は強く響いてきた。

ひとつは文学作品の鑑賞について。
吉村は、ある文学作品への好悪の感情は読み手の個性の問題であり、「自分の鑑賞眼が低い」などと思う必要はみじんもないと語る。
「島崎藤村の代表作『夜明け前』、夏目漱石の諸作品などは名作として激賞されているが、私の胸の琴線にはふれてこない」(『句会』)とまで語っている。
現役の作家で、夏目漱石を「琴線にふれてこない」というのは他に聞いたことがない。
吉村の、文学との格闘の厳しさ、おのれの文学観への確固たる自信に圧倒される。

もうひとつは、受賞会場まで呼び出されながら落選となった芥川賞について。
「あそこで受賞してたら僕はだめになったんじゃないかな。あの頃書いてた路線のものばかり書いて、いつか袋小路に入ったと思うんだ。」(『廻り灯籠』同年の作家城山三郎との対談より)。
新潮社の名伯楽、斎藤十一に見いだされて執筆した『戦艦武蔵』が、純文学作家吉村昭のなかにひそんでいたもうひとつの巨大な可能性を花開かせた。

笹沢が膨大な吉村の著作から引用する、その引用の確かさ、あざやかさがみごとだ。
著者笹沢信氏は、2014年4月に亡くなり本著が遺作となったという。

吉村作品への愛にあふれた一冊に感謝し、笹沢氏に献杯。
 評伝 吉村昭 -
笹沢信『評伝吉村昭』(白水社、2014年、3000円)
posted by 三鷹天狗 at 12:24| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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