2017年08月18日

野川灯籠流し 幻想的な美しさ

60年ぶりの灯籠流し体験

早朝散歩の深大寺に「第16回野川灯籠流し」のポスターが貼ってある。
そういえば60年ほど前の秋田の田舎、村を流れる川で、村人だけのささやかな灯籠流しが行われていたなあ。もはやテレビで見るだけになってしまった灯籠流しを野川でやっているのか、と見にいきました。
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ご近所のささやかな恒例行事という感じのものではなく、調布市仏教会、カトリックサレジオ調布教会、調布市神職会(神社)、立正佼成会調布教会が、宗教の垣根を越えておこなう「物故者追悼、環境保全、世界平和」の宗教行事でした。
宗教・宗派を超えたこういう動きは、どこでもあるのか調布だけのことなのかは知りませんが、私は好感をもちました。
多くの灯籠がゆっくりと流れくだる光景は、幻想的・詩的で、望郷の想いもわきます。
それにしても、これだけの数の灯籠が、流れ下って多摩川に合流し海まで行くのかな。それはそれでえらいことだな、などと思っていたら、なんと灯籠はすべてせき止められ、回収されるのでした。灯籠流しではなく、「灯籠流さず」でした。それはそうか。1000基もの灯籠が多摩川や海に流れていって放置されたら、それこそ「環境保全」という趣旨にも反してしまう。

帰ってから検索すると、もうひとつ驚いたことがあります。
灯籠流しは仏教行事ではなく、広島で原爆の犠牲者を弔うためにはじまったものが全国に広がったのだそうです。長崎の精霊流しのように江戸時代からおこなわれている仏教行事もあるが、全国各地で行われている灯籠流しは戦後にはじまったものだという。
そこで記憶をたんねんに洗い直してみると、こども時代に見たのは灯籠ではなかったなあ。ワラでつくった小さな舟に、きゅうりやナスの馬の人形なんかを乗せていたのを流していた。「灯籠流し」と思い込んでいたのは、テレビ映像なんかと混じった「記憶の捏造」のようです。すると、あれは精霊流しだったのか…。この件は、もう少し調べて見る必要がありそうです。

幻想的な灯籠流し風景に、宗教を越えた祈りに、乾杯。
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posted by 三鷹天狗 at 10:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

サンシャワー 東南アジアの現代美術展(国立新美術館)

数百年におよぶ、欧米による植民地支配。その深い傷をアートに見る。

国立新美術館に行ってきました。すごい建物です。黒川紀章デザイン、創立10周年。所蔵品はもたず、広大な展示スペースで、美術や映像作品の公募展、企画展をみせる「場」です。
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ここで、7月から約3か月間「サンシャワー 東南アジアの現代美術展」が行われており、8月9日に見学に行きました。
今年(2017年)は、ASEAN(東南アジア諸国連合)設立50周年にあたり、加盟10カ国(インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオス)のすべての国から出品されています。
血塗られた世界地図、処刑される政治犯など、なまなましい作品が多い。数百年に及んだ欧米による植民地支配、日本の侵略と第2次世界大戦、独立と内戦、軍事独裁といった、各国の流血や抑圧の歴史が色濃く反映された作品群です。
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カンボジアのリー・ダラブー「伝令」は、ポルポト政権で伝令役として使われた子どもたちの写真で、なんともいえない迫力があります。自国民百数十万人を虐殺(100万から300万まで諸説あり)したポルポトの悪業は、子どもたちも駆使して行われた。虐殺の生き残り者の証言では、洗脳された子どもたちは、なんのためらいもなく銃殺・撲殺を行うので、もっとも恐ろしいとあります。あどけない顔の子どもたちの写真が並べられただけの一画に、濃密な死の匂いがたちこめているようです。
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「さまざまなアイデンティティ」という企画コーナーのビデオ映像作品「来年」(ミン・ウォン、シンガポール)は、イギリス植民者の恋人同士と、被支配マレーシア人の恋人同士が、同じ舞台装置で時空を超えて入りまじる、ほとんど分裂症気味のもの。ぶっとんでいます。深く内面化されてしまった植民者の美意識や価値観という強烈な批評が、自国と自分自身に向けられています。
マレーシアがポルトガルの植民地にされたのが約500年前、以後オランダ、イギリスに支配され、1942年には日本が占領。戦後の曲折を経て1957年に独立。1985年にはそのマレーシアからシンガポールが独立。その重層的な歴史は、とうてい日本の平和呆け老人には理解できるものではありません。
しかし、同時代を生きている者としての、作品への共感、共鳴は確かにあります。
未だアイデンティティ確立の途上にあるわれらASEANというメッセージが、強く伝わってきます。

常設作品とは別に「ビジュアル ドキュメンタリー プロジェクト2015」という、ドキュメンタリー映画の上映会があったので、これもじっくりと見ました。タイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマーの監督たちによる、15〜20分の短編映画です。どれもが、ものすごく興味深い。
ミャンマー内戦で足を失った兵士たちの義足を、敵味方問わずに提供する元兵士を描いた「私の足」。同じくミャンマーで、アウンサンスーチーをボディガードすることに人生を捧げた男を描く「我が政治人生」。マレーシアの貧民街で、貧困から脱出するために歌手になることを夢見る少女「儚さ」。意気軒高なベトナムインテリ老人が楽しい「ジウおじいちゃんへ捧ぐ」。そして、タイ・ミャンマー国境に住み、仏教徒に迫害・差別されながら生き抜くイスラム・ロヒンギャの若者を描く「2人のマイケル」。
どの作品も、それぞれの国で、矛盾の中を生き抜く個人の姿を淡々と追っていて引きこまれました。

サンシャワー(天気雨)というタイトル、秀逸です。

サンシャワー(天気雨)は、陽はさしているのに雨が降る不思議な気象のこと。東南アジアの自然の豊かさ・明るさと、さまざまな困難が降りそそいだ歴史。希望の見える経済成長や民主化のはじまりと、政治的な軋轢や格差・差別・貧困の現存。そうした両義性についての誌的なメタファーと説明されています。秀逸なタイトルです。
歩いて行ける森美術館でも同じ企画の展示が行われているのですが、新美術館だけで数時間が過ぎてしまい、単館見学にとどめました。

躍動する東南アジアの現代美術に、乾杯。
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                        インドネシア、FXハルソノ作品。指文字で「民主主義」
サンシャワー 東南アジアの現代美術展(国立新美術館)会期、2017年7月5日(水)〜10月23日(月)。入場料1000円。
posted by 三鷹天狗 at 09:34| Comment(0) | 美術・水彩画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

倍賞千恵子『倍賞千恵子の現場』

普通を演じる名女優、映画の現場を語る

渥美清、高倉健、山田洋次。この3人と深くかかわった名女優は、というクイズがだされれば、だれだって倍賞千恵子とこたえます。
渥美清と共演した寅さんシリーズ全48作、高倉健と共演した3本「幸せの黄色いハンカチ」「遥かなる山の呼び声」「駅 STATION」、ほかに「家族」など多くの作品、そのほとんどを映画館で封切り時に見ました。満員の観客と一緒に見た倍賞千恵子の映像は、人生の宝ものです。
たとえば吉永小百合や浅丘ルリ子のような、画面に出てきただけでその美しさに観衆が魅了されてしまう、そういう女優ではありません。だからこそ、日本を代表するような美人女優が次から次へと出てくるという、ありえないような設定の寅さんシリーズに出続けても違和感がなかった。とらやの家族と一緒に「キレイな人だねぇ」とタメ息ついてマドンナを見ている。その役割ができて、なおかつどんなマドンナにもまけない魅力をたたえている。まさに稀有な女優です。

その倍賞千恵子が、話し言葉で自分の女優人生、歌手人生を語っています。
まずは寅さん・渥美清。倍賞のさくらさんなしに、寅さんシリーズは成立しなかった。
「渥美さんって、立っているだけで形がきれいというか、美しいというか、その立ち方、在り方に目を奪われます。渥美さんはかっこよかったですよ。」
そうだよなあ。だからこそ、30年近くも飽きもしないで見にいったわけだ。寅さんの、かっこつけてもかっこつかない、そのおかしさを笑ってきたわけですが、演じている渥美清は、何十年もつきあってきた女優に「美しい」とまで言わせる立ち姿の人だった。
続いて健さん、高倉健。倍賞の普通さが、健さんを違和感なくかたぎの世界に橋渡しした。
「スーパースターのオーラというか存在感というか、これまで会ったことのない人に出会ったという感じでした。」「健さんは撮影中、昼食を抜いていました。山田さんによると、健さんは『私という生き物は、餌を与えると仕事をしなくなりますから』と冗談交じりに話していたそうです。」
高倉健と倍賞千恵子は、一時週刊誌で、スワ結婚かと書きたてられたことがありました。残念ながら、本書ではそうした下世話方面の関心にはいっさいこたえてくれません。
そして、監督・山田洋次。倍賞が出演した約170本の映画の、3分の1以上が山田作品だという。
あるとき、手前で芝居をしている寅さんとさくらの向こうを、エキストラが自転車で通りぬける場面があった。
「違う、違う、違う」と激しくダメ出しする山田。さくらの前を通り過ぎエキストラに突進していって「あなたは今、どこから来たの?どこに帰る人なの?」と問いただす。これにはエキストラも驚いたろうなあ。画面に映っているどんな人にも命を吹き込む、山田洋次の映画の真骨頂が伝わってくるエピソードです。
渥美清が「見た瞬間、画面の隅々まで完璧に映画になっている作品に感動する」(『渥美清の死生観』)ということばを残していますが、山田洋次と切りむすんできた年月がつくった映画観でしょうね。

自分自身について。
「さくらさんも民子さんもそうですが、私が演じてきたのは普通の人が多いです。そして、この普通の人をきちんと演じることはとても難しい」「なんともない役、何気ない人は、自分との距離が近いだけ、ものすごくデリケート」「壊れないように、そっと入っていかないと(略)一気に崩れて」しまう。
ほんとになあ。さくらさん一家がアパートから一戸建てにうつり、かわいい満男がふくれっ面の反抗期に育っていく、そのぜんぶの過程を、ご近所か親戚のことのように見続けて違和感がなかった。ひとつの奇跡のようなことです。それを支えたのが、さくらさんの普通さを表現し続けた、倍賞千恵子の演技でした。偉大な女優です。

歌手としても一流、美しい声、情感あふれる表現

倍賞千恵子は女優としてもすばらしいが、歌手としても一流です。
たとえば、ユーチューブで聞くことのできる『あざみの歌』など、絶品です。つい最近、『舟唄』がアップされ「駅 STATION」の名場面と重ねて聞き入りました。美しい声、情感あふれる表現、役者が歌う「余技」のレベルをはるかに超えています。
倍賞自身、はじめのころ映画に呼ばれることがいやで、早くSKD(松竹歌劇団)に戻って歌やダンスがしたかったと率直に述べています。女優と歌手の「二兎を追う」のが私の生き方だと、歌手としての自負を語っています。歌が縁で出会った作曲家・小六禮次郎と結婚し、ふたりでコンサートを続けている。そのうちいちど見に行くか。

寅さんファンの、真実のマドンナ観音様さくらさんに、乾杯。
倍賞千恵子の現場 (PHP新書) -
倍賞千恵子『倍賞千恵子の現場』PHP新書、2017年、920円+税。
関連:『あざみの歌』https://www.youtube.com/watch?v=DW4upkF_aBY
2017年05月22日、柴又帝釈天界隈をぶらぶら散歩http://boketen.seesaa.net/article/450053854.html
2017年07月01日、寺沢秀明『「寅さん」こと渥美清の死生観』http://boketen.seesaa.net/article/451397943.html
posted by 三鷹天狗 at 08:37| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする