2017年06月06日

笹沢信『藤沢周平伝』

どっぷりと藤沢作品の世界に浸らせてくれる評伝

読了に10日ぐらいかかりました。
時間がかかるのは、笹沢が引用する藤沢作品の一節を読んでいるうちに、本棚からその作品をひっぱりだしたくなり、読みふけってしまうからです。
引用は往々にして10〜15行、ときには20行におよぶものもあるほど長い。ふつう引用は、著者が自分の考え方や主張を補強したり証明するために行うわけですが、笹沢の引用にはその意図がない。その作品のいちばん魅力的な文章はここだ!と笹沢が信じるところを引用する。その手つきがあざやかで、作品がありありと思いおこされる。なのでつい当該作品を本棚からひっぱりだしたくなる。ああ、ここを引用したかなどと思いながら、短編だと全文読み直してしまう。時間がかかるのも当然です。
こむずかしい文学論は皆無、斬新な視点、初めて掘り起こした新事実といったものもありません。藤沢周平ファンにとっては、ぬるーいお湯につかってあんなことこんなことを古い記憶からよびもどしているような、そんな本です。幸せな時間をありがとう、と感謝したくなる一冊です。

著者は山形新聞社に1965〜1998年の33年間在籍し、主に文化欄を担当した。藤沢周平が「オール讀物」新人賞に応募し始めたのが1964年、亡くなったのが1997年だから、藤沢の作家生活と著者の山形新聞在籍期間はほぼ重なっている。藤沢は郷里・山形への愛情ただならぬ作家であり、山形新聞にも小説の連載、エッセイなどたくさん書いている。原稿依頼や事務連絡、講演など、きっと文化欄担当の著者と藤沢の関係もきわめて濃かったにちがいない。
ところが、拍子抜けするほどそのことが書かれない。著者は、藤沢と面識があったのかなかったのか、ということさえ書かない。ないはずはないのだから、こんな言葉をかわした、こういう印象だったという「肉声を伝える」義務があるとわたしなどは思うのだが、笹沢はそれをしない。
「活字になっている資料だけを使い、読者が追体験できる」枠内で書くという、自分が決めたルール・方法に、頑強にこだわっているのだ。
荘内弁に「かたむちょ」ということばがあるそうで、意味は片意地をはる、頑固者というようなことらしい。土佐の「いごっそう」とか、肥後「もっこす」、津軽「じょっぱり」などと同じようなニュアンスのことばでしょう。藤沢は自分の性格を「かたむちょ」と規定している。
たぶん笹沢は、それこそ筋金入りの「かたむちょ」にちがいありません。藤沢周平本人とのふれあいだけではなく、本書のために取材したであろう山形の人々との会話なども、なにひとつ記さない。事実関係も含め、活字になっているもののうち、笹沢が事実だと思うこと以外はいっさい引用しない。徹底した「かたむちょ」ぶりです。

『評伝吉村昭』の著者でもある笹沢に、あらためて感謝。

本書は、藤沢周平の没後16年もたってから書かれました。
藤沢には、向井敏『海坂藩の侍たち』(文藝春秋、1994年)という、最高の書評があります。藤沢の作品を称揚してこれ以上のものはありません。死後には、文藝春秋編『藤沢周平のすべて』(1997年)がだされ、丸谷才一、井上ひさしの弔辞にはじまり、そうそうたる作家の藤沢周平讃歌が、つめこまれています。この2冊に、娘・遠藤展子の2冊(『父・藤沢周平との暮らし』『藤沢周平・父の周辺』)があればじゅうぶんです。これ以外に関連本はたくさん出ましたが、私が心ひかれるものはありませんでした。
吉村昭の業績をたたえる評伝がないことを嘆いていたら、2014年に笹沢信『評伝吉村昭』(白水社)がでた。やれうれしや。藤沢関連本があれほどでるのに吉村昭には一冊もない(川西正明『吉村昭』という呆け天にはまるで評価できない本が一冊あるのみ)。悲しい想いをしていたところにでた一冊なので、深く感謝したものでした。
遅まきながら本書を手にして、なるほど、おなじポリシーで藤沢を書いたのか、と納得しました。『評伝吉村昭』も、それこそ禁欲的なまでに「活字になっているもの、読者が追体験できるもの」だけで書かれた本です。それにしても、藤沢と吉村という、わたしが敬愛してやまない作家の評伝を、おなじ人が書いてくれた。ありがたいかぎりです。

笹沢信の、公平・公正にして作品愛にあふれた藤沢周平評伝に、乾杯。
藤沢周平伝 -
笹沢信『藤沢周平伝』白水社、2013年、3000円+税。
関連:2014年07月25日、笹沢信『評伝吉村昭』http://boketen.seesaa.net/article/402541635.html
2017年01月27日、『オール読物』2月号藤沢周平特集http://boketen.seesaa.net/article/446354280.html
2017年01月13日、「没後20周年記念 藤沢周平展」http://boketen.seesaa.net/article/445877050.html
2013年06月15日、藤沢周平「三屋清左衛門残日録」http://boketen.seesaa.net/article/366446916.htm
posted by 三鷹天狗 at 09:12| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする