2017年04月30日

村上春樹『騎士団長殺し』第1部「顕れるイデア編」第2部「遷ろうメタファー編」

「イデア」と「メタファー」を喜劇役者に演じさせるお遊び

主人公の「私」は、肖像画を描くことで生計を立てている画家。最愛の妻・ユズに、理由も言わずに別れを告げられる。傷つき、発作的に東北を一周するドライブにでかけ、半年で旅を終えてからは、友人の父(高名な日本画家・雨田具彦)のアトリエで、留守番をしながら「描きたい絵」をさがしている。雨田は老衰し、病院で死を待っている。
雨田の描いた「騎士団長殺し」という絵を屋根裏部屋で発見したところから、「世界の合わせ目に微かなずれが生じ」おなじみ村上ワールドに入っていきます。
謎めいた富豪・免色渉(めんしきわたる)が「私」に肖像画を依頼し、さらにある少女の肖像画も描いてくれないか頼んでくる。「私」の前に現われた少女・秋川まりえは12歳で亡くなった「私」の妹を髣髴とさせる美少女だった。ある日少女は失踪し、少女を救うために「私」は非現実の空間=おなじみの「穴」のなかにさまよい出ていく…。

ま、いつもの村上妄想ワールド全開です。
でてきてセリフを少しでもしゃべる女性はみな美人。男は、カネがあるか才能があるかルックスがいいか、みな女性には不自由しないというタイプ。これ、村上ワールドが嫌いな人にとっては「ばっかじゃなかろか」の世界でしょうね。
8年前(2009年)の『1Q84』に比べれば、設定は超ジミ、展開は超スローです。『1Q84』は何しろ設定が派手でした。主人公の青豆は暗殺者、恋人の天吾とは小学生の時からの純愛。天才少女作家「ふかえり」はオカルト教団創設者の娘、パラレルワールドで展開する純愛と邪悪の相剋。どう着地するんだ!と心配になる大仕掛けでした。
本作では最初から、妻とは復縁していることがあかされています。エンディングが明示されている。妻と断絶していた数ヶ月の間に、私はこういう非現実的な体験をしましたというオハナシです。
話しはなかなか進まない。お定まりの「穴」=異世界空間への冒険は、なんと第U部の3分の2を過ぎたあたりではじまります。もうそれだけで、これは第3部、第4部と書くつもりの小説だなと分かります。

これまでの村上の長編といちばん違うのは、笑いの要素です。
雨田が描いた「騎士団長」の姿を借りて「私」のまえに顕れた「イデア」は、「あたしは何も絵の中から抜け出してきたわけではあらないよ」と語り出す。この「あらない」という言い方が、なんともいえないとぼけた可笑しみで、小説全体を彩ります。別にミイラの恰好ででてきたってかまわなかったが「ひからびたビーフジャーキー」のようなのがでてきたら「諸君」(イデアは「私」のことをなぜか「諸君」と呼ぶ)が気持ち悪いかと配慮したんだ、というあたり、読んでいて吹きだしてしまいました。
下巻の終わりごろにやっと出てくる「メタファ」の表象「顔なが」にいたっては、完全に道化です。「私」に拉致され、メタファーのひとつも言ってみろと脅されて「彼はあたかも、通勤の人混みの中でオレンジ色のとんがり帽をかぶるように生きた」と口にし、それじゃ文章の意味が通じないしメタファーにもなってないとさらに脅される。村上春樹が長編で笑いをとりにきている。新鮮です(短篇ではいくつかありますが)。
「イデア」(理念・概念・本質…)と「メタファー」(暗喩)は、村上春樹の書く小説そのもの。これを、喜劇役者に演じさせて、ああでもないこうでもないといじくり廻す。いわば作品全体が、村上ワールドの暗喩になっているようなつくり。完全に遊んでます。
村上自身が、洒脱な老作家というような領域に入りつつあるのかもしれません。

村上妄想ワールドにひたる楽しみ

なんだかいまや「ノーベル文学賞をとるのか」ということばかり注目される村上ですが、それこそどうでもいいことでしょう。読みはじめればどっぷりと妄想にはまる、読み終われば「ああ面白かった」でなんにも残らない、それ以上なにをこの作家にのぞむのか。狂騒が不思議です。
ずいぶん前に立花隆が「他人の妄想を聞かされるのは時間の無駄だから、小説はいっさい読まない」と書いたことがあった。わたしはかなり熱心な立花の読者で『サル学の現在』(1991年)あたりまで、傾倒といっていいくらい読んでいた。ところが「小説を読むのはムダ」という一文を目にして、なんだそんなつまらない男だったのか、と一気にさめて、以降ほとんど立花を読まなくなってしまった。根が狭量なのでしかたがない。
いまや村上春樹の長編は初版が何十万部という、社会現象のようなものらしい。村上春樹の小説を好む人がそれほど多いというのは、かなり健全なことでしょう。

「イデア」と「メタファー」の喜劇役者ぶりに、乾杯。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編 -  騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編 -
村上春樹『騎士団長殺し』第1部「顕れるイデア編」第2部「遷ろうメタファー編」新潮社、2017年、各巻1800円+税。
関連:2017年01月17日、村上春樹『職業としての小説家』http://boketen.seesaa.net/article/446007635.html
2014年09月28日、村上春樹『女のいない男たち』http://boketen.seesaa.net/article/406152849.html
posted by 三鷹天狗 at 09:31| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

沖縄の友人より(29)工事開始直前の現地のたたかい

テレビ・新聞が大きく報じたように、安倍政権は沖縄の人々の抗議をふみにじって、辺野古新基地建設を強行しはじめました。
翁長知事は、攻撃に屈せず、あらゆる方法でこの暴挙に対抗していくと表明しています。
朝日新聞4月25日夕刊.jpg 琉球新報号外cb43b80a9937e0418ecc8e1424f6374b.jpg
朝日新聞4月25日夕刊                         4月27日琉球新聞号外

沖縄の友人から、工事強行直前の現地でのたたかいのもようです。
@4.14 海上行動。フロートに近づいて監視と抗議をするカヌーチーム。
A4.14 海上行動。ネット付きフロートの内側に新たに汚濁防止膜が張られた。
B辺野古崎の作業ヤードで、型枠に生コンを流し込んで消波ブロックを製作している。生コン車4台。
@4.14 海上行動.jpg@A新たに汚濁防止膜を張った.jpgAB生コン車4台.jpgB
C4.15 キャンプ・シュワブゲート前。岩礁破砕許可は失効した!国は直ちに違法工事を止めろ!
D4.15 国道331号線から瀬嵩の海岸に入っていくアダンの通路。
E4.15 辺野古ゲート前集会。発言する諸見里沖縄市議。
C岩礁破砕許可は失効.jpgCDアダンの通路.jpgDE4.15 辺野古ゲート前集.jpgE
F4.17 第3回公判の前に「高江、辺野古、共謀罪、すべて根っこは一緒だ」と訴える山城博治さん。
G4.17 第3回公判の事前集会(城岳公園)には250人が参加した。
F.4.17 城岳公園山城博治さん.jpgFG4.17 城岳公園の事前集会に250人.jpgG
H4.19 ゲート前集会。平和運動センターの大城悟さんの音頭で頑張ろう三唱。
I4.19 第1ゲート前。米軍車両の公道通行NO!の意思表示。40分以上STOPさせた。
J4.19 ゲート前。大坂集会の報告をする女性陣。
H4.19 キャンプ・シュワブゲート前.jpgHJ4.19 第1ゲート前40分以上STOPさせた.jpgII4.19 大阪集会の報告.jpgJ
K4.22 ゲート前集会。雨の中、傘を差しカッパに身を包んで集会に集中する参加者。
L4.22 ゲート前集会。発言する沖縄市・北谷町の島ぐるみ。
J4.22 ゲート前集会雨の中.jpgKK4.22 沖縄市・北谷町.jpgL
「高江、辺野古、共謀罪、すべて根っこは一緒だ」という山城博治さんの訴えに賛同します。市民の、どんな批判も抗議も意に介さない政権が君臨する異常事態がいつまで続くのか。安倍ブラック政府に敢然と立ち向かう沖縄のみなさんに、連帯と敬意を表します。
posted by 三鷹天狗 at 08:58| Comment(0) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

奥田英朗『ヴァラエティ』

「真実とは恐いもの」という山田太一のことば、味わい深し

奥田の、一冊にまとめるには中途半端な感じがする短篇をかき集め、これに対談2本を合わせて「ヴァラエティ」と名付けて提供する。なんだか、あまりもので作ったあいまい料理を客にだしてるような感じもする一品です。
ファンじゃなくて手にとったひとは「なにこれ」感を抱く危険もありますが、いつもなかなか作品が供給されなくて飢餓感のある奥田ファンにとっては大満足。

奥田が大ファンだという山田太一、イッセイ尾形との対談がいい。
山田太一が「『真実』とは恐いものだと思うんですよね。だから、よく生きる人は、真実に深入りしない」と言ってます。
なるほど、実に味わい深い。山田太一の創作態度の基本はそういうことなのか。
奥田はそれに呼応して「山田さんの『裁かない』ところと『断言しない』ところが僕はものすごく好きなんです」と語っています。この「裁かない」というのは、奥田が自分の創作態度の基本としてよく口にすることばです。
「真実とは恐いものだ」は、人間とは恐いものだと言いかえられるんでしょうね。
単純にいえば、人間の中に孕まれている邪悪さのことでしょう。自分の気にいらないものについて、くたばっちまえとか死んじまえとか、誰しも思う。こころのなかで思っても口にはださず、まして実行することなく、人は生きていく。しかし、ふとしたはずみでそれが噴き出してしまう瞬間があったとしたら…それは恐い。
もうひとつ、人間が「真実」をふりかざすとろくなことにならないという意味もあるように思う。あることを「真実」と信じてしまうと、それを「真実」と認めない者に対して、人間はとても不寛容になる。真実と信じた信仰、思想、科学を否定するものにたいして、容赦なく攻撃してきた人間の、くろぐろとした歴史があります。
「真実に深入りしない」か。古希の年齢になると、しみじみと得心させられることばです。

イッセイ尾形との対談では、二人とも読者や観客にほめられると無性にうれしく、一人でもけなした文章をみるとはげしくおちこむと語っています。これほど売れている芸人、作家にしてそうなのか。これからも、良いもの気に入ったものについて、精一杯ほめ続けることにしよう。

短篇では、イッセイ演じる舞台のように、「いい人」が切れていく「ドライブ・イン・サマー」。
山田太一の家族劇のように、母と娘のこころの葛藤がなまなましい「セブンティーン」。
奥田みずから「私の短篇で5指に入る」と自負する、1960年代の少年の姿「夏のアルバム」。
どれもたいへん結構でした。嬉しいよう、奥田の短篇が読めて。

たのむよ奥田、枯れるにはまだまだ早い

気になったのはあとがきで「今まで黙ってましたが、わたしの小説の才は、とっくに切れかかっています」という一文があることです。文章の響きが、じょうだんとしてではなく、シリアスなタッチであることが気になりました。1959年生まれだから60歳・還暦か。疲れても不思議はありません。
また奥田がさぼってるな、早く次を読ませろ、などとわがままな感情を抱いてきましたが、もういいません。いくらでも待ちます。気が向いたとき、気が向いたテーマで書くということで結構ですので、これからも読ませてほしい。
枯れるのはまだ早すぎます。せめて「家」シリーズだけでも頼みます。

還暦を迎えた奥田英朗に、お疲れさま、これからもたのむよの、乾杯。
ヴァラエティ -
奥田英朗『ヴァラエティ』講談社、2016年、1200円+税。
関連:2016年07月28日、奥田英朗『向田理髪店』http://boketen.seesaa.net/article/440500816.html
2015年10月09日、奥田英朗『我が家のヒミツ』http://boketen.seesaa.net/article/427438006.html
2013年12月07日、奥田英朗『沈黙の町で』http://boketen.seesaa.net/article/382104843.html
posted by 三鷹天狗 at 08:33| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする