2016年12月31日

亀山郁夫『ゴルバチョフに会いに行く』

ソ連崩壊をめぐる果てしのない堂々めぐり

亀山郁夫(ロシア文学者、名古屋外国語大学学長)は、2014年12月にモスクワに赴いてゴルバチョフに会った。「熱烈なゴルバチョフ信奉者だった」ものとして、ソ連崩壊の真因を、ゴルバチョフ自身の口から聞きたいという、やみがたい想いがあったからだ。
しかし、インタビューに与えられた時間はわずか1時間半しかない。
事前に「ゴルバチョフは気に入らない質問をされるとプイと席をたつ」と言われていた。高額の取材費用を請求されているからか、雑誌掲載予定日が決まっているからか、インタビューが途中でうちきりになることを亀山は極端におそれている。どうしたって質問は、及び腰のものになる。亀山自身が「インタビューは失敗に終わったという実感が、じわじわと押し寄せてくる。…すべての原因は委縮にあった」と述懐している。
全文253ページの本の、わずか30ページを占めるにすぎないインタビュー部分。それが「失敗に終わった」と本人自身が認める。なら読む価値なんかないじゃん、ということになるわけですが、そうではないから面白い。
亀山がゴルバチョフに会いたいと願い、思いがけず実現し、失敗に終わったインタビューをする。その全過程が「社会主義とはなんだったのか」「ペレストロイカ(改革・改築)、グラースノスチ(情報公開)とはなんだったのか」「ゴルバチョフとはなんだったのか」という痛切な問いに満たされています。
それは、この本を手にする多くの人の問いであり、呆け天の問いでもあります。

それらは、世の中的にはすでに決着のついた問いとされています。
社会主義は、最悪の全体主義しかもたらさなかった。だから崩壊した。
ペレストロイカはソ連を延命させるための実験だったが、結果はソ連の崩壊を招いた。
ゴルバチョフは理想を説いたが、実現する能力のない指導者だった…。

亀山は、それらの答えに同意できない。ほとんど同意せざるを得ないのだが、同意しきれない。
「ゴルバチョフの失敗は、人類史における巨大な功績として評価される時代が来るかもしれない」という「予感」が、亀山の胸中を去らない。たぶん、それは亀山の願望もしくは妄想にすぎないでしょう。亀山自身もそう(妄想)じゃないかと思っている。
亀山の「予感」を少しずらせば、「ロシア革命(と社会主義の実験)の失敗は、人類史における巨大な功績として評価される時代が来るかもしれない」になる。
ロシア革命はロシアの虐げられた人々、全世界の抑圧された人々にとって、雷鳴のように轟いた希望だった。人類史の新しい扉が開いたと知識階層は予感し、特権階級は銃殺されたツアーリの運命と自分を重ねた。
しかし、ロシア革命の現実はあまりにも苛酷なものだった。1930年代の餓死者1000万人、1937年のスターリンによる粛清(テロル)の死者79万人、独ソ戦の犠牲者2700万人…。
ソルジェニーツィンは、官僚専制を労働者農民の国というウソで塗りかためた収容所群島、それがソ連だと告発した。
それらの歴史をふまえてなおかつ、なぜロシア革命はあれほど大きな衝撃を世界にあたえたのか、すべての抑圧された人々の希望となったのか、という問いは残ります。
いま世界は、1パーセントの人間に世界の富の半分が占有されているという異常事態に陥っているのに、その解決策・脱出口を見出せないでいる。
「万国のプロレタリアート団結せよ」というマルクスの処方箋、「全権力をソヴィエトへ」というレーニンの荒療治は、いったんそれを実践したロシアの人々自身によって否決された。
では、それではないどんな処方箋、どんな治療方法があるのかと、人類医学は問われています。
そのときに参照すべき、重大な教訓が、ロシアの経験に詰まっている。亀山がいいたいのはそういうことのように思います。

冷戦の終結。その世界史的な意義。

『ゴルバチョフが語る 冷戦終結の真実と21世紀の危機』(山内聡彦・NHK取材班、2015年)は、人類を何百回と絶滅させるだけの核兵器を保持してにらみあってきた米ソ冷戦が、ゴルバチョフの登場と対話によって、劇的に雪解けに向かうさまを描いた。
ゴルバチョフは、ソ連が軍拡競争に耐えきれなくなったという経済的な危機を背景にしてではあるが、「核兵器全廃」という画期的な提案をし、実際に1991年までにアメリカが846基、ソビエトが1846基、合わせて2692基の核兵器が廃棄された。
東西ドイツの運命についてソ連は介入しないことを約束し、流血の惨事なしで統一(西への東の吸収)が実現された。
ソ連崩壊は、その副産物としてロシア・ウクライナ危機などを産んではいるが、巨大な内戦といった事態は避けられた。
アメリカの駐ソビエト大使マトロックは「ゴルバチョフは、自分が権力にとどまり続けることよりも、自分の国の利益を優先した初めてのソビエトの指導者でした」と、ゴルバチョフの理想主義者としての側面を高く評価する。
彼以外の誰にもなしえなかったことを、彼の真意(ソ連邦の継続)に反してではあれ、なしとげた政治家ではある。

亀山の自問自答は、社会主義というイデオロギーに強くひきつけられたことのある人間にとっては、いまも、これからも続く自問自答です。
ロシア文学者の、真摯な自問自答に、共感の乾杯。
ゴルバチョフに会いに行く -  ゴルバチョフが語る 冷戦終結の真実と21世紀の危機 (NHK出版新書 455) -
亀山郁夫『ゴルバチョフに会いに行く』集英社、2016年、1800円+税。
山内聡彦・NHK取材班『ゴルバチョフが語る 冷戦終結の真実と21世紀の危機』NHK出版新書、2015年、780円+税。
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2016年12月29日

内澤旬子『漂うままに島に着き』

小豆島への、移住ノンフィクション

イラストレーターにしてノンフィクション作家・内澤旬子が、東京で高額家賃を払い続けることがばかばかしくなって、ふとした縁で小豆島(香川県)に移住する。
離島への引っ越しの大変さ、移住2年間の体験を、独特の苦みのあるユーモアを利かせて描いています。
内澤ファンはもちろん、地方への移住をチラリとでも考えている人、考えたことがある人には、面白く読めることまちがいなしです。
単純に、「ヘェーッ」と思わされたことだけ2〜3。
1、内澤さんが地方で暮らせるわけがない
親しい友だちや知り合いに田舎に引っ越そうと思うと告白すると「内澤さんが地方で暮らせるわけがない」という呪いの言葉を吐きかけられるのだという。しかも、「その理由が『美人だから』と続くと、本当にげんなりする」と書いています。
エーッ、内澤旬子って美人なの、と驚きました。
これまで彼女の著書には写真は載っていなかったと思うし(たぶん)、だいたい、本を読む時に著者の顔には関心がない。
瀬戸内寂聴、林真理子、島田雅彦のようにテレビや雑誌グラビアによく出るタイプの作家や、藤沢周平・吉村昭のように数十年も読み続けた作家の顔は自然に覚えてしまいますが、このブログでとりあげた作家でも顔が浮かぶ人はごく稀です。
しかし、こう書かれればがぜん関心がわきます。即検索。
ダヴィンチニュースに、8月17日下北沢の書店「B&B」で行われた『漂うままに島に着き』の発売イベントの模様がのっていて、顔写真もばっちりでています。http://ddnavi.com/news/319322/a/
女優かよ、というほどの美人です。これには驚きました。
『世界屠畜紀行』のド迫力レポート、『身体のいいなり』のガンとのたたかい、『飼い食い』のブタを飼って食うというワイルドな暮らし、『捨てる女』の片づけられない性格…、これまでの著作からは、男性度のたかい、男前系、アニキ系の姿が浮かんできます。
この写真見たら、「人はみかけによらぬもの」という陳腐なことばしか浮かんできません。ま、彼女の内面が、オトコマエ系であることは、ダヴィンチの記事でもあきらかですけどね。
2、離島引っ越しに特化した運輸会社
ネットで8社に引っ越しの見積をとる。最大手が40万をこえる額をだしてきて、うへえッとなる。そこに登場、津田運輸有限会社の社長・津田孝友72歳。コンテナにつんで、途中の積み替えなし、23万の見積もりをだし、みごとにやってのける。いうことなすこと冴えまくりに、内澤は「本を書く気ないですか。…離島引っ越し繁盛記とか絶対おもしろいと思うんだよね」と迫る。
津田は「あたしは字を書くのも、読むのも苦手で」と、にべもなく断る。内澤の申し出、わかります。わたしも読みたい。短い登場シーンなのに、場をさらってしまいました。
3、流浪する女子
小豆島で暮らすうちに、いかに多くの30〜40代女性が、単身で島暮らしをしているかに驚く内澤。半世紀前には田舎=デストピアだったが、いまや東京が若い女性にとってのデストピアになっているのでは、という考察が披露されます。フーム。
ただし、内澤たちの世代が若い時に語学留学などで「流浪」するのが、仕事のスキルをあげることに眼目があったのに比して、いまの若い女性の田舎流浪が「出会いを求めて」のものであるような気がする、という観察もしています。

「家の石垣に腰かけて、ヤギのカヨとカヨの息子のタメと、青い青い海を眺めていると、綺麗すぎて自分はもう死んでいるんじゃないかとすら思う。」
この言葉が、本文の結びにきています。すごい。ゴクラクか。
あとがきに、セキュリティ上の問題で引っ越しせざるを得なくなった、一時は小豆島から出るしかないかとまで思って泣いたとあります。幸い、島の中の引っ越しですんだみたい。具体的にはなにも書いておらず、泥棒に入られたのか、変質者に嫌がらせでもされたのか、気にかかります。ま、そのうち、いっそう苦みを効かして真相が書かれる日もあるでしょう。

島暮らしへの羨望、もはや行動には移せないが

30年くらい前に、田舎暮らしもいいなあ、と思ったことがある。ただし、故郷の秋田や東北ではなく、暖かい、雪のふらないところが希望。旅行に行った先で「ここで人生の終焉を迎えられたら幸せだろうなあ」とまで思ったのは、竹富島でした。
なんでしょうね、島の吸引力というのは。見えるのは海と空だけ。この島だけで世界として完結しているという実感でしょうか。
内澤の行動力、引っ越しや暮らしにかかわる細部のレポートは、これから田舎暮らしを考えている人には強い後押しになる。かつてあこがれたことのある者には、なにか郷愁にもにたような響きがあります。

体当たりノンフィクション作家の、果敢な島暮らしに、乾杯。
漂うままに島に着き -
内澤旬子『漂うままに島に着き』朝日新聞出版、2016年、1500円+税。
関連:2014年06月13日、内澤旬子『捨てる女』http://boketen.seesaa.net/article/399293517.html
posted by 三鷹天狗 at 08:57| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

沖縄の友人より(18)オスプレイ墜落現場の写真 + 高江・辺野古訪問について

高江・辺野古に行くときは「平和市民連絡会」に連絡相談を

ブログ読者から、「高江や辺野古に行ってみたい人はどうすればいいかブログに書いて」と連絡がありました。
そうか、私の場合は沖縄在住の友人を頼っての行動ですから、どうやって現地に行くのか、行動上の注意といったことはまるでおまかせでした。
特に知り合いもない人が現地に行くにはどうすればいいか、交通の便などはどうなっているのか、触れたこともなかったですね。
<1>高江や辺野古の座り込み・抗議行動に参加したいかたは、「平和市民連絡会」のホームページをご覧ください。
連絡先:〒902-0061 沖縄県那覇市古島119-1 教育福祉会館407号室 一坪反戦地主会内
tel/fax 098(885)8230
http://www4.atpages.jp/chingushi/www4.atpages.jp/chingushi/HEI-WA!/heiwa-shimin/index.html
ほぼ毎日、那覇から高江や辺野古に行きたい人のための送迎バスをだしています。バスとは別に、ふつうの乗用車で4〜5人の人を乗せて現地に向かう活動もしています。 
http://www.jca.apc.org/heiwa-sr/jp/
自分でレンタカーを借りて現地に行きたいという方もおられるでしょうが、私のおススメはこの「平和市民連絡会」の活動にたすけてもらい、相応のカンパをし、沖縄の人たちと一緒に行動することです。さまざまな歴史や体験談を聞くことができます。また、全国から、熱い想いや怒りを抱いて現地をたずねてくるたくさんの方と、触れ合うこともできます。
<2>高江現地では、@ゲート前座り込みと、A工事現場監視活動の、ふたつの行動が行われています。はじめていく方は@がおすすめです。Aは、ヤンバルの森の中を歩きまわるわくわくするような行動ですが、脚力に自信がある人、場合によっては「刑特法」を理由とした逮捕があっても構わないという人向けの行動です(写真K〜L)
多くの方が辺野古や高江を訪ねて、自分の目で、米軍と安倍政権の非道を見てほしい。

オスプレイ墜落事故現場の写真です。

12月13日、オスプレイが名護市の海岸に墜落した。高江で強行されているヘリパッド建設は、まさにこの異常に事故率が高いオスプレイのためのもの。住民の不安や怒りは、いっそう増しています。
沖縄の友人から、事故現地の風景、米軍が機体を回収した後に残された、なまなましい事故機の残骸の写真と、レポートが送られてきました。

<友人からのレポートーオスプレイ墜落現場>
オスプレイ墜落現場の海岸から、米軍は機体・破片回収を終了しましたが、現場にはたくさんの残骸が残されていました。
米軍は、住宅に墜落しなかったのは幸いだ、感謝すべきだと言っていましたが、この海は地域住民の生活の海です。海に落ちたからと言って喜べるものではありません。
海の汚染と破片でけがをする危険を取り除くため、名護市安部区の住民、ダイバーが中心となり、今日昼、残骸の回収作業が行われました。回収された残骸は、グラスファイバー、プラスティック、さまざまな金属類、電線、木材など、バケツや回収箱約10個分に及びました。
米軍は無責任ですね。これらの残骸を見れば、不時着水ではなく墜落であることは明らかです。
5人の乗員の内3人はパラシュートで脱出しましたが、2人は機体の中にいて海岸の岩礁に激突しました。たぶん重体の筈ですが、一人が骨折したということが伝えられただけで、その後の消息は不明です。
@現場は大きくUの字になった入江の先っぽの岩礁地帯です。名護市安部(あぶ)区の集落はU字の底辺にあります。写真の岬の先が墜落現場、手前の砂浜のこちら側が集落です。素晴らしい砂浜です。
A墜落現場のサンゴ礁の岩礁です。オスプレイは飛行モードでこの岩礁に激突・大破したのです。残骸は岩礁の海底から回収されました。
BCD回収されたオスプレイの部品
オスプレイDSCF2748.jpg@オスプレイDSCF2758.jpgA
オスプレイDSCF2764.jpgBオスプレイDSCF2773.jpgCオスプレイDSCF2768.jpgD
<友人からのレポートー最近の高江での闘いの様子>
E11.30 N1ゲート前座り込み集会の集まった300人にのぼる人々
F12.3 N1ゲート前座り込み集会に集まった350人の人々
2016.11.30 N1ゲート前座り込み集会の集まった300人にのぼる人々.jpgE2016.12.3 N1ゲート前座り込み集会に集まった350人の人々.jpgF
G11.30 N1ゲート前座り込み集会。宮古と石垣からの参加者
H11.30 N1ゲート前座り込み集会。石垣島の「命と暮らしを守るオバーたちの会」
2016.11.30 N1ゲート前座り込み集会%u3002宮古と石垣からの参加者.jpgG2016.11.30 N1ゲート前座り込み集会%u3002石垣島の「命と暮らしを守るオバーたちの会」のメンバー.jpgH
I11.30 N1ゲート前座り込み集会。郵政ユニオンのメンバーたち
J11.23  北部訓練場メインゲートに至る県道70号線上で、砕石・資材搬入抗議の行動
2016.11.30 N1ゲート前座り込み集会%u3002郵政ユニオンのメンバーたち.jpgI2016.11.26 N1ヘリパッド建設現場 (24).jpgJ
K11.26 N1ヘリパッド建設現場。プラカードを掲げ、「森を守れ」「工事を止めろ」と訴え
L2016.11.26 N1ヘリパッド建設現場。工事現場を自由に動き回り、監視・撮影・抗議。
2016.11.26 N1ヘリパッド建設現場%u3002プラカードを掲げ、「森を守れ」「工事を止めろ」と訴え.jpgK2016.11.26 N1ヘリパッド建設現場%u3002工事現場を自由に動き回り、監視・撮影・抗議%u3002.jpgL
posted by 三鷹天狗 at 08:15| Comment(0) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする