2015年12月31日

映画『クリード チャンプを継ぐ男』(ライアン・クーグラー監督)

『ロッキー』シリーズのスピンオフ作品。よくできています。

ロッキーの宿敵にして盟友アポロ・クリードに落とし胤がいて、ボクサーをめざしている。
このアイデアがふくらんで一本の映画になった。
良くできた映画です。呆け天などラスト近くで泣きました。

主人公のアドニス・ジョンソン(=アポロ・クリードの息子)を演じた俳優マイケル・B・ジョーダンが魅力的です。ボクサーをめざす理由などまるでない学歴や職業があるにもかかわらず、いわば血にうながされてボクサーへの衝動に駆られる。難しい役どころを知的な風貌とワイルドな肉体で演じています。
恋人・ビアンカ役のテッサ・トンプソンがまたいい。進行性の難聴という病気を抱えながら歌手をめざしているビアンカは、ボクサーになりたいアドニスの衝動を理屈抜きで理解し、愛を育む。
『ロッキー』シリーズを見ていない若者でも共感できるラブストーリーになっている。
じっさい、私が見た日は、客席の多くは若い人たちで、わたしだけ浮いているような感じさえしました(12月28日12:20〜新宿ピカデリーの場合)。

『ロッキー』第1作(1976年)の興奮と感動はいまもありありと蘇ります。「アメリカンドリーム」を、映画の内容としても、無名の俳優シルヴェスター・スタローンの大成功物語としても実現した、奇跡的な作品でした。
一度聴いたら忘れられない「ロッキーのテーマ(Gonna Fly Now)」が、70年代後半から80年代前半のスーパーで、夕方になると大音量で流れていましたよね。
ロッキー・バルボアとアポロ・クリードの死闘と友情をテーマに第2作、第3作と続編が作られつづけ、30年後の『ロッキー・ザ・ファイナル』(第6作、2006年)まで、見る方だっていささかくたびれました。
そのさらに続編だからこそ見にきたわけです。はっきりいって、まったく期待していませんでした。これまでぜんぶ見てきたんだから、これだけ見ないというのもなあ、という「連ドラ症候群」のようなものです。
見はじめてじきに映画にひきこまれました。
なつかしいフィラデルフィアの街並、第1作のボクシングジムの建物、小さなレストランの老経営者になっているロッキーとの出会い、ビアンカとの恋、そして第1作からの数々のシーンを再現させるアドニスのトレーニング、コーチするロッキー…。
唯一でてこないのがあのテーマ曲だけ。
やや無理のある運びで現役無敗チャンピオンと「アポロの息子」とのマッチメイクがなされ、激闘がはじまる、そのときにはじめてあのテーマが流れました。そしたら呆け天の目から涙が…。つまり、ストーリーの無理を「ロッキーのテーマ」で昇華させてしまうわけです、はい、納得しました。そうこられちゃあ、文句はいえません。
エンディングはアドニスとロッキーがフィラデルフィア美術館のあの階段をゆっくりと登る。手を貸そうとするアドニスを拒み「だれか階段を足しやがったな」と憎まれ口をたたきながら最上段まで登るロッキー。はるかに見える街並…感動的なラストシーンです。

シルヴェスター・スタローンのあくなき執念も、やっと老いてくれたか。

シルヴェスター・スタローンといえば『ロッキー』と『ランボー』。両シリーズとも映画の面白さを心ゆくまで堪能させてくれました。
呆け天の左寄り体質とは合わない右寄りマッチョ系の俳優ですが、映画の面白さはまた別物です。
2013年の『大脱走』(シュワルツェネッガーとの共演)『リベンジ・マッチ』(ロバート・デ・ニーロとの共演)はDVDで観て、いつまでたってもアクション俳優をやめないあくなき執念に、驚嘆するというか呆れるというか。
やっとこの映画ではアクションシーンなしの老人を演じてくれました。
頂点を極めたアクション俳優のはずですが、なぜかアメリカの映画批評家の評価は高くないらしいですね。別に批評家が評価しなくとも、二つのシリーズを支持したファンが世界中にいたことで充分ではないでしょうか。
きらめく過去があったことを匂わせる老人の役を、これからも演じてほしいものです。

老いたシルヴェスター・スタローンに、乾杯。
「クリード チャンプを継ぐ男」オリジナル・サウンドトラック(スコア) - ルートヴィッヒ・ヨーランソン
映画『クリード チャンプを継ぐ男』(ライアン・クーグラー監督、アメリカ、2015年)
posted by 三鷹天狗 at 09:17| Comment(0) | 映画・DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月29日

澤穂希の現役最後の試合を堪能する

自分の得点で優勝。さすがに稀有な選手です。

12月27日、皇后杯全日本女子選手権決勝が行われ、INAC神戸レオネッサがアルビレックス新潟レディースに1−0で勝ち優勝した。
神戸の得点は、後半33分、川澄があげた右コーナーキックに澤穂希が合わせて打ちぬいたみごとなヘディングシュートだった。
これまで皇后杯の最多入場者数は6000人だったが、澤穂希の引退試合になったこともあり、等々力陸上競技場(川崎市中原区)には、2万379人が入場したという。

それにしても最後に自分自身が得点して試合を決めるとは、やはり並みのアスリートではありません。確かに神戸のコーナーキックはすべて澤に得点させようとしていましたが、新潟もそれは百も承知で、ことごとくブロックしていました。得点を決めたシーンでもガードが前後についていて、前のガードのアタマを少し超えたボールに澤が合わせている。すごいもんですね。
上尾野辺を中心とする新潟のたたかいぶりもすばらしいものでした。2013年末の決勝でもPK戦にもつれこむ好試合を演じていました。準決勝で日テレベレーザを破った試合も良かったし、いいチームです。

2011年ドイツで行われたW杯の、予選リーグ対ニュージーランド戦ではじめてなでしこジャパンの試合を実況放送でみてからこれまで、その闘いぶりに魅せられてきました。
W杯決勝のアメリカ戦で澤穂希が決めたコーナーキックからの同点弾は、この4年間、わたしにとってスポーツシーンの最高峰でした。
今年、ラグビーのW杯で、桜のマーク入りのジャージを着た男たちが、同点ではなく勝利を求めて挑んだ南ア戦最後の10分間のチャレンジの映像が出現しました。ま、これは澤の同点弾と並びましたね。なんど見ても感動する、偉大なトライです。スポーツには、こういう魂をふるわせるシーンが何年に一度かあります。

澤をめぐるさまざまな映像や本をこの4年間見てきました。
2004年4月24日のアテネ五輪行きを懸けたアジア予選の準決勝、伝説の北朝鮮戦については、長い間なでしこジャパンをフォローしてきたスポーツジャーナリスト江橋よしのりが感動的な追憶を語っています。http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201512180001-spnavi
「苦しい時には私の背中を見て」という名言、自分は感覚派だから指導者には向かないという自己認識。最前線で体を張ってたたかうのが自分の仕事というキッパリと割り切った態度は、本当にすばらしかった。
これからは、世界に知られた名選手として、サッカー界の重要な役割を担ってほしいものです。日本に女子W杯を招致したときの大会委員長なんて、ぜひやってほしい。
2011年東日本大震災でうちひしがれた日本に、かけがえのない勇気と感動を与えたなでしこジャパンの闘い。その先頭にたっていた澤選手の雄姿は、いつまでもわたしたちに記憶されます。

見ておいて良かったものの、三つめができました。

12月19日、準々決勝の澤選手を西が丘に見にいって、良かったなあ。
2代目貴乃花が引退する前に東京の本場所をみることができたこと、古今亭志ん朝の晩年の高座を三鷹でみることができたことに並ぶ、三つめの体験です。

澤穂希選手に、優勝おめでとう、長い間の活躍に感謝して、乾杯。
澤最終試合.jpg
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posted by 三鷹天狗 at 09:26| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月27日

追悼、国本武春。浪曲の新しい魅力を教えてくれた。

12月24日の夕刊に、国本武春の訃報が載っていて驚く。
享年55歳とある。
浪曲師としては、これから円熟の境地に入っていく年齢だろうに。いくらなんでも若すぎます。
芸界のお宝がひとつ消えてしまった。合掌。

ブログをはじめるはるか以前の、私的なPCメモに、国本武春のライブを観に行ったときのものがあった。そのまま引用します。

国本武春を聴く。ライブ芸として出色。
2004年11月24日(木)19:00〜渋谷パルコ劇場、\4,500。 
1960年に浪曲師夫婦の子として生まれ、19歳から初舞台を踏んだとある。年季の入った声・表情と、青年の若々しさが同居している。
第1部は浪曲「紺屋高尾」。
志ん朝の「紺屋高尾」は絶妙のマクラで背景を描写してから噺に入っていく。そのマクラにあたる部分が、浪曲というものを理解してもらうための工夫になっている。
浪曲は、「まってました、たっぷり、名調子、日本一」などの観客の掛け声と、浪曲師の芸が一体になったときに成立する芸であることを、演習入りで分からせ、客をまきこんでいく。
客席が、とまどいから笑いへ、笑いから熱気へと変化していくのがわかる。すごい芸人だなあ。
第2部は一転して弾き語り。三味線でカントリーフォーク、ロック、ジャズ、沖縄・中国の旋律から津軽三味線まで、どんなリズムもメロディーも思いのままの三味線物真似。
清水ミチ子の、ピアノ物真似とおなじ秀逸さだ。
高い技術に加えて、もって生まれた華もある。客を笑わせるサービス精神も旺盛だ。一世をとまでは言わなくとも、ライブ芸の世界を風靡する芸人であること疑いなし。

11年前のメモだが、読んでいると、ありありとライブの様子を思い出します。その後も、何回かライブに行きました。
あのころ国本はまだ40代か。若々しかったなあ。
津軽三味線の激しいばちさばきを、あれは雪国の門付け(かどづけ)芸で、寒くて指が凍えるのを防ぐためにああやってやけくそに弾いたんですというのが、おかしくて印象に残っている(もちろん冗談でしょうが)。
むかし、死んだオヤジがラジオから流れる浪曲を聞いていたなあ、などと里心がつき、二代広沢虎造清水次郎長伝のCDを買ってきて聞いたりしたのも、国本の影響でした。

浪曲の新しい魅力にふれさせてくれた芸人、国本武春を偲んで、献杯。
国本武春の三味線パラダイス 国本スタイル三味線入門 [DVD] -  国本武春 古典浪曲傑作撰 第一集 - 国本武春
posted by 三鷹天狗 at 08:45| Comment(0) | 音楽・演歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする