2015年11月29日

エズラ・F・ヴォ―ゲル『ケ小平』

「社会主義市場経済」の発案者は江沢民?おどろいたなあ。

エズラ・F・ヴォ―ゲルの大著『現代中国の父 ケ小平』(2013年、日本経済新聞社)は、上・下巻で計1200ページもある。このたび超要約版として本書が刊行されたのはたいへんありがたい。もはや厚すぎる本には手がでないのだ。

橋爪大三郎がヴォ―ゲルにインタビューし、会話体で一冊にまとめた。
拍子抜けするほどわかりやすい。
「二〇世紀の指導者で、歴史を変化させたのは誰かといえば、それはやっぱりケ小平です。…(中国は)あと一〇年か二〇年で、GDPは世界のトップになるだろう。これがどうして可能になったかというと、ケ小平の開いた道なわけです。」
ケ小平の「改革開放」という進路の決断と、それを実行に移していく指導力なしには、今日の中国の驚異的な経済成長と「大国化」は、ありえなかった。このことに異を唱える者はいない。
ヴォ―ゲルは、なぜケ小平にそれが可能だったかを、膨大な資料の読み込み、関連する人々への取材で徹底追及し、中国人研究者でも書くことができなかった本を完成させた。中国本土でもベストセラーとなり、中国・香港・台湾で総数100万部に達したという。

ケ小平にふれた文章は、中国関連の本や、雑誌・新聞記事などでたくさん目にしてきた。生い立ち、フランス留学、革命家としての活躍、文化大革命で走資派・実権派として「打倒」の対象になる、江西の工場で働かされ命だけはとられずにすんだ、復活してからの「救国の指導者」としてのはたらき…おおまかな経歴については、目新しい話しはほとんどない。

むしろ驚かされるのは、ヴォ―ゲルがなんでもかんでもケ小平の功績ともちあげることをせず、中国が「社会主義市場経済」に進んだのは、当時の共産党指導部全体の意志であり、ケ小平はそれをまとめあげただけ、と限定づけていることだ。もちろん、まとめあげ、実行にうつせたのは、ケの卓抜した指導力があればこそではあるが。
「経済特区」という形で深センなどで実験的に市場経済を導入したのも、これこそケ小平の卓抜なアイデアと思っていたら、特区は昔から共産党がなにかの政策をどこかの地域で試すという手法で、「一般的な、誰でも考えつく」ものであり、1978年以前から深センでやっていたことをケ小平が後押ししただけ、といった具合。
華国鋒といえば、毛沢東にむりやり跡継ぎ指名されただけの、無能な指導者というイメージだが、ヴォ―ゲルは華国鋒のもとで今日の路線への転換がはかられたという。華国鋒は1978年、谷牧(副総理)を代表とする海外視察団を送るなど、近代化への舵をきっていたと指摘する。これを明治の「岩倉使節団」になぞらえている。
江沢民といえば、にくにくしい顔つきと「反日教育」の実行者として日本ではきわめつけの悪役キャラだが、なんと「社会主義市場経済」という言葉の、発案者なのだという。おどろいたなあ。
ケ小平の果たした役割を、冷静に、適切に評価することに徹した、学者としての態度に感心する。

ヴォ―ゲルは、橋爪の「資本主義=市場経済」「社会主義=計画経済」のはず、「社会主義市場経済」というのは「社会主義・資本主義」といっているようなものではないかという質問に、「ボクはそうは思わない」とあっさりこたえる。
「ソ連に、ネップ(新経済政策)というのがあったじゃないですか。一九二〇年代ですね。共産党政権のもと、資本主義経済みたいなことをやった。(中国も)その通りだと思うんですね。」
「共産党が市場経済をやる。別にむずかしくないと、ボクは思うんです。」
「共産党の人びとはかなり変わってきた。新しい考えも知っている。自分の子どもがビジネススクールで勉強したり、外国企業と合併したり、時代に即応するようにしている。」
この状態をヴォ―ゲルは、鎖国が終わって明治の近代化がはじまったことと同じと例えている。
ウーム、100年遅れの明治維新なのか。

「政治特区」による実験が可能かは、腐敗の抑制次第というおちついた見かた

ヴォ―ゲルは、共産党一党独裁のもとでの中国の資本主義的発展はまだまだ続くと見ている。断定はさけているが、経済特区が可能だったように「政治特区」も可能なはずであり、共産党支配のもとでの自由化は可能と見ている。
最大の脅威は「腐敗」だ。新たな法律をつくって「昨日までのキミの腐敗は問わない。これからは一律にこの法律でとりしまる」という政策をうちだせば、腐敗のある程度の抑制は可能という、きわめておちついた見かたをしている。
橋爪はこの点に関してはインタビューアーの枠を超えて「独裁政権が自分の手で腐敗を防止することは不可能」「社会の寄生体である共産党の駆除以外に腐敗の根絶はない」と暴走気味に力説している。
橋爪クンにイエローカード。そゆことを突然逆上気味に語るのは、ヴォ―ゲルの本の読解というこの新書の役割りを逸脱してます。ケ小平の天安門での学生鎮圧を、日本の岸内閣の安保強行をなぞらえて、「岸信介は立派だ」などと語ったり、なんか変調のようで心配です。

ヴォ―ゲルは「日本の読者へのメッセージ」を求められて、歴史問題が重要と答える。
「指導者が誤ったというだけではなくて、個人的に、われわれの国が間違った、という言い方がほしい。中国という国とうまくいくために、やっぱりそれは必要だ、と私はみていますね。」
反中国感情を煽り、「シナと戦って勝つのが夢」(石原慎太郎)などという「日本会議」所属政治家たちの暴言が放置されている危うい日本の現状。
ヴォ―ゲルの、落ちついた、長いスパンで中国を見る見かたを常識にしていきたいものです。

ヴォ―ゲルの、冷静な中国ウオッチングに、乾杯。
トウ小平 (講談社現代新書) -
エズラ・F・ヴォ―ゲル『ケ小平』講談社現代新書、2015年、800円。
posted by 三鷹天狗 at 08:30| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月27日

朝もや、落葉、紅葉。晴天であれば寒さもまたよし。

ここ数日のぐずついた天気がスカッと晴れて、今日はサイコーに気持ちのいい朝。
雨が続いたから地面も木も濡れていて、朝の太陽を浴びて盛大に蒸気をあげる。朝靄(もや)の幻想的な美しさ。
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散歩コースの一部が、落ち葉を敷きつめたじゅうたんのようになっている。
やわらかい触感、音、色。なんともいえないほどいい。
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紅葉はどんどん深まっていく。
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散歩コースの道沿いのお宅の庭に、3メートルくらいの高さの豪勢な花が咲きほこっている。皇帝ダリアというらしい。こんなに背のたかくなるダリアがあるのか。
子どものアタマほどもある大きなゆずが植わっているお宅もある。
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もう初冬の寒さ。手袋がほしいような気温だが、お日さまさえ照っていれば、あらゆるものが輝いてみえます。
お天道様に、乾杯。
posted by 三鷹天狗 at 09:15| Comment(0) | 散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月25日

黒川博行『離れ折紙』

せこい、ずるい、こきたない。人間なんて所詮そんなもの、という確固たる世界観。

京都・大阪の、美術、工芸、骨董の世界を舞台にしたコンゲーム(信用詐欺)小説。
大がかりな仕掛けで大金持ちから大金をせしめる、といった詐欺小説ではない。
せこい思惑で「よし、もうけた」と思った主人公が、間抜けな損をするといった、脱力系の笑いを生む6短篇。
それぞれ独立した作品だが、購入主体のひとつに京都の洛鷹美術館があり、そこのキュレーター(美術館学芸員)・澤井や、館長・河嶋が折にふれて顔をだす。

『唐獅子硝子』骨董趣味の資産家の遺品鑑定をたのまれた澤井は、割れた唐獅子のガラス工芸品(レリーフ)が完品ならウン千万円級の代物と気づき、ひと儲けをたくらむが…。
『離れ折紙』骨董好きの医師・伊地知は、借金のカタに、れっきとした折紙(鑑定証)つきの日本刀を1400万円で入手。しかし、それは巧妙に仕組まれた詐欺だった…。
『雨後の筍』写楽と並び称される上方の浮世絵師の版木が売りに出された。例によってひと儲けを企んだ澤井は…。
『不二万丈』店舗をもたず、怪しげな品物も扱う「ふろしき画商」の矢口は、売った偽物のひきとりを迫られ、追いつめられる。反撃の一手を放って相手にひとあわ吹かせたと思ったが…。
『老松ぼっくり』大阪・西天満の老松町・骨董通りで最上位の「古美術立石」に、名品を持ち込む「大物政治家(故人)の秘書」がいる。警察がやってきて、その品物は盗品だと宣告され…。
『紫金末』大物画家(故人)の連作が売りに出されるが、実は、息子(自分も画家であり大物画家の所定鑑定人でもある)がシルクスクリーンを使って作った贋作であり…。

全体のタイトルにもなった「離れ折紙」とは、本物の鑑定書が、本物の刀から離れて独り歩きし、詐欺の道具になることを意味する。
ウソとホントがいりまじり、騙されたもんがアホという、骨董の世界のプロ同士のやりとり、緊迫感と間抜け感が絶妙のブレンドで提供される。あいかわらずの黒川ワールドです。
ずいぶん前に『文福茶釜』(1999年。掛け値なしの傑作。これで直木賞とればよかったのに)があり、本作は同じ美術界を舞台にした10年ぶりのコンゲーム小説です。

黒川博行の小説には、しょもないやつしか出てこない。
嫌になるようなやつが出てきて、嫌になるようなせこいことをやっているのに、面白い。
せこい、ずるい、こきたない。人間なんて所詮そんなものという、確固たる世界観が小気味よい。
ここまで徹底すれば、やはり立派な見識というものでしょう。

アブナイ大阪観まで飛びだして。

作中、黒川の大阪観がずばり書かれた一節がでてくる。
同じ洛鷹美術館の学芸員同士としての、澤井と同僚・新城の会話。
関東からやってきた新城に、澤井が「京都は、排他的でいやな町でしょう」と語りかける。
「好きですよ、京都は。大阪は嫌いだけど」
「ぼくも嫌いですわ。ガサツで下品で民度が低い。あれは損得勘定の国ですわ」
「大阪は国ですか」
「あんなもん、日本から放逐したらよろしいねん」
あのなあ、小説とはいえ、そこまでいいますか。大阪を愛することでは人後におちない黒川の作品だから、許されるセリフです。
どうしてまたこんなセリフを澤井に言わせたのか。
初出をみると2011年1月〜2012年6月にかけて、「オール読物」に3〜4ヶ月おきに連載されています。連載中に大阪W選挙(府知事・市長選)があり、大阪維新が圧勝したのが11年11月、澤井のセリフは年が明けてからの作品に書かれています。
およそ政治的な発言というものをしない黒川ですが、この時はよほど腹に据えかねたんじゃないですかね、きっと。

せこくて、ずるくて、こきたない人間たちに、愛をこめて、乾杯。
離れ折紙 (文春文庫) -
黒川博行『離れ折紙』(文春文庫、2015年、620円+税)
関連:2014年08月31日黒川博行・東野圭吾の「直木賞受賞記念対談」にでてくる大阪ネタがうける

posted by 三鷹天狗 at 08:26| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする