2020年01月24日

廖亦武(リャオ・イーウー) 『銃弾とアヘン 「六四天安門」生と死の記録』

天安門事件から30年。初めて聞く「6・4暴徒」の肉声。
名誉回復を信じながら、長期投獄と貧困にあえいで生きてきた。

中国の反体制詩人・廖亦武(リャオ・イーウー、2011年ドイツに亡命)が、まだ国内で活動していた時期に、必死の思いで取材・インタビューした「6・4暴徒」たち14人の、肉声の証言です。
タイトルの「銃弾とアヘン」の、銃弾はあの日人民解放軍が学生市民に放った銃弾。アヘンは、天安門事件鎮圧後の中国の「社会主義市場経済」による経済成長です。民主より自由より、カネ。国民全体が拝金主義というアヘンに取りつかれ、天安門事件のことなどすっかり忘れている現実をさしています。「6・4暴徒」として拷問、投獄、強制労働に耐えて生き延びた人々は、名誉回復どころか差別と嘲笑の対象になっている。そのなまなましい述懐、怨嗟、告発の記録です。

1989年の天安門事件を主導したのは、民主化を求めた学生であり、これを支持した知識人たちだった。数万人の規模だった天安門前の集会やデモが、100万人規模に膨れ上がったのは、学生・知識人の枠を超え、労働者・市民が参加しはじめたからだった。
共産主義エリートたちの路線をめぐるもめごと(民主化か強権的独裁か)に、大衆が参入しはじめたそのときに、ケ小平・李鵬らは「体制の転覆」を怖れ、人民解放軍による武力制圧に踏み切った。
学生運動のリーダーたちの多くは、間一髪で国外亡命した。しかし、義憤にかられて戦車に歯向かった野次馬、労働者、市民らは「6・4暴徒」として追跡・逮捕され、過酷な半生をおくることとなった。

特に強く印象に残るのは、当日の激情に駆られた行動で、死刑・無期懲役などの判決をうけた5人の労働者です。
王岩(ワンイェン、放火罪で無期懲役)は、24歳の製鉄所労働者だった。6月3日の夜に軍隊が市民に発砲したというウワサを聞き、4日早朝に自転車で天安門にかけつける。鉄の塊になって放置されている装甲車を蹴飛ばしていたら、誰かが「火をつけろ」とライターと紙を手渡し、誰かがガソリンタンクの蓋をあけた。火をつけた紙を放り込んだらゴオーッという音をたてて燃えた。今となってみれば、人混みにまぎれ込んだ私服スパイがそそのかしたのでは、という気もする。
7月23日に職場で逮捕され、足枷・手錠という「死刑囚待遇」のまますごし、12月に無期懲役の判決を受けた。16年間におよぶ「労働改造」に服し、出獄したときはすでに40歳になっていた。経済成長で様変わりした北京に対応できず、年老いた両親のもとで暮らしている。
「毎晩眠れない。自分の一生は間違っていたのか?あの時血をわき立たせるべきではなかったのか?六四は名誉回復される日が来るのか?もしそうなら、おれたちはどのように見なされるのだろうか?」

張茂盛(ジャンマオション、放火罪で執行猶予付き死刑)は、21歳になる直前の機械会社労働者。若い者たちがこんなに騒いでいるにはよろしくないんじゃないか、政府や党もたいへんだなと思っているような人間だった。6月3日の夜、8歳の子どもが撃ち殺された死体を見てしまった。4日午後には人民解放軍が学生に銃口を向けたことに逆上して軍用トラックに飛び乗り、布に火をつけてガソリンタンクに押し込んだ。トラックは火だるまになった。数日もたたないうちに逮捕され、17年を獄中で過ごした。
「六四なんて聞きたくもないし、発砲されるとすぐに外国に逃げた連中の民主についての立派な話も聞きたくない。おれは、もっとも普通な庶民の、もっとも普通の生活が欲しいだけなんだ!」

董盛坤(ドンションクン、放火罪で執行猶予付き死刑)は、軍人経験もある印刷工だった。6月3日夜、自転車で両親に会いに行く途中、銃殺された死体を見た。軍用車の前に行き、陸軍少佐に「銃口を人民に向けないよう、部下に言ってくれ」と説得した。群衆にも「理性的になるんだ!感情を抑えてくれ!」と訴えた。とりあえずその場は落ち着いたので両親の家に行った。
4日の夕方、崇文門の近くで軍用車が燃えているのを見て、取り憑かれたように自分も火をつけた。6月10日に逮捕・拷問され、執行猶予付き死刑の判決をうけた。17年2ヶ月21日間刑に服して出所した。もう50歳になろうとしているのに食住をおふくろに頼っている。
「熱情に駆られて学生運動を支援したものの、…中国人に忘れられてしまい、国内外の六四エリートたちでさえも、このことにほとんど触れようとしない」

李紅旗(リーホンチー、強盗、武器奪取など複数罪で懲役20年)は、公共バスの車掌だった。6月3日の11時過ぎに、勤務を終えて同僚と自転車で帰る途中、学生が「兵隊が発砲している」と泣きながら叫んでいるところに出くわす。多くの死体を見て頭に血がのぼり、拾った発煙筒に火をつけて装甲車に投げこんだ。ヘルメット、銃弾、催涙弾などを戦利品にして家に帰ったら、おやじは「死にたいのか、すぐに捨てろ!」とどなった。6月13日に逮捕され、数週間で釈放されるだろうと思っていたら、20年の実刑判決だった。拷問、劣悪な獄中環境、強制労働に耐えて生きのびた。
「重要なのは、おれたちのようなものがまだ生きてるってことだ。…豚や犬と違うのは、おれたちには記憶力があるってことだ。」

王連会(リーホンチー、反革命凶器準備集合反乱罪で無期懲役)は、22歳の電子工場臨時工だった。6月3日の夜中、恋人の家から帰る途中、知り合いにでくわし、デモの様子を見に行こうと誘われた。学生の演説に煽られて、たち往生している装甲車のうえに乗り、小便でもかけようかと冗談をいった。のちに判決で「小便は車内の解放軍に集団窒息をもたらした」と重罪判決の理由とされた。6月12日に逮捕され、拷問による「自白」、16年4ヶ月の獄中生活を送った。おなじ現場でさかんにやじってみんなを笑わせていた李則喜(リーヅーシー)という老人は、「くだらない話反革命罪」で15年の判決を受けた。
「貧乏はあざ笑っても売春は笑わず(という世の中だ)。(名誉回復は)期待していない。…歴史はむなしいから、興味ない。」

「6・4暴徒」という名で、無罪あるいは微罪のものが、恐ろしいまでの拷問と長期投獄、強制労働にさらされた。その数は本書では明らかにされていないが、数千人という単位だろうと想像される。それが、共産党による「国民教育」だった。2度と同じことは起こさせない。起こせばどうなるかという体罰による教育だった。

5人の労働者とは、対極にあるともいえる「6・4暴徒」もいる。確信犯として、毛沢東の肖像に卵をなげつけた者たちだ。
余志堅(ユィヂィジェン、反革命破壊宣伝扇動罪で無期懲役)は、田舎の教師だった。湖南省瀏陽市でプチインテリ仲間(魯徳成、喩東岳)たちと文学やモダニズムを論じている時期に胡耀邦の死去を知った。同じ瀏陽人の胡耀邦を追悼して行動を起こした。天安門広場での集会やハンストに呼応し、4〜50人の湖南請願団を結成、無賃乗車で北京に向かった。高自聯(北京市大学学生自治聨合会)のリーダーたちは、湖南請願団の掲げるスローガンが「ケ小平打倒」など過激な内容であることに辟易し、歓迎しつつも遠ざけた。
余志堅たちは、政府の強硬な態度になす術をなくしている学生リーダーたちに愛想をつかし、天安門広場に掲げられている毛沢東の肖像画に制裁を加えて「象徴的に共産党の暴政に終止符をうつ」行動を決意する。20個の卵に油絵具をつめ込んで投げつけ、3個が命中した。5〜6分のパフォーマンスだった。
高自聯のピケ隊が「愛国運動をぶち壊そうとした」と非難し、3人を逮捕、警察に引き渡した。余志堅は、秘密法廷で無期懲役の判決を受け、11年半の獄中生活を送った。のちにアメリカに亡命、2017年、貧窮の裡に没した。享年54歳。
魯徳成(ユィドンユェ)は懲役16年の判決で8年8ヶ月の投獄、のちにタイに逃亡した。
喩東岳(ルゥドゥチョン)は20年の判決で16年9ヵ月の投獄、獄中の拷問で精神に異常をきたした。

余志堅、魯徳成、喩東岳のパフォーマンスアートは、民主化運動の学生たちのはるかに先をいくものだった。戦前の日本で、天皇の肖像画に卵を投げつけるのと同じことです。
もし、自分がその場にいたとすれば、高自聯のピケ隊とちがう対応をとれただろうか。「運動内部の破壊者」といった、ステレオタイプな反応をした可能性はたかいと思わざるをえない。
廖亦武は、戦車のまえに立ちはだかって世界が記憶することなった王維林(ワンウェイリン)と、毛沢東の肖像に卵を投げつけた余志堅たちの行為は、「歴史書に永遠に記載される」偉大な悲劇だったと称える。

他の人々もみな初めて聞く話しばかりです。
天安門広場の近くで商売をやっており、「市民糾察隊」を組織した劉儀(リウイー)。
デモの秩序維持のために奮闘した労働者「黒豹決死隊」の胡中喜(フーヂョンシー)。
農業銀行の副頭取という役職にあった佘万宝(ショワンパオ)。
自慢の息子を虐殺された父親、呉定富(ウーディンフー)。
どの人々も、人民解放軍が人民に銃口を向けるなどありえないと信じていた人たちであり、それが裏切られたことで人生が変わってしまった。中国以外の国に住んでいれば、天安門事件を偉大な民衆のたたかいと称えるのはたやすい。しかし、「6・4暴徒」と烙印をおされた人たちが、どれほど過酷な人生を強要されたかということは、本書を読むまで知らなかった。

タンクマン・王維林は行方不明

世界中の人が知っている戦車にたちふさがった青年。彼の名が王維林だと報じたのはイギリスのタブロイド紙『サンデータイムズ』だ。ところがこの新聞社は、北京駐在の記者を持っていなかった。「タンクマン・王維林」は、この新聞社の発明・創造なのだという。
では、彼は何ものなのか。映像では、3人の人物が現れて、道路の障害物をどかすように連れ去った。民衆の多くは、3人の人物は専門的な訓練を受けた特殊工作員であり、タンクマンは秘密裏に処刑されたと考えている。しかし、江沢民はそれを何度も否定している。別の中共官員も「われわれは彼を探し出せていない」と言っている。
廖亦武はそれを逆手に取り、『山海経』で強権独裁政治とたたかった刑天が、頭を切り落とされても「両乳を目玉にし、へそを口にしして、両手を広げて」たたかい続けたように、行方不明のタンクマン・王維林はたたかい続けると予言する。いかにも詩人のことばです。

「6・4暴徒」たちの、苦難に満ちた人生に、沈黙の一献を。
廖亦武(リャオ・イーウー) 『銃弾とアヘン 「六四天安門」生と死の記録』白水社、2019年、3600円+税。
関連:廖亦武インタビュー(週刊読書人Web)https://dokushojin.com/article.html?i=5657
2018年09月05日、安田峰俊『八九六四』http://boketen.seesaa.net/article/461494738.html
2015年11月19日、天児慧『「中国共産党」論』http://boketen.seesaa.net/article/429852467.html
2015年11月29日、エズラ・F・ヴォ―ゲル『ケ小平』http://boketen.seesaa.net/article/430384947.html
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2020年01月23日

冬木立の神代植物公園。これもまたよし。

緑がいのちの植物園ですが、すべての葉をおとした冬木立にもすがすがしい魅力があります。梅園ではつぼみがふくらみはじめ、気の早いのが一部開きはじめている。
あざやかな色彩にふれたければ温室に。ランとベゴニアがいつも咲き誇っている。
ランは形状の華やかさと芳香がうりものですが、たまにはこういう注意書きの花もある。
「嗅がないでください。へんな香りです」というポップがついたラン、エリア・フラバです。
へんな香りと言えば悪臭を放つことで有名なショクダイオオコンニャクが、堂々と成長した姿をみることもできる。
いいなあ神代植物公園、冬木立も、温室も。
関連:2015年09月09日幻のスマトラオオコンニャクhttp://boketen.seesaa.net/article/425499212.html
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2020年01月21日

47都道府県の酒を味わおう 第4回茨城の酒

結城酒造の「精米歩合90%」へのチャレンジに乾杯。
最高の米を半分も捨てるのはなんか変、と感じてた。

府中の一画、是政で、毎月一回第3金曜日に行われている酔狂なイベント「47都道府県の酒を味わおう」も順調に回を重ね、第4回「茨城の酒」の巻です(1月17日)。
酒もつまみも茨城尽くし、今日はどんな趣向で楽しませてくれるのか。

茨城には関東で最も多い42の酒蔵がある。鬼怒川水系・利根川水系・筑波山水系、久慈川水系、那珂川水系と五つの水系があり、豊富な水に恵まれた土地柄だ。笠間市の須藤本家は日本最古の酒蔵(創業1141年、平安時代)として有名です(第2位は秋田の飛良泉1487年)。
酒のラインナップ。
1、来福(らいふく) 純米吟醸生原酒。筑西市・来福酒造、筑波山の麓、享保元年(1716)創業。
2、結(ゆい) 純米吟醸直汲。結城市・結城酒造、 江戸末期の安政(1854−60)創業。
3、michiko90(みちこ90) 純米生酒『精米歩合90%』。結城市・結城酒造。
4、副将軍(ふくしょうぐん) 南部杜氏寒仕込み。水戸市・明利酒類、安政年間に現在地で創業。
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つまみのラインナップ。
1.鮟肝(あんきも)。水戸といえばあんこう鍋。鍋の代わりに鮟肝。日本酒にぴったり。
2.蓮根挟み揚げ。茨城県は蓮根生産量日本一。なに挟んでるのか確かめもせず完食。
3.栗ご飯。同じく栗も生産量日本一。〆にご飯、いいね。
例によってどの酒もつまみもおいしい。酒では、来福のふくよかな味と香りが好みでした。
しかし、同行した囲碁・飲み仲間のAさんといちばん話題になったのは、michiko90純米生酒『精米歩合90%』です。つまり、米をほとんど削らないでつくった酒。
おいしい日本酒(吟醸、大吟醸)は、お米の50〜60%を削り落として、「心白」(米の中心部の白く不透明な部分)だけでつくるという。飲み仲間となんども見学に行った澤乃井(青梅・小澤酒造)の工場でも、案内役の人が「雑味をなくすため、こんなに米を削っている」というところは、力を込め、誇らしく語る場面になっている。
百姓の子である呆け天は、せっかくの米をなぜそんなに捨てる(ま、捨てるわけではなく、削られた粉は米菓、糠、化粧水など幅広く再利用されるらしいが)、ドブロクのほうがまるごと使うから立派じゃないのかなどと、ヘリクツをこねたくなったりする。
結城酒造の杜氏、美智子さんは、できるだけ精白しない、米の恵みをほぼ全部いかす『精米歩合90%』の純米酒にチャレンジし、「michiko90」をつくりあげたのだという。エライ!そうでなくちゃ。この際、味が云々のまえに、その心意気、考え方に賛同の乾杯。

「低精白」の酒造りがいかに難しいかということについては、わが秋田・新政の若社長が、自分のブログ(「蔵元駄文」佐藤祐輔)で率直な奮闘記を書いています。よほどむずかしいことなんでしょう。
しかし、ごくふつうに考えて、無農薬で育て上げた最高レベルの品質の酒米を、50〜60%削り捨てるなんて、お天道様が許さない。まるごといかしてこんなにおいしい酒になりました!と、全国の酒蔵がいうようになってほしいものです。そのぶん、値段も適正値に下がるはずですし(呆け天は高すぎる大吟醸は飲まない)。

次回は、栃木の酒(2月21日)だという。どんな酒に会えるのか。

配られた次回の案内は「栃木の酒」2月21日(金)17:00〜。どんな酒、つまみに出会えるのか、楽しみでなりません。
今回は「副将軍」(天下の副将軍・水戸光圀)が出てきたから、こんどは足利尊氏にちなんで「室町」とか「足利学校」なんかがでてくるんだろうか。栃木の日本酒、栃木のつまみで、知っていることはなにもない。まっさらな気持ちで次回企画にものぞみます。
恥ずかしくて口に出せなかった驚きがひとつ。この日のイベントまで、結城紬で有名な結城市は、栃木県だと思ってた。ゴメンなさい。
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『精米歩合90%』の酒にめぐり合わせてくれた「茨城の酒」企画に、乾杯。
「47都道府県の酒を味わおう」第4回・茨城の酒、1月17日(金)17:00〜、西武多摩川線、是政徒歩1分「豆茶房でこ」。
関連:「蔵元駄文」低精白純米85%、90%https://ameblo.jp/yama-u-suke/entry-10543135340.html
posted by 呆け天 at 08:30| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする