2018年07月19日

新聞紙のこよりで作られた実物大のカバ

一ツ山チエ展、野性のなまなましさが伝わってくる

新聞紙をこよりにして、ねじりあわせ貼りあわせ、実物大のカバが出現する。
なにか、野性のなまなましさがある。カバには、乾いた泥がこびりついている。赤く充血した目がこっちを覗きこんでいる。口を大きくあけたカバの牙の根元、のたうつ下の奥、皮膚と皮膚の下の血管までが表現されているよう。
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犬や猫には、ヤマイヌ、ヤマネコと言いたくなるような野性のにおいがする。
一ツ山チエ8.jpg 一ツ山チエ220180718.jpg
不思議なアートがあるものです。
展示説明によれば、作者の一ツ山は、密猟者に傷つけられたサイの現状を知り、「彼らの命そのもの」を表現し、伝えたいと考え、この創作をはじめたのだという。
展示の奥のスペースでは、制作を実演し、希望する子どもは参加できるというスタイル。もうじき夏休みだから、これはうけるだろうな。写真撮影は自由、いいね。

調布の「紙アート」シリーズの第3弾

アート技法無限ーそんな感想がわいてくる展示です。
2015年関口光太郎の「新聞紙とガムテープで彫刻つくった」、2016年玉田多紀の「ダンボールの動物園」に続く「紙のアート」第3弾です。前の二回も良かったが、今回もすばらしい。

新聞紙のこよりで野性のかがやきを表現する、一ツ山チエのアートに、乾杯。
「新聞紙のこよりによる動物アート 一ツ山チエ展」7月7日〜8月26日。調布文化会館たづくり1階展示室。入場無料。主催:調布市文化・コミュニティ振興財団。
関連:2015年07月02日、関口光太郎展。http://boketen.seesaa.net/article/421585485.html
2016年06月13日、玉田多紀展http://boketen.seesaa.net/article/438913037.html
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2018年07月17日

国分拓『ノモレ』

100年前に別れたノモレ(仲間・友)に会いたい。
アマゾンのイゾラド(未接触先住民)をめぐる、驚異のルポルタージュ。

およそ100年前に、ゴム農園の奴隷にされていた奥アマゾンの先住民たちが、白人農園主を殺害して密林に逃れた。追手に皆殺しにされないために、逃亡した先住民たちは密林のなかで二手に別れた。一つの組は、およそ500キロを踏破して生まれ故郷にたどりつくことができた。しかし、もう一組はいまだに現れない。

故郷にもどることができた者たちは、別れた一組をさがした。アマゾン川奥地の支流をくまなくさがしたがみつからず、ついには、かつて農園主を殺害した地にモンテ・サルバドール(救世主の山)と名づけた新たな村をつくった。新たな村をつくった者たちは、亡くなる時に子孫に「森で別れた仲間(ノモレ)に会いたい。息子たちよ、友(ノモレ)を探してくれ」と言い残す。
人知れぬ密林の奥、小さな先住民の村で、別れの記憶と再会の願いが語り継がれ、100年が過ぎた。

故郷にたどりつくことができた者の末裔・イネ族のロメウが本書の主人公です。いまでは文明化された集落モンテ・サルバドールの、優秀な若者として街の専門学校に進学し、スペイン語や経営学を学んだ。30代で村長となり、先住民の権利を守りながら生活の改善を果たしてきた。
そのロメウの住む村、モンテ・サルバドールの対岸に、2013年6月、弓矢を持った10数人の裸の人間たちが現われる。ロメウたちが必死に「ノモレ、ノモレ」と叫ぶと、彼らにも意味が通じ、武器を置いた。
彼らこそ100年前に別れたノモレの子孫に違いないと村人は喜ぶ。イネ族の古いことばで簡単な意思の疎通が可能なことも分かってきた。しかし、先祖からの言い伝えのような、複雑な会話は無理だった。時間をかけた交流が求められるそのときに、事件はおきる…。

スぺイン・ポルトガルなどの侵略者がやってきた500年前、少なく見積もっても数百万人はいたと推測されるアマゾンの先住民は、今では約20万人といわれる。先住民人口の、90%以上が、侵略者がもちこんだ病原菌や、ゆえなき殺戮で失われた。ブラジル政府の公式記録によれば、「二十世紀の百年間で絶滅したイゾラド部族はブラジル国内だけで五十八を数える」という。
生き延びた先住民も、幸せというわけではない。
「森を失い、自給自足を止めた者たちを待っていたのは、最底辺の暮らしだった。物乞い、ドラッグの蔓延、アルコール中毒、売春、将来に絶望しての自殺。北米のネイティブアメリカンや、極北のイヌイットが通った道を、南米の先住民も歩むことになった。」

まして、いまも文明社会と未接触のイゾラドは、「どんなに多く見積もっても、もはや、数百人から千人しか存在しない」。
彼らと接触すれば、病原菌で絶滅させてしまう危険がある。では「完全隔離」などということは可能か。不可能だ。どんなにとりしまっても、密猟者、不法伐採者などは入り込む。あるエリアに「文明」を入り込ませないためには、数千人の監視員が必要になるだろう。

ではどうすべきなのか。解答はない。しかし、ロメウはいまも、ノモレとの信頼関係を築くことは可能だと信じ、平和的なコンタクトの努力を続けている。自分の代では叶わなくとも、子供や孫の代にひきつぐべき仕事として。

傑作『ヤノマミ』の続編です。国分拓の、あくなき探究に脱帽。

信じられないような話しの語り部・国分拓は、NHKのディレクターとして、2009〜10年に、映像と著書で、奥アマゾンの先住民・ヤノマミ族を日本に紹介した。150日間に及ぶ同居取材で撮影した「NHKスペシャル ヤノマミ」は、今も記憶に残っています。
シャボノとよばれる巨大な円形家屋に、百数十人が一緒に暮らしている。映像を見ていても「ありかよ」「ほんとかよ」という言葉がもれる、驚きのドキュメンタリーでした。
本書はいわばその続編といえます。

ヤノマミは同じ奥アマゾンでも、ブラジルとベネズエラの国境付近が居住地でした。本作のイネ族はペルーが主な居住地です。広大なアマゾンを勝手に国境で区切ったのは、侵略してきたスぺイン・ポルトガルなどの植民者であり、先住民には関わりがありません。
国分の著作には、広大なアマゾンに抱かれて数万年を生き抜いてきたイゾラドに対する、好奇心・探究心が満ちています。西欧侵略者への弾劾といった大風呂敷もなく、滅びゆくものへの挽歌といったセンチメンタリズムもない。
ロメウの、「イゾラドとの交歓と共存」という、かなわないかもしれない願いに、敬意をもって寄りそう姿勢が好ましい。

ロメウと、逃亡した先住民たちの末裔の交歓に、乾杯。
国分拓(こくぶんひろむ)『ノモレ』新潮社、2018年、1600円+税。
関連:国分拓『ヤノマミ』日本放送出版協会、2010年、1700円+税。現在、新潮文庫。
posted by 呆け天 at 09:34| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月15日

岸政彦『はじめての沖縄』

「めんどくさい、読みづらい」という看板を掲げた、沖縄入門書

序章で、「役に立たない」「めんどくさい、読みづらい」本なので、役に立つ情報が知りたかったり、分かりやすい本がおのぞみの方は別の本を読むように、とことわっています。
たしかにめんどくさい本ではありますが、読みづらくはありません。
タイトルの「はじめての沖縄」を、これから囲碁をやってみようかという人が読む「はじめての囲碁」とおきかえてみると、著者の意図がよくわかる。囲碁入門書には「目がふたつで生き」とか「『待った』をしてはいけない」といったルールや作法が書いてある。内地の人間(=ナイチャー)がはじめて沖縄に触れるときに、これだけは心得てほしいルールや作法について、かなりくどく書いた本です。

著者は、24〜5歳のときに「沖縄病」(内地から沖縄に観光に行き、その魅力にはまった状態)にかかり、その後、社会学者となって沖縄研究をし続けてきた。
「…私たちは沖縄が好きだ。私たちは沖縄を心から愛している。なぜかというと、それが日本の内部にあって日本とは異なる、内なる他者だからだ。」「沖縄は私たちの鏡である。それは反転した日本だ。」
こういう、内にこもっていくタイプの文章はキライという人には合わないかもしれませんが、わたしは、奇をてらわない、誠実でまっとうな沖縄論と感じました。こういう風に、ぐじぐじと、いったりきたりしながら考え続けることが、たしかに必要です。

沖縄好きになると、沖縄の歴史、文化、芸能について語りたくてたまらなくなる。
著者は大坂で暮らし、1年のうち1ヵ月くらいは沖縄に通う(フィールドワークのため)社会学者だが、大阪の飲み屋で知らない人と話していて「沖縄の研究をしている」というと、かならずといっていいほど「沖縄についての『自説』を開陳される」のだという。わかるような気がする。著者と酒場で隣り合わせて、沖縄のはなしになどなったら、ぜったいに私も「自説を開陳」におよぶだろううなあ。想像するだけで、こっぱずかしい。

あるとき著者は、学生たちを連れて辺野古を訪れ、バスをチャーターし平和ガイドも頼んだ。ガイドは、関東出身の元教員で、辺野古の新基地を受け入れた元市長に触れて「わずかなお金(補助金)と引き換えにこの美(ちゅ)ら海を売り飛ばした沖縄の人は反省しなければならない」と説いた。著者は聞くにたえなくて、途中でさえぎってやめさせた。
東京と沖縄、那覇とやんばる(本島北部)の関係性について少しでも思いをめぐらしたことがあり、北部の貧しさについて少しでも理解していれば「わずかなお金で海をうりとばした」という表現はでてこないはずだ。
では著者が、このガイドをもの知らずとして断罪しているかというと、そうではない。ガイドの言ってることは、ある意味その通りなのだ。しかし、「正しくある」ことで踏みにじってしまうものがあることに思いを届かせよ。「正しくある」こと自体を求めてはならないということではなく…。
ぐるぐると著者の思考は回転します。

「沖縄の独自性を、単なるラベリングやイメージに還元しないこと。それは実在するのだ。しかし同時に、そうした独自性を、亜熱帯や『民族的DNA』に還元するような本質主義的な語り方を一切やめること。そしてできるだけ世俗的に語ること。」
「『抵抗するウチナンチュ』のような、安易な、ロマンティックな語り方をやめること。しかし同時に、沖縄の人びとの暮らしや日常のなかに根ざしている、日本に対する違和感や抵抗や『拒否の感覚』を、丁寧にすくいあげること。」
「これまでの定型的な話法からはみ出すような、沖縄の人びとの多様な経験や、基地を受け入れさえするような複雑な意思をそのままのかたちで描きだすこと。さらに、そうした多様性を、沖縄と日本との境界線や、日本がこれまで沖縄にしてきたことの責任を解除するような方向で語らないこと。」
「いまだ発明されていない、沖縄の新しい語り方が存在するはずだ。」

熱い学者の想いが、伝わってきます。
しかし、学者というのはたいへんだなあ。これじゃ、自縄自縛で失語症になってしまいそう。
学者ではないこちとらは、いままで通りにやりますが、著者の「できるだけ世俗的に語ること」という自戒は、見習いたい。

太田昌秀と國場幸一の握手

207ページに、2013年2月に著者が元沖縄県知事・故太田昌秀とハーバードビューホテルのバーで飲んだ時の写真が掲載されている。すでに80代後半なのに、著者より酒が強かったという。
飲んでいたらカウンターの隅に70代の老人がおり、やがて老人と太田はお互いに気づいて握手し「久しぶりにあった郷里の親友のように」打ち解けて言葉を交わしあった。老人は國場(こくば)幸一、沖縄最大のゼネコン・國場組の社長、沖縄保守政界の後ろ盾だ。
「私は、右も左も関係なく戦後の沖縄の人びとを引っ張ってきた人びとの、自負と、覚悟と、ある種の連帯感のようなものが存在するのを感じた。」
うーむ、味わい深い。

誠実な社会学者の、私的かつ実感的な沖縄論に、乾杯。
はじめての沖縄 (よりみちパン! セ)
岸政彦『はじめての沖縄』新曜社「よりみちパン!セ」シリーズ、2018年、1300円+税。
posted by 呆け天 at 09:00| Comment(0) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする